散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

土曜の朝8時の憂鬱

2016-07-23 08:47:17 | 日記

2016年7月23日(土)

 人が降りて、人が乗り込んでくる。人の流れを見るともなく眺めていると、視野の中央に若い女性が立った。何の気もなくそのままそちらを眺めていたら、やおらじろりと一瞥された。

 「あさが来た」の主演女優に負けないほどの、眼窩からこぼれ落ちそうな白目玉が明白なメッセージを叩きつけ、いわゆるガンを飛ばされた形である。

 「おまえの視線と存在が許容しがたくウザいのだ、直ちに視線を移すか、いっそ立ち退くべし」と、文字にすればそういうことのようで、イライラして今にも噛みつかんばかりの敵意がこもっている。

 おおこわ!

 しかし困ったな、先からここにいたこちらの視界の中に、そちらさまが入り込んでいらしたのですけれどね。

 だいいち僕はただのんびりボンヤリしていたいだけなので、視野の中に不機嫌と敵愾心丸出しの異物が侵入したうえ、指図がましくガンなんぞ飛ばされるのは実のところけっこう迷惑もあり不快でもある。

 こちらが場所を変える云われもないよなと軽く意地を張ってアゴを挙げ、見たくもない吊り広告なんか読んだりしている。天皇陛下生前退位、都知事選候補、リオ五輪、テロ…

 そのうち視野の端で、女性がうつ向いてアクビを一つ噛み殺した。眠いの?ゆうべちゃんと寝た?左耳から落ちたイヤホンを面倒くさそうに入れ直す。ひどく疲れているようでもある。

 黒い靴は金色の洒落た縁取りがついて外出仕様だが、ロングスカートにカーデガンは仕事よりも寛いだ余暇向きのものと見え、髪はいちおう櫛が通っているものの、微妙な梳き崩れがある。ブランド品だかまがい物だか僕には区別のつかない手提げバッグが、みっちり入った中身の嵩を示すようだ。

 次の駅で早くも女性は降りていった。土曜の朝、午前8時の白金台。苛立ちの発信源が遠退いていく背中をホッとして見送っていると、あるストーリーがふと脳裡に浮かび、瞬時に疑いのない事実として定着した。

 そうなんだ、それで見られたくなかったんだね。

 大変だったね。

Ω


・・・へGO!

2016-07-23 07:11:03 | 日記

2016年7月23日(土)

 橋口誠志郎さま、PGO配信開始の日にタイムリーなコメントありがとうございます。それにしても、変わらず愛読してくださってるのですね。それではこの泡沫ブログも、もうしばらく続けますか。引き続きよろしく。

 単位認定試験が始まり、今日はその関係の校務出勤、気をつけて行ってきます!

・タイトル Unknown

・コメント こんなものを見かけました。 ↓

https://twitter.com/bobkairo_/status/755581347981164544

Ω

 

 

 


共感都市理論へ

2016-07-22 07:19:57 | 日記

2016年7月22日(金)

 被爆二世さん、首を長くしておいででしたね。ソッコーのコメントをありがとうございました。

 そしてよくぞおっしゃった・・・と言いますのも、御指摘のフレーズ「One for all, all for one」を、私も講演の中でコリント書の引用とあわせて使ったからなんです。 気が揃いましたね!

 (これ ↓ が証拠です。)

 

 「ひとりは万人のために、万人はひとりのために」 ~ 正確な出典を私は知りません。デュマでしょうか?出どころは分かりませんが、使用例は沢山あるでしょう。ロシア革命でも語られたというのは怪しげな耳学問ですが、そうであっても不思議はなかったと思います。

 注意しなければならないのは、こういう物言いには情緒的な色彩が強く、容易に全体主義的な文脈に絡め取られる危険のあることです。それを拒否しながら自律/連帯のスジをしっかりたぐっていけるような、強靱な理論武装が求められているでしょう。その意味で目からウロコの体験をしたのは、手前味噌のようですが放送大学の『死生学入門('14)』でした。もちろん、私が書いた章ではなくありません。第15章/回で山崎浩司先生が紹介しておられる「共感都市理論」は、有力なロジック候補ではないかと期待するものです。シラバスを転記します。

