散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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A君から借りた二冊の本

2020-03-06 07:35:30 | 日記
2020年3月5日(木)
 あおばファミリークリニックのA君は案外な読書家で(失礼)、毎月何かしら読んだ本の話題が出る。僕とは読書傾向が違うので大いに参考になるが、昨夏「死生観」をテーマにクリニックで講演したあたりから、折に触れてその方面のものを読んでは、あれこれ教えてくれるようになった。意外にサービス精神の人なのかもしれない(重ねて失礼)。
 で、今週貸してくれたのはこの二冊である。

 まずこれ:
 

スピリチュアル テラー サトミ『亡くなった人と話しませんか』幻冬舎

 「君これ、ほんとに読んだの?」
 「まあ一応」
 マジメに書かれてはいるのだろうが僕らの路線とは明らかに違うのに、A君このあたりが偉いというのである。もっともこの本は今年1月10日に第1刷が刊行され、手許のは2月20日発行の第7刷と奥付にあるから、ものすごい勢いで売れているのだ。放送大学の印刷教材なんか百光年ぐらい引き離されている。
 ネットのレビューもなかなかホットで、「亡くなった人とどうやって話すか教えてくれる本かと思ったら、『わたしは亡くなった人と話せます』という本でガッカリした」という低評価コメントなど、逆に読者層の熱い関心の在処を伝えているだろう。本が売れない時代に、こういう本は売れるんだね。
 著者は「スピリチュアル テラー」と名乗っており、「スピリチュアル」という言葉のイメージをこの種のカリスマさんたちが決めてしまうのが、当方としてはやりづらいところである。

 次にこちら: 
 

清水研 『もしも一年後、この世にいないとしたら。』 文響社

 2003年以来、国立がん研究センター中央病院で精神腫瘍医として勤務してきた精神科医の著書で、これは間違いなく当方らの必読図書と思われる。パラパラとめくってみたところ「レジリエンス」がキーワードとして頻出しているようだが、A君は「タイトルと内容がいまひとつピッタリ合っていないような・・・」と言葉を濁した。
 まえがきの終わり近くに、こんな一節がある。人生の断捨離?

 「(精神腫瘍医として臨床経験を積んだ)その結果、なんと私自身の人生も変わりました。
 私の場合は大きな転職をしたとか、人生の賭けに出たというような、見た目の華々しい変化はなかったのですが、『あまり自分にとって大切ではないこと』と、『後回しせずに取り組んだほうがよい大切なこと』をきちんと区別できるようになりました。
 その結果、確信をもって日々が生きられるようになり、今は納得がいく人生に近づいたと感じております。」
(上掲書 P.8)
 
 高校の同級生で眼科医になっているK君というのが幅の広い読書家で、森有正とか南方熊楠とか、医学生時代の彼から手ほどきを受けた。ひどい筆無精でもう数年音沙汰なく、近況など皆目不明だが、昔このK君が「一冊の本を読んで一カ所でも心に残る部分があったら、その読書は成功であると誰かが書いてた」と教えてくれた。
 言葉通りとってよいなら、この二冊については既に成功確定である・・・ってことは、これ以上読まなくてもいいかな、ひょっとして。

 存命の喜び、日々に楽しまざらんや

Ω

2月の西行(下)

2020-03-05 07:04:42 | 日記
2020年3月6日(金)
(承前)
 明けて2月9日(日)が仕事日である。奈良へのアクセスにはいろいろあるが、大阪環状線の鶴橋で近鉄に乗り換えることが、このところ多い。大阪平野をまっすぐ東へ、生駒の山めがけて疾走する晴れ晴れした眺めが気もちよく、子どものように運転席の背後に張りついて前方を見つめる。この道を若さにまかせ、自転車でいっさんに駆けのぼった青年があった。
 鶴橋の駅ではJRから乗り換え改札を通って近鉄のホームへ。階段を降りたところに特急券の売り場がある。前に立った外国人旅行者が窓越しに "Nagoya !"と叫ぶのへ、布袋さんのようにどっしり座った若い駅員が、マスクをかけたまま何か聞き返している。肌の黒い、しかしアフリカ系とは違った顔立ちの男性旅行者は、相手の言葉が分からず首を振りながら "Nagoya, Nagoya" と訴えるばかり。布袋さんまた飽きもせず繰り返すのを聞けば、
 「何人ですかー?」
 「にん」が高く響くのんびりした関西訛りで、ひたすら枚数を尋ねているのである。ここがお節介の焼きどころ:
 "How many passengers? How many of you?"
 "Just one, I'm alone."
 「一人だそうです」
 「1,930円でーす」
 さあ、その後が大変。彼が一万円札を出したので、布袋駅員は千円札を1枚、2枚と数え始めた。その間、振り向いた気の毒な旅行者がこちらに向かって怒ること怒ること、
 "See? I'm one, I'm alone, nobody around, you can just see it, but he don't understand !   Just saying 'Nannin-desu-ka, nannin-desu-ka ?'  Stop it, I don't understand Japanese, and he don't understand ! "
 驚いたな、「何人ですか?」の意味はわからないのに "nannin-desu-ka? " はもう覚えちゃってる。"He don't" だなんてこのセンセイの英語も知れてるが、耳もアタマも実は良いのに違いない。それにしてもすごい剣幕、気もちは分からないでもないが、一言「アリガトー」って言ってくれても罰は当たるまいに。
 結局その言葉は聞けずじまいで、8,070円の釣り銭を鷲づかみにするや風を巻いて消えた。こちらは布袋さんから「奈良行きは目の前の快速、特急券不要」と教わってギリギリ滑り込む。

