散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

荒神/フユサンゴ/首相府包囲

2013-12-10 07:39:04 | 日記
2013年12月10日(火)

 「それだから、おまえ様は命を拾い、香山に来てよかったのだ。香山は、おまえ様を助けたことで永津野と取引ができる」
 あっと思った。やじの言うとおりではないか。

 今朝の連載小説、これまで唖のように(不適切用語ですか?)口をきかなかった謎の自然児「やじ」が智恵の言葉を語り始めている。こういう設定でこういう言葉を登場人物に語らせる手腕、いいなあ、うらやましいなあ。

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おはようございます、Sです。今日はどんな一日ですか?

  さりげなく今年もここにフユサンゴ赤くつぶらな実を光らせる (鳥海昭子)

フユサンゴは神秘を意味するナス科の植物だそうですね。年末どんどん時間が過ぎていきます。今日はふんばりたいところです。


「季節の花 300」より拝借
(http://www.hana300.com/fuyusa.html)

 英名は Christmas cherry または Jerusalem cherry とある。チェリーというよりプチトマトみたいにピカピカしているが、南米産のこの実は「有毒の可能性があるので決して口に入れないように」と別のサイトにあった。分からないものだ。

 S君はどう踏ん張るんだろう、彼はちょっとした文筆家だから、原稿執筆かもしれない。負けてはいられない。こちら一週間後の講演準備と大学の会議、そして信州のY先生と久しぶりにお目にかかる。

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 「首相会見 根拠示さず」の一面見出し直下に「首相府包囲、20万人」の写真、一瞬色めき立ったが、これはバンコクの話。編集者、たくらんだな。

臨床外雑記 002: あまりに力動的な

2013-12-09 14:27:03 | 日記
 力動的な面接は、そこに持ち込むこと自体、僕のようなヤブには簡単ではない。というか、そうするかどうかを決定するのは患者/クライアントであって治療者ではないという感じをもつ。

 その人は既に70代に達した女性だが、外貌はともかく話に耳を傾けている限り、少しもそういう年齢には思われない。むろん、ずっと若いのである。もういいかげん、暦年齢から精神内容を推し量るという悪癖から自由にならないといけない。
 そもそもは「二階に住まわせている同居する孫のたてる音が不安でならない」という相談だったのだが、ほどなく自主的に自由連想を始めるようになった。その過程をふりかえってみて、たとえば柔道における寝技の手練れが、ごくあたりまえの差し手争いからスルスルと得意の形へもちこむような ~ 柔道は高校の体育でやっただけなのに知った風なことを言うが ~ 迷いのない周到さを感じて舌を巻くのである。こちらが口を挟む余地など、ほとんどなかったような気がする。

 この人がまだ夏の暑い頃、夢の報告をした。これまた、力動的に進めようとしては失敗ばかりの過去の経験の中には、ほとんど記憶がないような鮮やかさである。それは比較的単純なもので、治療者(僕だ!)が長いハサミで彼女の髪を切っているというものだった。報告を受けて型どおりに随伴する感情や連想を尋ね、何かしらの進展があったはずである。
 つい最近になって、彼女がこのことを蒸し返した。
 「あの時先生は、『夢の中で私は白衣を着ていましたか?それとも私服でしたか?』とお訊きになったんです。私は『覚えていません』と答えたんですけれど、先生はなぜあの時、そういう質問をなさったんですか?」

 さて、と。
 僕がどう答えたか、どう答えるべきだったか、それもひとつの論点だが。
 そういうあなたは、なぜ何ヶ月も経ってからこのことを思い出したんでしょうね。
 ちなみに彼女は、「考えてみると、どうも先生は私服でいらしたような気がする」と今になって付け加えたのだ。ほんとかな?

 Kokomin さん、眠気がいっぺんに醒めたでしょう?CATの会でとっくり話し合いましょうね。
 皆さんも、ぜひどうぞ。

エール!

2013-12-09 08:40:10 | 日記
2013年12月9日(月)

 今日は昨日の代休。昨日のことを書く前に。
 三春のAさんより、「ホームページが完成しました」とメールあり。以前、当ブログで二度にわたってAさんの作品を紹介した(下記)。その三春人形満載の、心なごむ空間になっている。画像とあわせ、三春人形の歴史や個々の人形についての丁寧な解説が、トリビア好みには嬉しい。
 ぜひ訪問して、感想を送ってあげてください。

 「三春人形のワールドへようこそ」
 (http://www.nexyzbb.ne.jp/~aoto4315/index.htm)
 
*** 以下は当ブログ履歴 ***

○ 三春人形(2013年8月10日)
http://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/bf8c18432cc0afae8bc1af0803a73a9d
  

○ 三春人形その2(2013年9月5日)
http://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/c25210a1cc467e556f2b760e432fa1ef




12月8日

2013-12-08 07:50:28 | 日記
2013年12月8日(日)

 12月8日と聞いて「真珠湾」が浮かぶ人は、今どのくらいいるのかな。こちら側で、またあちら側ではどうだろう。
 アメリカでは12月7日だが、少なくとも1994年の渡米当時は日本以上によく覚えられていた。セントルイスの地方新聞にも、戦没した家族の墓に詣でる人々の写真が載った記憶がある。
 お隣のサラが晩のお茶の時にちょっと声を落として、「真珠湾のことで、何かイヤな思いをしていない?」と訊いてくれたことがあった。「あの戦争で家族を亡くした人は、あなたたちの中に多いでしょうけれど、ここにもいるから」と、それはそうに違いない。何か非難めいたことが言われていたのかもしれないが、僕らの英語力で聞き取れる範囲には何も起きなかった。ミズーリは原爆投下を指示した(追認した?)トルーマン大統領の出身地だが、それは言わば別の話で、セントルイス界隈はその種の排他性と最も遠い気風の土地だった。
 今朝の天声人語が、『断腸亭日乗』(荷風)と『太平洋戦争日記』(伊藤整)から引用している。「人々みな喜色ありて明るい」(後者)等々、想像に難くない。戦争は盛大な祝祭である。ナチスはそのことを十二分に活用し、長く深刻な不況のもとで沈みきっていたドイツ人を祝祭の陶酔で魅了した。
 「戦争=祝祭論」は、動き出した戦争を止める難しさをも説明する。祝祭の興奮に水を差すぐらい危険なことはない。駅頭のケンカを止める比ではなく、文字通り血祭りに挙げられかねない。(ケンカがまた小さな戦争/祝祭であることを考えるなら、実は同根なのだけれど。)
 天声人語子は、いま12月6日を忘れるなと言う。残念だが同感だ。

 放送大学・生活と福祉コースでは本日、卒業論文の発表・審査会。全国から学生が集まってくる。
 12月の平和な一日である。