答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

〈私的〉建設DX〈考〉その4 ~ デジタル三段跳び

2024年06月11日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

デジタル化3つの概念

DXという言葉ばかりがクローズアップされるため、一般には馴染みが浅いのですが、デジタル化を語る概念としてはあと2つ、デジタイゼーションとデジタライゼーションがあります。それがどういう意味なのか、いくつかの定義を紹介するところから今日の稿をはじめます。

まず、国連開発計画(UNDP)では次のように定義しています。
・デジタイゼーション:既存の紙のプロセスを自動化するなど、物質的な情報をデジタル形式に変換すること。
・デジタライゼーション:組織のビジネスモデル全体を一新し、顧客やパートナーに対してサービスを提供するより良い方法を構築すること。

令和3年の『総務省情報通信白書』にはこうあります。
会社内の特定の工程における効率化のためにデジタルツールを導入するのが「デジタイゼーション」、自社内だけではなく外部環境やビジネス戦略も含めたプロセス全体をデジタル化するのが「デジタライゼーション」である。それに対し、デジタル・トランスフォーメーションは、デジタル技術の活用による新たな商品・サービスの提供、新たなビジネスモデルの開発を通して、社会制度や組織文化なども変革していくような取組みを指す概念である。

なるほど。ということは、ホップ・ステップ・ジャンプの三段跳びのようなものなのでしょうか。

・ホップ(デジタイゼーション)
アナログからデジタルへの単純な変換プロセス。デジタルデータの生成ができれば達成。

・ステップ(デジタライゼーション)
デジタルデータを使って業務プロセスを改善する。効率化やコスト削減、生産性向上などが実現する。

・ジャンプ(デジタル・トランスフォーメーション)
デジタル技術を活用してビジネスモデルを変える。あたらしい価値を創り出す。


図面のデジタルストーリー

建設業のデジタルストリートに当てはめてみましょう。
ぼくがBIM/CIMについて語るとき、必ずといってよいほど例に出すのが、「手描き→2次元CAD→BIM/CIM」という進化のプロセスです。ここにおいてぼくの主張は、前の2つと最後の1つは同じ延長線上にないというものでした。つまり、一見すると同一の進化の延長線上にあるかのように思える2次元CADとBIM/CIMは、「仕事のやり方を変える」という文脈では、あきらかに別物として捉えるべきものだというのがぼくの意見です。

まず、「手描きの図面」というアナログな方法がありました。それをデジタル化したのが2次元CADなので、これによってデジタイゼーションが達成されました。
次に2次元CADからBIM/CIMへと移行します。現実にはそうなってはいないのですが、ここではそうなると仮定します。そうすることによって、仕事のやり方が変わります。これまでのぼくは、ここがDXだと定義していました。たしかに、ビジネスモデルが変わり、あたらしい価値が創り出されるほどの変革ならばそれはそうでしょう。

ではデジタライゼーションは?
としばし考え、BIM/CIMの前に3次元CADという過程を置くことを思いつきました。そう、巷ではよく、3次元モデル作成とBIM/CIMを混同しがちですが、単に3次元モデルを使ったからといってそれがすなわちBIM/CIMと呼べるものではありません。

となると、2次元CADでデジタイゼーションができたあとに、3次元CADの導入によってデジタライゼーションが達成されるというのではどうでしょうか。DXのフェーズはBIM/CIMです。

いや待てよ、とまた首を傾げます。そもそも2次元CADの普及が、ぼくたちの仕事を効率化やコスト削減に寄与し、既にその段階で生産性の向上が達成されています。現実には、同じ時間でそれまでの倍以上の図面を生み出し、かつ修正が容易な2次元CADという武器を手に入れたぼくたちは、それまでより多くの仕事を抱え込んでしまうという生産性向上のパラドックスに陥ってしまったのですが、少なくとも2次元CADというデジタルテクノロジーが、それだけの変革をぼくたちにもたらしたのは間違いありません。
つまり、図面のデジタル進化はデジタイゼーションというプロセスをすっ飛ばして一気にデジタライゼーションを達成した、もしくは、デジタイゼーションとデジタライゼーションが同時におとずれた、そう考えるのが自然なようです。

どうやらこの例では、ホップ・ステップ・ジャンプの三段階デジタル進化を説明することはできないようです。


パソコンをどう位置づけたかによってその後が変わった

では、ちがう例で考えてみましょう。
これまたぼくがBIM/CIM話をするときに、必ずといってよいほど出す例として、現場技術者が自らの業務のなかでパソコンというツールをどのように位置づけし、どのように活用してきたか、というものがあります。
そこでのぼくの論とは、以下のようなものです。

