散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

「40日」の意味

2020-05-19 07:50:19 | 日記
2020年5月18日(月)
 前項補足。
 ペスト防疫のため港外で待機させられた期間が40日、日数の根拠は何か。聖書の読者ならピンとくるところである。
 出エジプトの民に課せられた荒野の40年、これを踏まえたイエスの試練の40日、40は聖なる数であり神に属する数である。それゆえ、刑罰としての鞭打ちは「40に一つ足りない数」を限度とした(第二コリント 11:24)。40の鞭は人の分際を越えており、たとえ罪人にも課してはならないとされたのである。

 ペストの潜伏期間は、肺ペストで2、3日、腺ペストで6~10日とある(コトバンク)。14世紀の人々がどの程度正確にこれを知っていたか。それが未知である場合に、神聖数40に拠り所を求めるのは、当時として自然なことだった。今日から見れば大きすぎる数字であるが、大が小を兼ねる結果として、40日の港外待機はそれなりの効果をもたらしたことだろう。
 一方で、待機させられた船内の困難と混乱は、クルーズ船のそれを見ても想像に余りあり、それが14日ならぬ40日に及べばそれこそ「人には耐えがたい」苦痛であったに違いない。ペストではなく、船内隔離の負担によって落命した者も多かったはずである。

 そういえばクルーズ船のこと。船客の窮状が詳しく書き立てられた後、実は乗組員が非常な困難に曝されていることが伝えられたきり、続報が絶えた。劣悪な環境に取り残された彼らがその後どうなったか、メディアにはそれをこそしっかり伝えてほしい。

Ω

分断か統合か /「検疫」の語源

2020-05-18 08:56:40 | 日記
2020年5月17日(日)
 「特に、県境をまたいでの移動」を控えるよう、今朝のラジオなども強調しているが、どれほど意味があるのかよく分からない。各県の辺縁に住む人が県境を越えて隣町に買い物に行くのと、広い県の内部で遠距離を移動して繁華街に出かけるのと、どちらの危険が大きいか。
 県境をまたいでの移動を控えさせることによって、遠距離移動を控えさせる効果が期待できる、その理屈は分かるけれど、同時に近距離の越境までも過剰に危険視させる副作用があるし、それ以上に「県 vs 県」の敵対的構図をあおる悪影響の大きさが気にかかる。
 コロナが何を問いかけているかは、これから皆で考えなければならないが、「分断か統合か」というモチーフは選択肢から漏れることがないだろう。国境(くにざかい)が、自然や経済・社会の条件の違いをよく反映した幕藩体制の時代ならいざ知らず、現在の県境はそうした意味をあらかた失っている。
 政治的な思惑や恣意によって引かれた「境」は、いつもどこでも分断と抗争の永続的な火種になってきた。昔、国際政治の講義で教わったことについて後述する。

***

 コロナ騒動で「2週間」という言葉を頻繁に耳にする。潜伏期を踏まえて不発症を確認するのに要する期間と理解しているが、何だかくすぐったい感じがしていた。
 わかった。
 くすぐったさの由来は、2週間(14日)ではなくて40日である。

 「英語の quarantine は、イタリア語のヴェネツィア方言 quarantena および quaranta giorni (40日間の意)を語源としている。これは1347年の黒死病大流行以来、疫病がオリエントから来た船より広がることに気づいたヴェネツィア共和国当局が、船内に感染者がいないことを確認するため、疫病の潜伏期間に等しい40日の間、疑わしい船をヴェネツィアやラグーサ港外に強制的に停泊させるという法律を定めたためである。
 日本でも、コレラ患者のいる船を40日間沖に留め置く「コレラ船」という言葉があり、夏の季語となっていた。
 同様の検疫は様々な疾患について各国で行われており、例えば21世紀までイギリスでは狂犬病を予防するため、全ての犬を含むほとんどの動物を6ヶ月間抑留するという法律が施行されていた。現在では、正しく予防接種が行われているという証明書を提出することで抑留を免れることができる。」
(Wikipedia: 検疫より、一部改変)

 文中の「21世紀まで」は、あるいは "until 21th century" の直訳か。 until ~ は、~を含まないという明確なルールが英語にある。8月31日まで閉店し、9月1日に開店する場合は、closed until September 1 である。うっかり closed until August 31 と掲示したもんだから、8月31日に来店した外国人客が途方に暮れたという話を、どこかに誰かが書いていた。
 forty と fourteen をいつになっても聞き分けられないのは、これはまた別の話、こちらの耳の問題である。

Ω

ホオノキとムクドリ

2020-05-16 16:16:49 | 日記
2020年5月15日(金)
 これなども朋より来信の口である。M保健師とは数年来、毎週仕事で顔を合わせてきたのが、コロナ休業で珍しくも御無沙汰になっている。しばらくぶりに仕事上の連絡メールを交わした際、自然豊かな近隣の風景を写真で知らせてくれた。コロナ休業の思わぬ副産物である。
 広域避難所に指定されている恵まれた地域で、公園の中に住んでいるような近さなのに、日頃は散歩の暇がないとのこと。こんな写真を撮れること自体、コロナ休業の副産物というわけだ。



