散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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少年の戦い ~ 柿ノ木坂C.S.通信から

2017-02-08 07:44:35 | 日記

2017年2月8日(水)

 日曜日に発行された第467号から転載:

少年の戦い

 大学入試センター試験の季節になると、いつも思い出すことがあります。以前に勤めていた大学がセンター試験の会場校にあたっており、教職員総出で試験監督にあたりました。その中で私に割り当てられたのは、障害のある受験生のための特別室対応です。障害にもいろいろあることで、どんな受験生が来るのだろうと配られた書類を確かめると、「肢体不自由(筋ジストロフィー)」と書かれていました。一瞬、動揺を抑えられませんでした。

 試験当日、少年はお父さんの運転する車で会場までやってきました。長身のお父さんが荷台からてきぱきと車椅子を降ろし、少年を抱きかかえてそこに移します。華奢な体つきの少年は肩で息をしており、色白の涼しい目もとが少し赤らんで、さすがに緊張しているように見えました。

 お父さんは車椅子を押して机の前に固定し、筆記用具を机の上に並べると、一声励まして部屋を出ていきました。問題用紙のページをめくることは自分でできるので大丈夫、ただ筆圧が弱いのでマークシートに転記してやってほしい、それが私たちへの依頼事項でした。

  やがて試験開始の時刻になり、少年の戦いが始まりました。戦いはまずページをめくることからです。指でめくるのではありません。右手にもった、というより指の間にかろうじてはさんだ鉛筆の先を、そろそろと動かしてページの端に引っかけ、テコのように鉛筆を動かすと、薄っぺらい問題用紙のページがふわりとめくれるのです。何だか紙のページをめくっているのではなく、力とコツの要る特別な作業を入念に行っているかのようでした。

 事実それは力とコツの要る特別な作業だったにちがいありません。筋ジストロフィーは全身の筋肉が萎縮していく病気です。衰えの進んだ少年の手には、一枚の薄紙すら重い板のように感じられたことでしょう。

 思わず「めくりましょうか?」と声をかけると、少年は静かにきっぱりと頭を横に振りました。時間をかけて自分でページをめくり、そこに現れる物理の問題を一つ一つ解いていきます。軟らかい鉛筆を使っていても、鉛筆の重さと指の重さの圧だけで書かれる文字はとても薄く、しかもゆっくり書くことしかできません。頭の中は高速で回転しているのに、手が付いていかないのです。それでも少年は黙々と作業を続け、やがて全ての問題を解き終えました。薄墨で書かれたような答案を確認しながら、マークシートに私が転記していきました。

 帰る道すがら、どうにも悲しくてしかたがありません。帰宅した私は、よほど怖い顔をしていたのでしょう、小学生の長男はてっきり自分が叱られたと思ってベソをかきました。それで涙の堰が切れ、その晩は私も大泣きに泣きました。

 筋ジストロフィーにはいくつか種類がありますが、主要な型のものは予後がひどく悪いのです。原因はほぼ分かっているのに、根本的な治療法がまだありません。少年が志望の大学に合格できたとしても、果たして卒業するまで地上の時間が与えられたかどうか。そのことを重々承知のうえ、彼はセンター試験に臨みました。その勇気と戦いぶり、付き添ってきたお父さんの温かい笑顔を、この季節になると思わずにいられません。

  なぜ、この世にこんな苦難があるのでしょう?この問いに対する答を私たちはもっていませんが、苦難から目をそらさず意味を問い続けるよう聖書は励まします。「神の業が現れるため」(ヨハネ福音書 9:3)に、苦難と戦うよう勧めるのです。

 こんな戦いがあり、こんな風に戦う仲間がいることを、全国50数万の若い受験生たちにぜひ知ってほしいと思います。

Ω

         

(5頁目にもとても良い記事が載っているのですが、個人情報に関わるので残念ながら割愛します。)


メルボルンの夜空

2017-02-08 07:05:26 | 日記

2017年2月8日(水)

 勝沼さん、今月の福島はいかがでした?そして重ねてのコメントありがとうございます。こだわってますね、こういうこだわりは嬉しいものです。

 検証の件、了解しました。面接授業かガイダンスか、何かしらの校務にかこつけて・・・じゃない、校務のついでに夏の札幌訪問を計画してみます。御一緒できたら良いのですけれどね。そうそう、コース同僚のS先生は北海道出身ですから、そのうち伺ってみましょう。

 読者の皆さんの中に札幌在住の方はいらっしゃるでしょうか?情報提供歓迎します!

