2017年2月8日(水)
日曜日に発行された第467号から転載:
少年の戦い
大学入試センター試験の季節になると、いつも思い出すことがあります。以前に勤めていた大学がセンター試験の会場校にあたっており、教職員総出で試験監督にあたりました。その中で私に割り当てられたのは、障害のある受験生のための特別室対応です。障害にもいろいろあることで、どんな受験生が来るのだろうと配られた書類を確かめると、「肢体不自由(筋ジストロフィー)」と書かれていました。一瞬、動揺を抑えられませんでした。
試験当日、少年はお父さんの運転する車で会場までやってきました。長身のお父さんが荷台からてきぱきと車椅子を降ろし、少年を抱きかかえてそこに移します。華奢な体つきの少年は肩で息をしており、色白の涼しい目もとが少し赤らんで、さすがに緊張しているように見えました。
お父さんは車椅子を押して机の前に固定し、筆記用具を机の上に並べると、一声励まして部屋を出ていきました。問題用紙のページをめくることは自分でできるので大丈夫、ただ筆圧が弱いのでマークシートに転記してやってほしい、それが私たちへの依頼事項でした。
やがて試験開始の時刻になり、少年の戦いが始まりました。戦いはまずページをめくることからです。指でめくるのではありません。右手にもった、というより指の間にかろうじてはさんだ鉛筆の先を、そろそろと動かしてページの端に引っかけ、テコのように鉛筆を動かすと、薄っぺらい問題用紙のページがふわりとめくれるのです。何だか紙のページをめくっているのではなく、力とコツの要る特別な作業を入念に行っているかのようでした。
事実それは力とコツの要る特別な作業だったにちがいありません。筋ジストロフィーは全身の筋肉が萎縮していく病気です。衰えの進んだ少年の手には、一枚の薄紙すら重い板のように感じられたことでしょう。
思わず「めくりましょうか?」と声をかけると、少年は静かにきっぱりと頭を横に振りました。時間をかけて自分でページをめくり、そこに現れる物理の問題を一つ一つ解いていきます。軟らかい鉛筆を使っていても、鉛筆の重さと指の重さの圧だけで書かれる文字はとても薄く、しかもゆっくり書くことしかできません。頭の中は高速で回転しているのに、手が付いていかないのです。それでも少年は黙々と作業を続け、やがて全ての問題を解き終えました。薄墨で書かれたような答案を確認しながら、マークシートに私が転記していきました。
帰る道すがら、どうにも悲しくてしかたがありません。帰宅した私は、よほど怖い顔をしていたのでしょう、小学生の長男はてっきり自分が叱られたと思ってベソをかきました。それで涙の堰が切れ、その晩は私も大泣きに泣きました。
筋ジストロフィーにはいくつか種類がありますが、主要な型のものは予後がひどく悪いのです。原因はほぼ分かっているのに、根本的な治療法がまだありません。少年が志望の大学に合格できたとしても、果たして卒業するまで地上の時間が与えられたかどうか。そのことを重々承知のうえ、彼はセンター試験に臨みました。その勇気と戦いぶり、付き添ってきたお父さんの温かい笑顔を、この季節になると思わずにいられません。
なぜ、この世にこんな苦難があるのでしょう?この問いに対する答を私たちはもっていませんが、苦難から目をそらさず意味を問い続けるよう聖書は励まします。「神の業が現れるため」(ヨハネ福音書 9:3)に、苦難と戦うよう勧めるのです。
こんな戦いがあり、こんな風に戦う仲間がいることを、全国50数万の若い受験生たちにぜひ知ってほしいと思います。
Ω
(5頁目にもとても良い記事が載っているのですが、個人情報に関わるので残念ながら割愛します。)