日本の公共建設業では、国土交通省が施策として展開したCALS/ECによって、パソコンの普及が急速に進みました。しかし、それへのアプローチは個々の技術者や各企業それぞれによって大きく異なるものでした。
多くは、PC=文房具の進化形、すなわちスーパー文房具としてしか認識することができず、自らの仕事のやり方そのものを変えるところまで意識が至りませんでした。のみならず、それによって生じた現実は、大量の書類と膨大な紙とに埋もれてしまったデスクまわりと、ペーパーレスならぬスーパーペーパーコミュニケーションとでも呼べるようなものでした。多くの技術者や企業、また行政機関では、認識不足のまま今でもそれがつづいています。
一方で、パソコンをインターネットへの入り口だと考え、そこから仕事のやり方を変えていった人たち(企業)がいました。それらの人たちは、パソコンというものを様々な意味合いでコミュニケーションツールの文脈でとらえていたとぼくは解釈しています。やがてそれが、クラウドコンピューティングへと移行し、BIM/CIMによるデータシェアリングへと進化しつつあるのは当然の流れだと言えます。

この論をふまえて、デジタル三段跳び説に当てはめてみましょう。

・スーパー文房具としてのパソコン(デジタイゼーション)
紙の書類や手描きの図面をデジタル化しました。
しかし、これによって業務プロセスが大きく変わることはなく、むしろ、デジタルデータを紙で出力することで管理する情報量が増え、ペーパレスどころかスーパーペーパーでヒーヒー言ってしまうような状況に陥ってしまいました。

・コミュニケーションツールとしてのパソコン(デジタライゼーション)
一方で、一部の技術者や企業はインターネットという世界へ誘ってくれるツールとしてパソコンを認識し、それをコミュニケーションツールとして活用しました。彼らは、パソコンを使って業務プロセスを見直し、オンラインでの情報共有やリアルタイムのコラボレーションを模索していきました。コロナ禍という偶然の災禍によって業務プロセスの改変を余儀なくされたときに、その時流に遅れるどころか、クラウドストレージやオンライン会議の活用という業務プロセス変革の流れに怯むことなく、むしろ時流の先端となったのも当然のことです。

・BIM/CIMとへの進化(DX)
クラウドコンピューティングとBIM/CIMの組合せにより、プロジェクトを3Dモデルであらわし・・・・


ここでぼくのキーボードを打つ手が止まります。


どうやらことはそれほど単純ではない

いや、これも無理筋です。デジタル三段跳びを否定するわけではありませんが、どうやらそれにすべてを当てはめることそのものに無理があるようです。しかも、デジタイゼーションとデジタライゼーション、そしてDXは、それぞれが分離してあるものではなく、併存しても何ら問題はなく、ましてや単純な段階として存在するものではないようですし、その効果も、それぞれの組織や個人に異なってくるものです。

なんとなれば、単純にデジタル化しただけでデジタライゼーションとDXが一気通貫で実現することもあるのでしょうし、単なるデジタイゼーションだけでも大きな大きな進歩であって、一足飛びにDX的なものを会得する人や組織もあり得るでしょう。その逆に、BIM/CIMを活用したところで、あらたなビジネスモデルの創出はおろか、業務プロセスの変革もおぼつかず、なんならスクリーンショットをプリントアウトした動かない3Dモデルとがデスクに散乱した打合せ現場などという、笑い話のような現実があらわれるのも、容易に想像することができます。
デジタル化はスタートとして必須ではあるけれど、それですべてが解決できると思ったら大間違いなのです。

ではいったい・・・意識の問題は大きいのでしょう。
ですが・・・それを問題解決のキーワードとすることはとても危険です。

あらあら、出口が見えないどころか、ますます袋小路に入ってきました。はてさていったい、この辺境の土木屋ごときの頭脳で、これを解き明かすことができるのでしょうか。ここだけの話ですが、泣きを入れたくなってきました。

