2016年3月23日(水)
スティグマ stigma は烙印という意味で、基本的にはネガティヴかつ禍々しいものでしかないが、これが逆説的に貴い意味をもつ用例がある。いわゆる聖痕というやつで、信心も極まった信徒の脇腹に十字架の主と同じ槍傷が生じ、掌に釘跡が浮かぶという態である。事実そういう現象があることを疑う理由はないし、超自然というよりは人の心身機能に備わった自然な可能性の、少々レアな発露に過ぎない。
誕生日が嬉しいという感覚を失いつつあったところ、今年は思いがけない驚きあり、人生がぐるっと一回転して振り出しに戻る感じがしている。その前々日、西下する長男の日程にあわせて前祝いの飲食をむさぼったあたりから、身体に妙なことが起きた。不意に左の股関節周囲に違和感が生じ、半日の間にはっきりした痛みに発展したのである。朝の出勤時はすたすた歩いていたのに、夕の帰宅時にはびっこを引かずに歩けない。(「びっこ」は使用禁止だって?おとといおいで!)電車内で杖をついている老婦人(実は僕と同年齢?)に座席を譲ろうとして笑って断られ、座り直す自分の方がヨタヨタしている。その晩は特定の体位でないと痛くて眠れない始末で、いったいどうしちゃったのか?
痛みは大腿骨の骨頭周辺から、複数の方向に放散している。確かに股関節なんだが、転んで打ったりぶつけたりの記憶はない。強いていえば最近スクワットを毎晩100回近くやっているが、それで痛むということもなかったのだ。訳が分からないが、ともかく誕生日をはさんで数日間安静を心がけるうち、今度は日ごとに痛みが引いて、いつの間にか消えていった。何だったわけ?
日曜日、ふと思い当たった。答はちゃんと示されているではないか。
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ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。
ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。
ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。
こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。
(創世記 32:25-32)
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勝ったなどとはいわない、ただ身のほど知らずにも御使いと格闘したのだ。それで腿の関節を一時外されたのね。
この不信心ものに、何という祝福!