***

【メルボルンと同じ夜空の場所?】

 あれから色々調べてみたのですが、今のところ夜景の照明が日本と違って高圧ナトリウム灯だからというのが、一番可能性が高そうな説明と思われます。

 ヨーロッパやオーストラリアでは日本のように白色の水銀灯ではなく、高圧ナトリウム灯が街灯に使われています。照明探偵団のホームページ等で色んな国の夜景を見たのですが、確かに日本の街灯は白く狭い範囲だけが照らされるのに対して、ヨーロッパの街灯はオレンジで広範囲を照らしてるように見えました。その為か、夜空が少し明るく見えるような。。。でも、何か微妙です。。。

 で、何か確かめる方法はないだろうか。日本でも高圧ナトリウム灯の照明が使われれる場所はないだろうかと調べていたら。。。

 ありました! 札幌です。札幌の街灯は高圧ナトリウム灯を使っていて、ヨーロッパの夜景に近い暖かみのある感じになっています。

 というわけで、もし札幌に行って夜空がメルボルンと同じように明るいと感じたら、高圧ナトリウム灯によって夜空が明るく見えたという私の仮説が確かめられそうです。

 札幌にも放送大学の学習センターありますよね? 行かれた際はぜひ夜空の明るさを教えてください!

 Ω

http://blogs.yahoo.co.jp/jem77bf/53173828.html より拝借


本日、北方領土の日

2017-02-07 09:06:48 | 日記

2017年2月7日(火)

 今日は「北方領土の日」なんだそうだ。日露和親条約、手許の年表には「安政元年12月21日」とあるのが、西暦では「1854年2月7日」というわけである。この時、下田・函館・長崎の開港とあわせて、択捉・得撫両島間を(千島列島方面での)国境とし、樺太は両国雑居地とすることを取り決めた。これが「択捉までは日本固有の領土」という当方の主張の根拠になっている。

 僕は領土拡張主義者ではないし、国境を固定・強化して壁を作るよりも、国境越しの人や物の交流を平和裏に促進することによって国境を相対化することのほうが、理念的にも現実的にもはるかに上等だと信じている。ただ、国境について論じようというなら、日本政府もウヨクの面々もずいぶん遠慮するものだといつも不思議に思う。

 というのは、日露和親条約の続編ともいうべき千島・樺太交換条約(樺太・千島交換条約、サンクトペテルブルク条約)というものが存在するからで。これは明治8(1975)年5月7日に締結され、日本は樺太での権益を放棄する代わりに、得撫以北の千島18島を領土とすることを取り決めた。この時期、日本はまだ不平等条約下の半植民地状態にあったこと言うまでもない。政治的にも軍事的にも圧倒的な優位に立っていたのがロシアで、それを背景として政治的にも経済的にもはるかに価値の高い(とロシアが判断した)樺太を取ったことがはっきりしている。せめてもの引き替えに日本は千島列島を得た。1945年の敗戦の結果として日本に求められたケジメが「明治以降の軍事活動によって他国から切り取った領土の返還」ということであったのなら、千島全域はそれに該当しないこと明白である・・・と主張しないのかしら。

 ことのついでにおさらいするのだが、ポツダム宣言(1945年7月26日)の発信者は「合衆国大統領、中華民国政府主席、英国総理大臣」つまり米・中・英であってソ連は入っていない。同宣言は「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに我々の決定する諸小島に限られねばならない」としているから、千島の帰属はこれら三国の「決定」に委ねられる理屈だろうが、ソ連はいわばポツダム宣言に便乗しながら、それに拘束されないものとして独自に行動した。スターリン自身は北海道侵攻にかなり乗り気だったのを、モロトフやジューコフに止められた経緯を以前どこかに書きとめた記憶がある。