***

「第15回 死生学の理論と展望

 本コースのまとめとして、死生学の基本的な共通言語たるべき理論をいくつか概観しつつ論じる。取り上げるのは、死のタブー化論、公認されない悲嘆論、環状島理論、共感都市理論であり、いずれも死生学原産とはいいがたいが、この学際的な学問の基盤を固め、今後の発展を促すと考えられる理論である。最後に死生学の展望についても若干考察し、核・原子力の問題に取り組んでゆくことが、特に日本の死生学にとってひとつの重要な役割であることを示唆したい。

 担当講師: 山崎 浩司 (信州大学准教授)

***

 被爆二世さんにとって、福島のことが「ついつい他人事」であるというのは、私にはいささかショックでした。しかし、福島県内に長らく住んだ経験がなかったら、私にしても同じだったかもしれません。人は自分の体験の枠から出るのが難しいものです。だからこそ、末尾にお書きになっているとおり「想像力」と「共感」が急所になるのですね。そう思っているところへ、個人心理の用語である「共感」を「都市」と接続させるアイデアに目からウロコが落ちた(この表現の出典は新約聖書の使徒言行録)わけですが、もちろん全てこれからです。救急車の走行を平然と妨害し、震災後の計画停電を単なる迷惑と受けとめるような、非共感的(反共感的?)な風景のほうこそ私たちの都市の現実なのですから。

 あらためて、コメントありがとうございました。

Ω

 


自律と自由の件 ① 福島で話したこと

2016-07-21 11:00:15 | 日記

2016年7月21日(木)

6月13日の被爆二世さんの質問から、1か月以上も経ってしまった。放擲してあったのではなく、なかなか言葉にならなかったのである。

「自律は単独で達成できることではなく、自由は不自由の中で育まれる」
ということについて、日本での人生の目標の変遷といいますか、精神的な不安定さに繋がっているのかとも考えていた所で大変興味があります。良かったら、もう少し、石丸先生のお考えを詳しく説明して教えていただけませんか。

関心をもってくださってありがたいことである。ひょっとすると、質問者の関心のありようとは若干方向がズレているかもしれないし、どのみちうまく説明できるか覚束ないが、ともかくやってみよう。

*****

 6月11日(土)のTA協会の大会は、「生き抜く ”自律の因数分解”」をテーマに掲げて開かれた。例年東京で開かれる同協会としては例外的に福島の開催、意図は明確で「被災地の自律をいかに回復するか」が共通の関心事としてある。逆に言えば、依然として被災地は自律できていないという自己認識が、主催者らにある。そして、「回復」とか「復旧」ではなく「自律」に注目するところにひとつのポイントがある。自律とは何か、自立とどう違い、どのように関連するか、これは相当な難問である。

 難問の本丸はとりあえず横に置き、二の丸か三の丸ぐらいからいこう。「どうしたら自律できるか?」このテーマを、地元の人々は基本的に自分の問題として考えている。あるいは、もっぱら自分の問題として考えている。あたりまえのことかもしれないが、ふとこの「あたりまえ」のおかしさに思い至った ~ あるいは思い出した。福島の自立/自律を「もっぱら」福島の問題として考えるのは、あたりまえではないし正当でもない。

 早い話が放射能汚染である。福島の自律を妨げる要因の最大のものだが、それは福島のローカルな問題によってもたらされたものではない。原発はナゼそこにあったか、誰のための電気を作りだしていたか、敢えて単純化するなら首都圏のための電気である。ここでは「東京」と言っておこう。東京の産業と生活を成り立たせる膨大な量の電気を作り出すために、福島に原発が置かれた。原発とともにリスクもそこにもたらされた。成果は東京に、リスクは福島に、そういうことである。