↑ 中央の喬木は、おそらくクスノキ?  ↓ そしてこちらは・・・


 葉の様子からホオノキのようだが、違うだろうか?日本の樹木の中で一、二を争う長大な葉を、ちょうどこの季節に非常な勢いで茂らせる。朴歯(ホオバ)の下駄という、あの朴(ホオ)の木である。
 以前に勤めたクリニックが街路に面し、ちょうど窓の前にこの樹が枝を張っていた。4月半ばを過ぎて裸の枝に芽が膨らんできたと思ったら、翌週には若々しい葉が威勢よく踊り出し、さらに翌週にはもう樹の全体が濃緑に装っている。思春期から壮年まで二週間ほどで駆け上がる様子が、週一回の勤務だけによく分かって季節の楽しみだった。
 ある年に女性の患者さんが、部屋に入るなり窓外を見て「まあきれいな緑!」と叫んだことがある。この人は数年越しの鬱を患っていて、自分の鬱がそう簡単に治るはずがないと固く信じ、改善のきざしを指摘されると憤慨して反証を列挙するという風だったが、この時にはこちらが笑い出してしまった。押し問答の必要もない。季節の移ろいや自然の美しさに素直に感動できることが、ゴールの近さを雄弁に語っている。


 近隣には水辺もある様子。さらにこんな一枚。


 「5羽ぐらいで歩いていました」とのこと。これはムクドリかと思うが、どうだろうか?
 ムクドリの存在を知ったのは、図鑑よりも童話が先である。濱田廣介の童話集12巻は今に至るまで宝物だが、たいせつにしている割に頁をめくることが少なかったのは、読めばきっと泣いてしまうと分かっているからである。『泣いた赤鬼』や『竜の目の涙』など、今でもそうだ。
 『ムクドリの夢』は題名通り、ムクドリの見る夢を淡々と描いた小品である。ムクドリの子は母さん鳥が亡くなったのを知らずに帰りを待ち続け、父さん鳥はそれを寡黙に見守っている。ある晩ムクドリの子は夢を見、夢の中で白い鳥に出会う・・・やっぱりダメだ、とても書いていられない。

 Mさんが撮ったムクドリは若いものかと思ったが、ネットの写真と引き比べてみるとそうでもないようだ。キジバトなら、当年巣立った若い個体を正確に言い当てることができる。これは松江にいた時分、先住者が残していってくれた手製の鳩小屋で、産卵から巣立ちまでを見守った経験のおかげである。
 さして難しくはない。若いのはややほっそりして茶色が勝っており、壮年の個体がむっちりした灰色地で、首回りに緑色の光沢を輝かせているのと一見して違っている。

Ω

ギンリョウソウ

2020-05-14 12:15:59 | 日記
2020年5月14日(木)

 竜田川の桜から一転、こちらは何?

 「山桜もおわり、こちらは今新緑が一番美しい時季です。田ではカエルが鳴き、夜は不思議にもコオロギなど秋の虫まで鳴きます。近くの森に銀霊草が咲いていたので、少し失敬してきました。木陰の目立たない所に咲く、その姿と生き方に何かを考えさせられました。コロナにはくれぐれもお気を付けください。」
(2020年4月24日付)

 日向は日南にお住まいの日高春昭先生から、田園の颯々たる風を頬に感じさせるお便り。富士山に月見草ならば、阿蘇山には銀霊草か。
 それにしてもいったい何者?寄生植物かランの仲間か、何をもってきても腑には落ちず、調べてみればこれがツツジの仲間だという。

 ギンリョウソウ(銀竜草、Monotropastrum humile)
 「ツツジ科ギンリョウソウ属の多年草。腐生植物としてはもっとも有名なものの一つ。別名ユウレイタケ」(Wikipedia、以下同じ)
 「古い新エングラー体系ではイチヤクソウ科に、クロンキスト体系ではシャクジョウソウ科に分類されていた」とあるから、誰しも分類には悩んだのである。それにしてもツツジですか。陰もあれば陽もあり、ツツジもいろいろだ。


 ギンリョウソウのプロフィルが、いろいろと面白い。
 
 「森林の林床に生え、周囲の樹木と外菌根を形成して共生する菌類とモノトロポイド菌根を形成し、そこから栄養を得て生活する。つまり、直接的には菌類に寄生し、間接的には菌類と共生する樹木が光合成により作り出している有機物を、菌経由で得て生活している。古くは周囲の腐葉土から栄養を得ていると思われていて、そのように書いてある著作も多いが、腐葉土から有機物を得る能力はない。」
 寄生植物には違いないわけだが、その寄生のループがずいぶん長く伸びている。