 しかし、どうしたもんかな。大阪から奈良・名古屋方面へ向かう外国人旅行客は、コロナ肺炎騒動でもなければ無尽蔵にいるはずで、その都度「nannin-desu-ka?」を繰り返すのでは埒があくまいに。
 "How many?" ぐらい言えたいが、実はそんなの要らない。「何人ですか?」と訊くからいけないので、人差し指なり親指なりを一本立てて「一枚ですか?」とか "Just one?" とか訊けば片づくこと。それも無理ならともかく一枚発券してやりなよ。足りなければ相手の方で追加請求してくるんだから。
 世界に誇るせっかくの大和路、こんなことで風評を台無しにするのはあまりにもったいない。
***

 さすが盆地、奈良は寒くて学習センターの手前で小雪が舞い始めた。そんな中を70名超の聴衆が熱心に集まってきている。事前調査によれば参加者のちょうど半数が奈良県内の在住者。となれば、講演テーマが何だろうが最初のスライドはこれに決まっている。
 皆様、おめでとうございます!
  

 いっぽう、参加者の3割は大阪府から来ていることも承知。なので次のスライドは、

 大阪の皆様は誠に残念でした。しかし「大関から落ちる時が引退する秋」と思い決めて実行した、この力士の潔さが清々しい。師匠の境川親方(元・小結両国)は角界きっての硬骨漢、恩師譲りの名親方になってくれるに違いない。

 続く話の中で、不可能を可能にする「場の力」に触れたのはいつも通り。昨日の思いつきで、場の力すなわち場力(ばりき)と洒落てみたが、ちょっとスベり気味だったかな。



 所長先生と5年ぶりにお目にかかった件については、項を改める。大過なく役目を終え、帰り道に登大路を少しあがって興福寺の入り口あたりを短く散策。



 近鉄奈良駅前で行基さんに御挨拶し、頭上を見上げたら・・・
 

あらためて、おめでとうございました。

Ω

2月の西行(上)

2020-03-04 22:49:29 | 日記
2020年3月5日(木)
 ほぼ一ヶ月前に書くはずだったこと。
 2月9日(日)に奈良学習センターで公開講演会、このため前日8日(土)に新幹線で関西に入った。
 その時点では知らなかったが、この日は日本棋院の棋士採用試験が行われ、張栩九段・泉美六段の長女である心澄(こすみ)さん(13歳)が合格してプロ入りを決めた。スーパーファミリーの4代目誕生、もっとも、そういう角度から騒ぎすぎて若い人たちに妙な負担をかけるのは愚かしい。それよりこちら、2014年9月のこの記事を懐かしく読み返す。つまらないことと思っても折々に書いておくものだ。さて、治勲さんはどんな祝辞を贈ったのかしらん。
 → 「かわいいやりとり」
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/ebdf0243a28c9d3b4ada8c75c6831e52

 のんびりした移動にするつもりで早く出たのに、家を出たとたん珍しくショートメッセージの着信音が鳴った。北海道在住の従弟からで、彼の父つまり僕にとって義理の叔父の容態が急に傾いたという。こちらは三代続く牧師の家系で、叔父はかつて活躍した大津で療養中である。今日の目的地である神戸に直行する予定を急遽変更、京都で新幹線を降りて在来線で二駅戻り見舞いに立ち寄った。
 例にない奈良出張、しかも思うところあって早めに出たのでなければ、この見舞いは成立しなかった。ここ数年こういうことが頻りに起き、人生が偶然の連鎖であるとは次第に信じられなくなっている。関西在住の叔父叔母よりも一時間早く病室に着き、しばらく水入らずで過ごした。語りかけても返事はないが、酸素マスク越しの眼が反応し、握り返す手の力が思いのほか強い。