 それがいけないというのではない。成果の分布とリスクの分布は常に一致するものではないし、むしろ不一致/非対称が生じることのほうが多いだろう。広域経済圏と地域分業が現代社会の不可避の前提であることの、ひとつの現れに他ならないともいえる。ただし、そこにはそれなりの手当が必要である。非対称が許容されるためには「原発がもたらすリスクに応じて適切な対策が準備され保証されている」という条件のあることが前提となる。そしてこの場合の「適切な対策」とは、原発の設置に伴う見返りの経済的利益のことではない。そんなのは力学に言う作用・反作用みたいなもので、give & take の社会であれば当然生じてくる結果に過ぎない。ここで言いたいのは、モラルと想像力に関わることだ。

 くり返すが、「東京」の産業と生活が必要とする膨大な量の電気を作り出すために、福島に原発が置かれた。原発とともにリスクもそこにもたらされた。そうであるならば、いったんリスクが弾けて巨大な苦痛が生じたとき、原発から恩恵を受けていた立場にあるものは、その苦痛をも共有するのが当然ではないか。

 現実には苦痛は十分に共有されていない。そうした共感(性)の不足・欠如が福島の自立/自律を阻む最大の要因ではないか、あるいは福島が悩んでいるのは放射能汚染以上に、放射能汚染がもっぱら福島の問題と見なされている現状にあるのではないか。精神障害者が障害そのものよりもそれがもたらすスティグマに苦しむ(『パラダイム・ロスト』)ように、福島の自立/自律を阻むのは放射能汚染そのものよりもそれがもたらす疎外と汚名ではないのか。

 いつもにまして観念的だと非難されそうである。そのような共感不足によってどんな「現実的な」問題が起きているか、そのことが問題だろう言われそうだ。けれども、ここで言いたいのはまさに「観念」のことである。「意識」と言い換えてもよい。人間が社会的存在だというのは、社会を覆う無形の観念や意識がその人間のありように現実的な影響を及ぼすということだ。その影響を伝えるのが「情報」であり言葉である。(精神疾患を患う人々への情報の影響力については項を改めて述べるが、その浸透力には恐るべきものがある。)

 このあたり、講演当日も結局うまく論じられずにいたところを、主催者のSさん 〜 南相馬で臨床心理士として活動を続けている福島出身の 〜 が後で見事に補ってくれた。震災後まだ日の浅いある日、Sさんが仕事で東京を訪れ電車に乗っていると、ビジネスマンらの話し声がする。「福島に津波が来たからって、何で俺たちがこんな不自由しなくちゃいけないわけ?」そう聞こえた。彼らは計画停電についてボヤいていたのである。「福島のリスクと実害」が東京にとってどれほど「他人事」であるか、それを鮮やかに示す逸話(実話)である。その場で相手につかみかかりたい気もちを、Sさんはすんでのところで抑えたという。僕が言いたいのはこれら一連のことである。

***

 自律とは高度に心理的・心理学的な現象である。仮に同じ不自由がそこにあったとしても、それを皆が一体として経験・共有できていれば、不自由の質ははるかに耐えやすく風通しの良いものになるだろう。いまだに自律できていないという自覚が福島の当事者にあるとせよ。彼ら自身が「十分に為しえていない」という事実と認識はそうした事態の半分にすぎない。残りの半分は彼らが隔てられ、忘れられ、他者として見られていることにあるのではないか。自律は単独では達成できないというのは、そういう意味である。そしてこのことは震災と福島の関係だけにあるのではなく、基地と沖縄の関係だけにあるのでもなくて、潜在的にはすべての超域的な事態に伴って常にあることなのだ。お互いが個を超えて支え合う構造が事実以上にモラルの面で確かに存在しなければ、個々の単位の自立/自律は成立し得ない。僕はそう確信する。

 ここで注意したいのは、「福島は自律できていないが、東京は自律できている」といった非対称は、本当はあり得ないということだである。むろん言葉の定義にもよることで、物質的に苦労しないことだけで「自律」と呼んでよいのなら「電力の供給元を福島から他の原発に切り替えることによって、東京は自律できている」という言明も可能だろう。しかし、それは少なくともTA協会の人々が問題にしている「自律」とは遠く隔たっている。その場合、東京は自律しているのではなく搾取している。相手を転々と変えながら搾取し続けているに過ぎない。