 「日本全土に分布し、山地のやや湿り気のある場所に生育する。世界では、千島列島、樺太、朝鮮半島、中国、台湾、インドシナ、ビルマ、ヒマラヤに広く分布する。
針葉樹林や広葉樹林のしめった腐植に生える。ベニタケ属、チチタケ属の数多くの種に寄生し、間接的につながる植物も多種類にわたる。」
 
 「寄生」という言葉には、他者の努力の成果を一方的に掠めとる、依存性や非生産生への非難が込められることが多い。 parasite single という言葉なども、創案者の意と違ってこの点が強調され、物議やら厄介やらをさんざん醸した。しかし「共生/片利共生/寄生」というスペクトラムを念頭に置くなら、ギンリョウソウと菌類との関係にも別の側面があるのかもしれず、生態系全体のバランスを考えればなおのこと、さらにこれほど多くの植物と直接間接につながるのだとすれば、この種族には何か大事な役割が託されているのではないかと、そんな気がして仕方がない。「ハタラカナイアリ」の例なども思い出されたりする。

 ギンリョウソウは銀竜草と書くのが通例のようだが、日高先生が銀霊草と記しておられるのが、いかにも似つかわしい。ギンリョウソウに似合うのと、日高先生に似合うのと、二重の意味の似つかわしさである。

Ω
 


朋有リ、遠方ヨリ来信ス

2020-05-14 11:59:27 | 日記
2020年5月17日(水)
 子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎。 
論語・学而
 
 コロナ騒動は忌まわしいものながら、それに言寄せて遠方の友人から便りがあったりするのは嬉しいことである。こういうことで友人を(再)発見するといったほうが、たぶん正しい。
A friend in need is a friend indeed.

***

 ご無沙汰しております。奈良県のUです。
 新型コロナ、様々なことで大変かと存じます。こちらでも毎日、関東エリアのニュースが流れますし、兄が東京にいますので、緊張しながらニュースを見ております。石丸先生の職場でも、かなりの影響が出ているのではないでしょうか。
 奈良県は1月末に全国でも早い感染がでましたので、2月初めに全てのイベントが中止になりました。

 本当に辛かったです。

 私は4月10日から在宅勤務になりました。大阪府の緊急事態宣言を受けて、7割の社員を在宅勤務にシフトするという社命が出され、前日の木曜日はPCのセキュリティー設定や各種届出でバタバタしていました。
 私の業務の性質上、在宅は無理なので隔日出勤にしたのですが、翌金曜朝の緊急経営会議で、あらためて「9割の社員を在宅勤務にする」との大号令がかかりました。直前の大阪府の罹患者激増を受けての決断だと思います。
 業務が途中でも、アポがあっても、在宅でできる仕事が無く、寝ていても良いので、どんなことがあっても、とにかく出勤するな(電車に乗るな)という会社方針です。我々のような製造販売メーカーが9割出勤しないのは殆ど自殺行為で、業績が有り得ないほど落ち込むことは必須です。
 それでも、約2000人が勤務する本社で1800人が電車に乗らないというのは、まさに会社の社会的責任を遂行するものであり、世の中の罹患リスク減少に少しでも貢献できるだろうと思います。(出勤する1割は、この時期に限って特別に車通勤を認めています。)

 幸い我々の月給は、たぶん保障されると思います。ボーナスは期待しませんが、国中の困難を思えば、たいへん恵まれていることは疑いありません。
 ただ誤解を恐れず申しあげるならば、こうしたリスクに備えるため、37年間も大きな組織の中で自分の意思を殺し、人生のチャレンジを諦めて「駒」に徹し、血を吐き抗うつ薬を飲み続けながら、家族を守るために必死で耐えてきた対価だとも思います。(この生き方を他人に勧めようとは思わないのも本音ですが。)
 とりわけ私は30代で会社更生法による倒産を経験し、幸い今の会社が救ってくれましたけれども、人生設計をここで大きく変えることを余儀なくされました。

 今はとにかく我慢して、大切な人々を守ることに徹します。その間、私の仲間、友人の医療者の皆さんが、決死の思いでリスクと隣り合わせで頑張ってくださっています。私たち非医療者である一般市民にできることは限られていますが、私自身は出勤しないことにより99.9%の接触削減を達成できます。せめてそこは歯を食いしばって守ります。
 しんどい、本当にしんどいですね。涙が出ます。
 でもとにかく頑張ります。
 頑張った成果は必ず出ますよね。

 晴れて笑顔で再会できることを楽しみにしています。お忙しく、緊張の毎日かと存じます。せめて少しでも休まれることを祈っています。

 最後になりましたが、添付の写真は最寄りのバス停に向かう通勤路から見える風景です。万葉のふるさと「竜田川」が流れている贅沢な通勤路で、10日ほど前に撮影しました。
 今年の桜は例年と違い、純粋に「花」として愛でることができたかなあと、ふと感じました。
(2020年4月18日(土)来信)

ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは 
在原業平

 在五中将の歌の通り、古来紅葉の名所である。その季節には心穏やかに、あらためてお便りいただけることを切に祈る。

Ω