 叔父が大津で牧師をしていたころ、こちらは名古屋に住んでいたから、週末は父が名神を飛ばして大津を訪れ従弟らと風呂に入ったりした。山好きの叔父に連れられて石鎚山に登ったのは高校二年の夏、雨で景色は少しも見えず、山小屋で逼塞していたっけ。
 叔父が京都教会に移ってからも、よく遊びに行った。西陣の堀川病院を見学の帰りに立ち寄ったら、「いいところへ来た、これから醍醐寺に行こう」という。醍醐寺ですって? 叔父はコーヒーを淹れるのが好きである。醍醐寺の水は美味と定評あり、「醍醐味」という言葉はそこから出たのだ、水をくんできてコーヒーを飲もうと講釈付きで、夏の盛りにのこのこ出かけていった。
 「醍醐味」の話はやや正確を欠いたようだが、そこは牧師であって仏教の専門家ではないのである。ともかく好奇心旺盛で「牧師」の定型におさまらず、至って磊落な人物だった。ポリタンクに水を満たして帰り道、「今日は甲子園で池田高校の試合やったな」とそわそわし始めた。野球を見るのも好きである。道沿いの団子屋に入って「池高どうなってますか」と叔父が訊いたら、「負けてますな」と愛想のかけらもない京都の挨拶。夏春夏の三連覇に挑む池田高校が桑田・清原のPLに、0-7でまさかの敗北を喫する瞬間を醍醐寺近くの団子屋で見た、つまりあれは1983年の夏だったのか。数々の武勇伝をもつこの牧師の甥ではあったが、まだ信徒ではなかった頃である。

 牧師館で約束通りコーヒーを振る舞われ、その足で東京へ戻った。乗り換えの大阪駅の売店にスポーツ新聞の号外が出ている。通りがかりの小学生たちが、
 「わ、PL勝ちよった!」「やったやった!」
 当然ながら大阪訛りで躍り上がったことなど、叔父の手をさすりながら思い出しては告げてみる。
 これが叔父との地上で最後の語らいになった。

Ω


連帯と同調

2020-03-04 10:36:08 | 日記
2020年3月4日(水)

 「連帯を求めて孤立を恐れず」
 安田砦の壁かどこかに記された有名な落書で、日本人の急所を突いた名文句である。

 これをきれいにもじったものがあって、
 「孤立が怖くて連帯できず」
 こちらは後年のたぶん天声人語? 見事に図星を指された感あり、以来折に触れて思い出す。

 このように「連帯」と「孤立」の狭間で懊悩葛藤したのが、昭和も半ば過ぎの青年像。もっとも「昭和」は60余年に及んだ。時間的な長さばかりでなく、その歴史内容において一元号の限界をはるかに超え、20年刻みで前・中・後期にざっと三分しただけでも、各意味合いはまったく違う。令和の人間が自分にとって古く感じるものを何でもかんでも「昭和」で括るのは、日本人お得意の歴史無視(虐待?)の卑近な例というものだ。それで「半ば過ぎ」などとせめてもの注釈をつけたのだが、気がつけば「連帯」はほとんど古語辞典に属する語彙になっている。
 レフ・ワレサらの「連帯」は原語で何というのか、ポーランド語のソリダルノスチ、英語の solidarity にあたるものらしい。ポーランド人にとっても、やや堅苦しい言葉のはずで、だからこその意味創出力があっただろう。デュルケムが「有機連帯 organic solidarity」ということを考えたともある、大根の育て方の話ではない。何しろこの言葉には輝かしい響きが、聞く耳のあるものにとっては伴っていた。花はどこへ行った?