と、脳内にあるメロディーがその歌詞と共に降りてきました。


天(そら)が泣いたら雨になる
山が泣くときゃ水が出る
俺が泣いてもなんにも出ない
意地が涙を......
泣いて泣いてたまるかヨ
通せんぼ


そう、そういうことです。
であれば、カラ元気をだして、己を叱咤激励しながら、もう少し考えつづけることといたしましょう。


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〈私的〉建設DX〈考〉その3 ~ DXってむずかしい

2024年06月10日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

(建設業における)生産性向上とDX

日本の建設業で「生産性向上」が叫ばれはじめて久しくなりました。
とりも直さずそれは、こと「生産性」という側面でわが建設業は、圧倒的に他産業(ぼくの見るところ、どうもそれは製造業をあらわしているようですが)の後塵を拝しているという現状があったからです。

生産性向上については、色々さまざまな説明がありますが、ひと口に言ってしまえば、限られたリソース(人員、資機材、時間)のなかでより多くの成果を生み出すこと。これで差し支えないでしょう。人員や資機材が同じならば時間を短く、時間が同じならば人員や資機材を少なく。それが実現したときの状態を、生産性が向上したと言いあらわします。

繰り返しますが、その実現を図る武器はデジタルテクノロジーです。アナタもぼくも、今という時代に生きているのですもの、それが自然な流れであり、もっとも効果的であると考えることも当然のことなのです。

では、どのような具体的効果があって生産性向上が実現するのでしょうか。

もっともわかりやすいのはICT建機の使用による省力化とスピードアップでしょう。それは、建機が直接生み出す結果もそうですし、ぼくの体験では、丁張り設置などの測量作業がほぼなくなることによる効果にはもっとおおきなものがあります。
ただ、その他のICT施工となると、そのすべてが生産性向上における効果を生み出すと一概に判断することには無理がありすぎます。また、ICT土工における効果でさえも、部分最適にすぎません。ヘタをすれば、次の工程へとスムーズにバトンタッチができないことで、ICT建機を用いることで縮めた時間が、現場全体にとってはなんの役にも立たなかった、などということにもなりかねません。
いや、笑い話ではないのです。
たぶんそれは、日本全国で日常茶飯に起きているのではないかとぼくは推察していますし、もちろん、自分自身をその例外としてあつかうこともありません。

繰り返しになりますが、必要不可欠かつクリティカルなのは、マネジメントです。それによって、縮めたタスクと縮めたタスクのあいだにある隙間を埋めなければ現場全体の利益にはつながりません。もちろん、企業全体にとってもそれは同様です。

しかし、たとえ適切なマネジメントによって生産性が上がったとしても、「デジタル技術を活用して、業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出を通じて、それまでのあり方を変え、より良い未来を創造する取り組みがデジタル・トランスフォーメーション、すなわちDXである」ならば、それはあくまでもDXの一部であり、その実現のための一段階でしかありません。

とはいえ生産性向上が、DXに占める役割には、やはり大きなものがあります。生産性を向上させることで、業務の効率化やコスト削減が実現できたとしたら、それが企業にどのような好影響をもたらすかは言わずもがなのことでしょう。
しかし、DXはそれにとどまらず、ビジネスモデルや業務プロセス全体の変革、あたらしい価値の創出を目指す広範な取り組みです。となると生産性向上は、DXへと至る歩みのなかで達成される成果のひとつであり、DXを進めるうえで実現されるものだと解釈するのが自然ではないでしょうか。


DXってむずかしい

そう、ここまで読んでくれた奇特なひとは、もう気づいているでしょうが、DXを現実のものとするのは、なかなかに困難です。
たしかに、エリック・ストルターマンが提唱したDXの概念は「ICTが行きわたることが人々の生活をあらゆる面でよりよい方向に変化させること」というものでした。しかし、それはあまりにも単純で呑気にすぎるというものでしょう。何度も言うように、「あたらしい技術」を使えばそれで未来はバラ色というものではありません。そこには必ず、「あらたな仕事のやり方」を模索する意思と実践が伴っていなければなりません。「これさえやれば上手くいく」などというセールストークには、今どき小学生でも引っかかりません(なぜだか小金を貯めた年寄りはコロッとやられる例があとを絶ちませんが)。打ち出の小槌など現実には存在しないのは昔も今も同じこと。デジタル化したからといって、あらゆる面でよりよい方向に変化するはずがありません。

ぼくたちの現実は、ICTを使って生産性向上ですらおぼつかないのに、ましてデジタル・トランスフォーメーションなどと・・・というところでしょう。
とはいえ、そんなことを言っていても前へは進みません。
泣き言を言わずに、まだまだ掘り下げていってみましょう。


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〈私的〉建設DX〈考〉その2 ~ これってDX(じゃん)