 ヤルタ会談は1945年2月4~11日である。既に消耗しきっていたF.ルーズペルトがスターリンの意のままに譲歩を重ねるのを、チャーチルがブルドッグのように切歯扼腕しつつ傍観した経緯が、今日ではよく知られている。ルーズベルトはスターリンにたいそうな置き土産を遺して4月12日に他界した(1882-1945)。後はスターリンのやりたい放題で、こう見ると1944年あたりからのFDRはおよそろくなことをしていない。仮に僕がアメリカ人だとして、アメリカの国益という観点から見て「ろくなことをしていない」という意味である。ついでながら第31代大統領だったフーヴァーは、「そもそも日本との戦争の全てが、何が何でも戦争に突入したいという狂人(ママ、もちろんFDRのこと)の欲望だった」と書いているらしい。古き良き共和党精神にとっては、まことに狂気と映ったことだろう。

 何しろソ連はヤルタ・ポツダム体制で大いに利得を占めながら、微妙にその主流から外れた位置をとり続けた。実にしたたかなもので、この結果日ソ平和条約は戦後70年以上を経て依然未締結、ポツダム宣言の趣旨に沿って領土問題で抗弁しようにも「あれにはウチは加わっていない」ということになりかねない。交渉の制度的な土台がないところで実力を背景にした強談判に終始すること、日露和親条約の時代と大差ないということになるのかな。誰が担当しても難題に違いない。

 朝のお勉強でした。

 

 ヤルタ会談の有名な写真、Wikiよりコピペ。FDRの憔悴ぶりとスターリンの満足げな無表情に注目。

Ω

 


未解決の白夜問題 / 球根の歌

2017-02-07 07:57:45 | 日記

2017年2月7日(火)

 メルボルンの「白夜」問題、実はまだ未解決である。サマータイムと標準時の関係で同地の「夜」が早く始まる(あるいは遅い時間帯まで昼がずれこむ)ことを考慮しても、やはり夜空が明るいというのだ。これ、この通り。

 勝沼さんもまじえて鳩首会議、結論は出ず。どなたかお分かりでしたら教えてください。『神々の指紋』を読んで以来、南半球に対する畏怖の念がいっそう高まってちょっと落ち着かないのですよ。南極の氷が溶けたら、海面上昇よりもっとおっかないことが起きそうな気がします。

***

 ma_ko さんのお父様は碁をお打ちになるのですね、いつか御指南いただきたいものです。ma_ko さんも教わったらいいのに。碁盤をはさんでパチンパチンやりながら語らうのは、ことのほか楽しいものですよ。

 みかりんさん、たくさんのコメントをありがとうございます。眠ることに罪悪感は必要ありません。どうぞ御安心ください。「悪いやつほどよく眠る」なんていう言葉もあるぐらいで、落ち着かない眠りは繊細な良心の裏返しでもあるけれど、あなたが眠っている間も代わりに目覚めている存在があると思えばね。

 「どうか、主があなたを助けて足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。

 見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない」

(詩編 121)

 

 「ヒヤシンスの球根3つの鉢植えを頂きました。ヒヤシンスはなにも喋らないけど、すごい成長ぶりで、みるみる花が咲きそうです。息子は眠っていても、ヒヤシンスのように成長している気がします。」

 美しい言葉、深い感慨をありがとうございます。それで思い出した讃美歌を下記に載せておきましょう。Natalie Sleethe というアメリカ人女性の作詞・作曲だそうですが、訳詞が珍しいぐらい日本語としてこなれています。YouTube にいくつか音源が挙がっていますが、どれもしっとり歌いすぎてイマイチかな。ややアップテンポで声を励まして歌うぐらいが、かえって良いはずです。面白いぐらい気もちよく涙が出てきますから。

1  球根の中には 花が秘められ、さなぎの中から いのちはばたく。

  寒い冬の中 春はめざめる。その日、その時を ただ神が知る。

2  沈黙はやがて 歌に変えられ、深い闇の中 夜明け近づく。

  過ぎ去った時が 未来を拓く。その日、その時を ただ神が知る。

3  いのちの終わりは いのちの始め。おそれは信仰に、死は復活に。

  ついに変えられる 永遠の朝。その日、その時を ただ神が知る。

 http://sanbika.net/In_the_bulb_there_is_a_flower.html

 (他の読者さんがびっくりしそうなお話は、どうぞメールでくださいね。)