 それで良いという立場もあり得るが、それは排外的な東京至上主義であって、地域を越えた互恵連帯も日本社会全体の統合性もそこには存在しない。搾取は常にその対象がなければ成立しないという意味で、自律ならぬ自律喪失の典型的な形にである。だから福島が回復できないうちは東京も回復できない、回復と自律は少し違うというのはここで、「共に回復できていない」状態を共有し対等のパートナーとして回復の努力をすることによって、自律は一歩先に取り戻せるだろうという希望をもつからだ。自律とは「何が達成されたか」ではなく、「どのように活動しているか」に関わる概念だと思う。個の内面的な構えに関わることであるとともに、個を超えた関係性にかかわる概念でもある。

 ・・・てなことで、たいそうな話の結びは陳腐なもの、下記の引用をもって話を締めくくった。

 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(第一コリント12章より)

 被爆二世さん、さしあたり以上です。御質問への答えになっていますか?(この項続く)

Ω


怖くてたまらない・・・

2016-07-21 08:07:42 | 日記

2016年7月21日(木)

  現在既に日常の路上がスマホ歩き・スマホ自転車で相当危険な状態にある。そこへこんなものが加わったら、何が起きるか分からない。さぞかし儲かるだろうが、またとんでもないものをつくってくれたものだ。ともかく怖くてたまらない。朝日デジタルから特に全文を転載しておく。(http://digital.asahi.com/articles/ASJ7J3JWHJ7JPLFA001.html?ref=nmail)

*

【ポケモンGOもうすぐ日本に 人気加速、一方トラブルも】

 スマートフォンのゲーム「Poke(eはアクセント付き)mon GO」(ポケモン ゴー)の人気が加速している。米国では1日当たりの利用者が2500万人超と、スマホゲームとしては過去最多になった。遊べる国は約35まで増えていて、日本でもまもなくサービスが始まる。スマホを片手にポケモンを探す人たちは世界中に広がり、社会現象となっている。

 ポケモンゴーは、街のあちこちにいるポケモンを集めるゲームだ。他の人が持つポケモンと自分のものを戦わせることもできる。米国では7日(日本時間)のサービス開始から、利用者が急増している。米調査会社サーベイモンキーによると、1日当たりの利用者が2500万人を超える日もあった。2013年にパズルゲーム「キャンディークラッシュ サガ」が記録した約2千万人を上回り、米国では過去最多になったという。

 別の調査会社によるとアップルの基本ソフト「iOS」の利用者で1人が1日に費やした平均時間は、11日時点で約33分とフェイスブック(約22分)を抜いた。

 ポケモンは登場から20年を迎え、子どもから大人まで世界の幅広い層に親しまれている。捕まえて自分のものにするという「昆虫採集」にも通じるような喜びが人気の秘密だ。

 ポケモンは米大統領選にも「出没」している。不動産王トランプ氏の陣営は、ポケモンゴーに似せた画面にクリントン前国務長官の写真と「いかさまヒラリー ノー」の文字を入れた動画を、フェイスブックに投稿した。

 クリントン氏の陣営は16日、ゲームのアイテムが入手できる場所となっているオハイオ州の公園で集会を開いた。ウェブサイトの案内には「子どもも歓迎!」と書かれている。人気にあやかり、若者層への浸透を図ろうとしている。

 一方で事件や事故につながるケースが続いている。米メディアによると、16日、フロリダ州で深夜に他人の家に近づいた10代の2人が強盗と間違えられて撃たれた。けがはなかったという。13日にはカリフォルニア州で20代の男性2人が崖から転落し、けがをした。警察は立ち入り禁止場所に入らないよう注意を呼びかけている。オハイオ州では10代の3人が原子力発電所の敷地に侵入したという。

 ほかにも各国で交通事故や危険な場所への立ち入りが報じられている。ボスニア・ヘルツェゴビナでは地雷原にプレーヤーが入り、インドネシアでは軍用地でフランス人男性が拘束された。

 ワシントンのホロコースト博物館や、戦没者を追悼するアーリントン国立墓地などは、敷地内でのプレーをやめるよう呼びかけた。任天堂などと共同で企画した米ゲーム会社「ナイアンティック」に、ポケモンが出現する場所から外すように求める施設も出ている。