2024年06月07日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

「あたらしい技術」を使ってどこを目指すか

「デジタル技術を活用して、業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出を通じて、それまでのあり方を変え、より良い未来を創造する取り組みがデジタル・トランスフォーメーション、すなわちDXであるらしい」

とぼくは規定しました。末尾の「らしい」は単なる照れ(のようなもの)であって他意はありません。大上段に振りかぶってはみたものの、ちょっとばかり照れくさくなってアタマを掻いてみただけのことなのです。なので、一般的には上記説明でなんら問題はないはずです(たぶん)(これも同様)。

以前からぼくは、「あらたな仕事のやり方/あたらしい技術」という分数モデルを提示し、「あたらしい技術」という分母をいくら大きくしたところで、分子である「あらたな仕事のやり方」がちいさいままでは、その効果は部分最適にとどまり、企業全体の成果とすることはできないと言いつづけてきましたがーーーちなみにぼくオリジナルの考えではありません。元ネタは杉浦さんですーーー、今さらながらに白状してしまうと、そこにはDXという概念は存在しませんでした。

ところがあるとき、「これってまさにDXじゃん!」(ゴメンナサイ。「じゃん」なんて語尾につけることは口が避けてもありません。ちょっと気取ってみただけです。許してください)と気づいたのです。

前述したように、デジタル技術の活用は、DXに向かって歩む際の手段に過ぎず、その目的は、それまでのあり方を変えることであり、その先に、現実がどうかはともかく、概念としては「より良い未来」の創出があります。
つまり、「あらたな仕事のやり方/あたらしい技術」という分数の分子を「それまでのあり方を変える」に、分母を「デジタル技術」に置き換え、その分数であらわされる全体をDXとする。そしてそれに、デジタルテクノロジーの導入や活用だけでは不十分で、実際の業務プロセスやビジネスモデルの変革が伴わなければDXにはたどり着けないよ、という解説を加えると、それはそのままDXの本質を理解し、より効果的な取り組みを促すモデルとなります。

いかがでしょうか。「これってまさにDXじゃん!」と、あらぬ言葉を口走ったとしても、さもありなんと思ってはいただけないでしょうか。


しかし、どうもその分数モデルだけでは説明不足のようです。
では、こうしてみるとどうでしょうか。

「仕事の効率をよくする(=カイゼン)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」

これで表される全体は、「生産性の向上」です。
ここでもまた、便利なツールの導入は、「生産性の向上」という全体を見通して、カイゼンという分母を常に意識していないと効果は乏しいままで終わってしまいます。「ツールを使ったら成果が上がる」のではなく「ツールを効果的に使ったものが成果を上げる」という構図です。

といってもそれは、企業(現場)の一部の生産性が上るに過ぎず、企業(現場)全体にとっての生産性向上を図るには、そこにマネジメントの介在が必要欠かさざるものとしてなければなりません。だとすれば、

「仕事の効率をよくする(=カイゼン)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」

という分数モデルがあらわす全体は、「部分的な生産性向上」とあらわすのが適切でしょう。では、全体の生産性を上げるためにはどのようにすればよいのでしょうか。

「仕事のつながりをよくする(=マネジメント)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」

が並立して存在し、かつ前者を包括しておく必要があるだろうとぼくは考えます。

ここで、

「仕事の効率をよくする(=カイゼン)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」を(1)、

「仕事のつながりをよくする(=マネジメント)/あたらしい技術(=デジタルテクノロジー)」を(2)、

「あらたな仕事のやり方/あたらしい技術」を(3)

とすると、すなわち、(1)+(2)が「生産性向上」で、(3)DXは、それを包括し、かつ常に同時に存在している必要がある概念となります。


デジタルでなければならないのか?

ここで、デジタルトランス・フォーメーションから少し離れて考えてみましょう。
「あらたな仕事のやり方」を模索するためには、何もデジタルである必要はありません。デジタルテクノロジーの導入よりも「あらたな仕事のやり方」を見つける方が、はるかに重要度が高いはずです。そもそもそこをデジタルで固定する方が無理があるのではないか、そう言われれば、ぼくは素直に「仰るとおりです」と答えるでしょう。

しかし、今という時代はデジタルテクノロジーを抜きにして物ごとを進めることはできません。本質的には上述のとおりだとしても、そこからデジタルを外すとしたら、むしろそちらの方が不自然です。
だとしたら、今という時代に生きているのですもの、デジタルツールを用いない手はありません。デジタルテクノロジーを積極的に活用することで良くなろうとするのは自然な流れです。そして、それがもっとも効果的であると考えることに不都合はありません。