 Ω

 


トランプ談義の帰り道

2017-02-02 09:11:29 | 日記

2017年1月29日(日)に遡って・・・

 単位認定試験のお手伝いに専任教員も出かけるのだが、むろん実働部分はすべて学習センターのスタッフが担っていて、これは相当たいへんな業務である。途中で引き上げるのも申し訳ないが、万事御下命通りということで、入れ替わりに出てこられたQ先生と引き継ぎかたがた小歓談。Q先生は政治学者なので、つい話はそちらへ行く。

 「トランプ、大統領になっちゃいましたね」

 「う~ん」

 やっぱりそのことですかといった表情。それから考え考え、僕にわかる程度のことを話してくださる。

 「誰がなっても大きな動揺がないようにシステムを作ってあるわけですけれど、想定を超える動揺の大きさですからね。ここだけの話、これまでだったら失脚するか暗殺されるか。まあしかしデモクラシーについて言えば、僕などのように延々ギリシア以来の歴史を日頃から追っていると、あまり慌てもしません。歴史の中ではデモクラシーというやつは基本的に人気のないもので、ここ1世紀ほど例外的に表舞台に立たされただけですから」

 「長い歴史の中を、打たれ強く生き延びてきた?」

 「まあそんなぐあいです。」

 "England muddles through." という言葉があったっけな、"Democracy also muddles through." ってとこか。

 「ヨーロッパは大丈夫でしょうか?」と訊くと、先生頷いて、

 「アフリカがカギでしょうね。」

 「アフリカ?」

 「中東の難民があふれ出すことによってヨーロッパの本音が引き出され、EUが危機ってことになったわけです。しかし本当に危ないのはアフリカですよ。中東だけでこの状態なのに、アフリカがパンクしてそこからの難民があふれ出したら、もうヨーロッパはもたないでしょう。遠い向こうの話のようだけど、日本の場合は北朝鮮の問題があります。いずれ瓦解したときに生じる難民の流れを、日本はどう受けとめるのか受けとめないのか、問題は既に始まっているんです。それからね・・・」

 一息入れた。

 「マクロの問題とは別に一人一人の内面の問題もあるわけです。システムが機能しなくなって、神のごとき強権的なリーダーが台頭する状況で、人々がものすごく不安になっているでしょう、特に我々のほとんどは先生と違って信仰をもちませんから、」

 「・・・私、そんなこと開示しましたっけ?」

 「いろんなところで漏れうけたまわってます。ともかく信仰なき者たちの不安は、人が今考えている以上に大きいと思いますよ。カルトが流行るのもこういう背景のあることでね・・・」

***

 5分間に教わることが山ほどあり、専門家とは話してみるものである。しかし信心のことなんか、どこでバレるのかな。年末のお楽しみ会を「クリスマス会」と呼ぶ件だって、敢えて内心の不服を表さずにおいたのに。

 水曜日の指定医更新手続きに写真が必要なので、最寄り駅前の3分写真に立ち寄ると先客がある。カーテンの下から男ものの靴が覗き、外に立った女性が事細かに世話を焼いている。赤い枠、見えるでしょ、アゴを引いて、引きすぎ!サイズを選ぶのよ、サイズ、頭傾けないで、瞬きしちゃダメよ・・・

 息子さんの受験かなと微笑ましく、三月並みの温かさを幸いのんびりと待つ。やがて撮影し終わって出てきたのは、僕より少し若いぐらいの壮年の男性。御主人であらせられましたか、目が合って思わずへどもどしてしまった。三村智保九段にちょっと似た、忍耐強そうな口元である。じゃ先に帰っててね、ドラ焼きでいい?ドラ焼きね。

 僕もひとつください、などと呟きながら、まだ温かい椅子に座った。顔が画面の下に外れてしまう。ドラ焼きが好物の三村もどきさん、あんがい座高が高いんだね。

Ω