散日拾遺

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3月10日

2020-03-10 08:55:56 | 日記
2020年3月10日(火)
 かつてこの日に何があったかということが、ここへ来てようやく語られ始めている印象がある。たとえば下記。

 自分の成長期に8月6日・9日・15日の意味は聞き漏らすべくもなかったが、3月10日について意識したのはずっと後のことだった。むろんこれは象徴的な日付であって、事実上すべての日本の都市と、その住民が経験した惨劇の最も大規模な例に他ならない。ただ東京の場合に特筆されるのは、住宅密集地を周囲から中へ向かってあまさず焼き尽くし、住民を皆殺しにしようとする意志と計画性が空前絶後の成功を収めている点である。
 つらいできごとの記憶をことさら維持するのが、怨恨や憎しみの増幅のためであるなら愚かしいし、東京でわれわれに行われたことを、重慶でわれわれが行ったことと切り離すこともできない。記憶に促されて歩き出す方向を選ぶのは今の自分であるけれども、これほどの事実を知ることなしに、ぼんやり生きて幸せになれるとも思えない。
 上記サイトの筆致にどこまで共感するかは人にも依るだろうが、3月11日とあわせて3月10日を忘れまいとの呼びかけは至当なものである。3月をそういう月として過ごしたい。上中旬に歴史と苦難を振り返り、下旬の入りの春の彼岸に祖霊を思う。この季節が教会暦の受難節(レント)にあたるのも天啓と思われる。

 既に何度か書いたので手短にすませるが、かつて長期政権の首班をつとめ剰えノーベル平和賞を受賞した大政治家が、東京空襲の立案者であり遂行者であるカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章という本朝最高の栄誉を贈ったことは、われわれの国の「国柄」に関する重要な示唆を与えている。
 われわれの国家は、国民を守ることを第一の目的とは決して考えていない。その意味では、存在そのものが憲法違反のようなものである。それはたとえば、新型コロナウィルス禍の初期において困難を経験した一住民の下記の投書によっても知られ、日本の空を覆う米空軍の聖域を歴代政権が問題にしようともしないことからも裏づけられる。
 コンビニ強盗の濡れ衣を着せられかけた若者を、すんでのところで冤罪から救い出した母親が「こんな平和ないい国に生まれて、幸せやと思うていた自分が浅はかでした」と涙ながらに述懐したのも、やはりこのことにつながっている。


 編集者は「礼節を欠いた」と表現しているが、不正確ないし不十分である。欠けているのは礼節などという微妙なものではなく、「人権の尊重」という政治権力にとって最も重要なわきまえであり、困難のうちにおかれた国民の焦眉の急に対する想像力と配慮である。誰が担当しても難しい状況なのだから、個別の失敗や不手際をいちいち難じようとは思わない。ただ、基本的に顔がどちらへ向いているかが問題なのだ。1945年から今日に至るまで、この点でどれほどの進歩があっただろうか。

半藤氏のオピニオン / カーチス・ルメイ叙勲のこと
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/0f2946932814b707cac0a825697650bc 
秋の憂鬱
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/65fe29bacd2fd146c15932bf8464758c 
トト姉ちゃんの不思議/岡山は6月だった
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/8f9f207c5215fca5b948ff773bfb599d 
夏が来れば思い出す
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/3c079b276b5bafe0b3ff3eed286a7bc2 

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