 個人情報の扱いも懸念となっている。米セキュリティー専門家によると、当初はiPhoneから利用登録にグーグルのアカウントを使うと、どこまで個人情報を求めるかが明確ではなく、アカウント情報すべてを要求しているようにも見られた。ナイアンティック社は「実際には情報は集めていない」と釈明し、メールアドレスやユーザー名にしかアクセスしていない、としている。

 米上院のプライバシー小委員会のフランケン議員は12日の声明で、「不必要に個人情報を集めているのではないかと懸念している」と指摘した。ナイアンティック社に、情報の使用目的などについて質問状を送ったという。(サンフランシスコ=宮地ゆう、ワシントン=五十嵐大介)

■ マックと連携、集客に利用

 ゲーム運営会社と外食チェーンなどが手を組み、人を呼び込もうという新たなビジネスも生まれている。

 日本マクドナルドホールディングスは20日、ポケモンゴーとの連携を近く実施すると発表した。詳細は公表していないが、プレーヤーがマクドナルドの店舗に立ち寄れば、ゲームに必要なアイテムなどが手に入る。国内に約2900ある全店が対象となる。

 ポケモンゴーを開発したナイアンティック社は、もとは米グーグルの社内ベンチャーだ。地球上の地形や地図を映し出すサービス「グーグルアース」の開発者らが立ち上げた。スマホのGPS機能を活用した「位置情報ゲーム」と呼ばれる分野で成長してきた。

 代表作がポケモンゴーの土台ともなった「イングレス」だ。公園や史跡など登録された拠点の近くに行って、スマホを操作して奪い合う陣取りゲーム。ダウンロード数は12年の発表から世界で1500万を超えている。

 このゲームではローソンが14年から、各地の店舗をアイテムなどが手に入る拠点にしている。企業だけでなく、各地の自治体が観光振興にイングレスを生かす取り組みもある。ナイアンティック社の須賀健人・アジア統括マーケティングマネージャーは「プレーヤーが歩くことで、各地の魅力を再発見する効果も期待できる」と話す。

 大手メディアも熱い視線を送る。フジテレビジョンは2月、ナイアンティック社に資本参加した。世界で販売できる番組やゲーム作りをめざすという。大多亮常務は「位置情報ゲームはこれから色々な形で応用できる。我々のコンテンツづくりと親和性がある部分もあって、面白く新しいものを一緒につくっていきたい」と意気込む。

■ 課金や個人情報に注意

 日本では欧米よりもサービス開始が遅れ、早くプレーしたいという期待が高まる。20日に1学期の終業式があった小中学校もあり、これからの夏休みには多くの子どもたちがポケモン探しに出かけそうだ。ただ、マナーを守らないと、トラブルにつながりかねない。

 スマホ画面を見続けながら歩くのは危険だ。交通事故に遭ったり、崖から落ちたりするケースが報告されている。

 画面を見続けていなくても、ポケモンがいる場所に近づくとスマホが振動して知らせてくれる。確認できたら急いで近づかなくても捕まえられるため、慌てて走らないようにしたい。

 プレーするときは立ち止まるのが原則だ。自動車や自転車を運転しながらスマホを使うのは、法令違反となる。

 私有地に勝手に入ることも控えよう。不法侵入だとして、大きなトラブルにつながりかねない。

 子どもだけで外出することが少ない海外では、「必ず2人以上で出かける」「夜間は出歩かない」といった呼びかけもされている。親は子どもが駅のホームや水辺といった場所で遊ばないよう、指導することも求められる。

 基本プレーは無料だが、ゲームが有利になるアイテムはお金を払って手に入れることができる。熱中して大量に買うと、思わぬ出費になる恐れがある。

 ゲームに登録する名前にも、配慮が必要となる。実名など個人が特定されるものにすると、遊んでいる場所などが他人に知られる可能性が指摘されている。

 一部の学校では子どもや親に、こうした注意点を伝えた。新潟市では弁護士団体が教育委員会に、小中学生がトラブルに遭わないよう指導することを求めた。内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)もネットを通じて、トラブルを避けるように呼びかけている。(西村宏治)

Ω