話を戻します。
つまりぼくたちは、生産性向上が実現したとして、それが即DXにはつながらないということを理解しておく必要があるのです。
ということで、次回は生産性向上とDXの相違および関係性についてとき解いていこうと思います。


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〈私的〉建設DX〈考〉その1 ~ 序

2024年06月06日 | 〈私的〉建設DX〈考〉
DXという言葉を見聞きしない日がないのは、今のぼくが、地域の土木建設業というビジネスの中心にそれを置いているからであり、それがそのままパソコンの画面に反映されるのがインターネットというものの仕組みである以上、致し方のないことではあります。

それにしても、このインターネットというやつは相当に気をつけていなければ、物ごとの移ろいを見誤ってしまうものだと、近ごろつくづく思います。俗に言うトレンド、つまり流行り廃りでさえも、客観的なそれがそのとおりに反映されてぼくたちのスマホやパソコンに表れ出てくるわけではありません。
そこでの情報は、あくまでもその検索主体であるぼくたちの嗜好や意向が反映されているものにすぎませんし、それがたとえばGoogleが大成功をおさめたビジネスモデルそのものであるにもかかわらず、多くの人はそれに気づかず、自分自身のパソコンやスマホを通してつながるインターネットに、世間の流れが正確に反映されていると勘違いしてしまいます。

繰り返しますが、それはあくまでもその検索主体であるアナタやぼくの好き嫌いや興味が反映されたものなのであり、Googleがその王座に君臨して久しい「検索」というビジネスモデルの表出でしかありません。
つまりぼくらは、その端から端がどこまであるか想像もできない果てしもなくおおきな手のひら(インターネット)の一部で遊ばされているのであり、にもかかわらず、現代人の多くが、それに気づかずイイ気になっているのが、今という時代なのでしょう。


のっけから脱線してしまいました。
それはさておき、そのような事情を差し引いたとしても、昨今の世の中にDXという言葉が氾濫しているのはまちがいないところでしょう。それを踏まえれば、もはやこの2文字を「デラックス」と読む者などはいないのではないか、と言い切ってしまえば大仰にすぎるかもしれませんが、さすがに少数派となったのではないかと思わずにはいられません。

DX。言わずと知れたデジタル・トランスフォーメーションの略ですが、念のために、あらためてそれがどういうことを表す言葉なのかを記しておくとしましょう。

こういうような場面では、生成AIが便利です。特にCopilotなら、その出典がどこにあるのかを示してくれるのでファクトチェックが比較的容易です。
ということで、Microsoft Copilotに訊いてみました。

「デジタルトランスフォーメーションをわかりやすく説明してください」


*******

もちろんです。デジタル・トランスフォーメーション(DX)とは、AI、IoT、ビッグデータなどのデジタル技術を活用して、企業が業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出、レガシーシステムからの脱却や企業風土の変革を実現することを指します。これにより、企業は変化の激しい市場で競争優位性を維持し続けることができます。

DXは、単に既存の業務をデジタル化することではなく、デジタル技術によって社会や組織全体の変革をもたらすことを目指しています。これは、新しい価値観や枠組みを生み出し、従来の方法では考えられなかったような革新的なイノベーションを推進することを意味します。

例えば、顧客データを分析してパーソナライズされたサービスを提供したり、クラウドベースのプラットフォームを使用して世界中のチームがリアルタイムで協力できるようにするなど、DXは多岐にわたる形で実現されます。

日本では、経済産業省が「2025年の崖」という問題を提起し、DXの推進が企業にとって急務であるとしています。これは、既存のシステムの老朽化やIT人材の不足など、近い将来に直面する課題に対処するためのものです。

簡単に言えば、DXはデジタル技術を駆使して、企業や社会のあり方を根本から変え、より良い未来を創造する取り組みなのです。

******

つまり、「デジタル技術を活用して、業務フローの改善や新しいビジネスモデルの創出を通じて、それまでのあり方を変え、より良い未来を創造する取り組みがデジタル・トランスフォーメーション、すなわちDX」であるらしいということがわかりました。

ということで準備は整いました。
では、辺境の土木屋66歳と半年の「DX〈考〉」、けっして倒つ転びつしないよう、ゆるゆると考えていきたいと思います。


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