 令和初年の超キーワードは「同調」で間違いなかろうが、「孤立」が死ぬより怖くて人がしがみつくのが「同調」だとすれば、上記の昭和セットの行間に既にその影はありありと浮かんでいる。むしろ「同調」の形に、戦前版・高度成長期版・バブル崩壊後版といった亜型を見るべきか。平成から令和に入ってそれは行間を抜けだし、社会の表舞台に踊り出た。
 同調圧力に振り回され煩悶する忙しい日々、「連帯」などはヒマ人の嗜好品。さしずめ
 「同調気にして連帯知らず」
 といったところか。
 ウィットもひねりもないな、これじゃ。

Ω
 

あおば通信

2020-03-03 10:18:12 | 日記
2020年3月3日(火)
 午後からA君のクリニックへ手伝いに行く。3月の予定はどれもこれも中止か延期だが、診療だけは基本的に休めないし、仲間の誰も簡単に休診などは考えない。
 そのA君から28日(金)にメールが来た。

 「おはようございます。新型肺炎大騒ぎです。異常事態です。クリニックの社労士にDVD見てもらいました。以下が感想です。肺炎編のあおば通信読んで下さい。宜しくお願い致します。 」(以下略)

 DVDというのは、昨夏Aクリニック主催の講演会で死生観/死生学について話したのを、業者さんに頼んでまとめもらったものである。話が右往左往するのは別に混乱してるわけではなく、彼はいつもこの調子なのだ。
 ブログ転載して良いかどうか、29日に問い合わせてこれが返信。

 「こんにちわ。あおば通信利用して頂いて大丈夫です。来週来られた時にはクリニックの外に個室が設置されているはずです。以前にインフルエンザ大流行で同様に個室を2部屋作ったのですが、患者さんから寒いなど不評でした。今回は悪評高い新型肺炎用のものなので不平は出ないはずと考えます。学校が全て休校など、本当にあきれた愚策です。宜しくお願い致します。」

 含み笑いしつつ、とにもかくにも転載させていただこう。原文は改行(段落替え)というものが全くなく、読みづらいのでそこだけ修正。現場の雰囲気と医師の熱意が伝わりますように。


あおば通信
クリニックからの話題です。ご一読下さい。
   院長 A.H. 2020年2月発行

新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)に対する当院の方針

 COVID-19流行でイベントが軒並み中止になり、A院長もいわきマラソンを走れずにがっかりしています。さらに追い打ちをかけるように、応援している浦和レッズの試合も含めてサッカー観戦が全て延期になりました。COVID-19の基本方針が国から出されて、中国からウイルスが入ってくるのを防ぐ水際作戦は失敗して(以前に新型インフルエンザの時も同様に失敗でした)、ある程度のウイルス感染は蔓延しても重症化防止で死亡者を減らすことに重点を置く方針にシフトしました。肺炎でも軽症の患者さんには自宅療養を求めています。
 感染者との濃厚接触者や中国からの帰国者は従来通り指定医療機関が受けることになっていますが、新型肺炎を一般クリニックでも軽症のものは診るようにとのことです。しかし疑わしい患者さんのタライ回しが起きているようです。
 一般クリニックで診る場合には問診時から、感染が疑われる方と一般患者さんの動線を変える必要があります。感染が疑われる方が電話してきたり直接に来られたら、まず車の中または院外に設置した個室で問診します。まだインフルエンザも流行っている時期であり、肺炎の診断のためには、最低限はインフルエンザ検査、胸Xp撮影と炎症の確認のための採血を行います。COVID-19が疑われれば保健所に連絡して指定医療機関受診の指示を待ちます。疑いがあるだけならば、Xp写真と採血データのコピーをお渡ししますので、症状がおさまるまで自宅療養して下さい。万が一に熱が再上昇するなど症状が悪化する場合は、当院までお電話頂き指示を仰いで下さい。
 若年者も感染したという情報はありますが、日本では死因第3位が肺炎になっているように、通常の肺炎と同様に基礎疾患のある70歳以上の感染者が亡くなっているのみであり、一般の方は感染しても重症化を恐れる必要はありません。致死率50%で殺人ウイルスと言われた西アフリカのエボラ出血熱ウイルスとは様相が大きく異なりますので安心して下さい。
 今回のウイルスは感染しても症状が出ない不顕性感染の患者さん(発症してないので患者さんと呼びませんが)が多数いる状況で、既に国内に広がっているのではないでしょうか。潜伏期間が短いインフルエンザとは様相がやや違いますが、感染率や重症化率はインフルエンザとほぼ同じです。インフルエンザ大流行時にもイベントなどを中止することはなかったはずで、東京オリンピックまでに新型肺炎を抑え込もうと大騒ぎしているだけと考えられます。日常生活に戻るためには、この騒ぎが早く収束するのを待つしかありません。
 政府はあと1~2週の期間が感染のピークを抑え込む山場と言っていますが、インフルエンザと違って新型肺炎に季節性はない様子であり、4月以降も当分騒ぎは続くものと思われます。

Ω