散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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大局観/秘密保護法/フィギュアスケート

2013-12-07 23:15:40 | 日記
2013年12月7日(土)

 石倉教室は宿敵のNさんと久々の対局。いつもながらのねじり合いの末、時間切れで石倉先生による判定となった。先生「ははあ」と唸っておられる。白番の僕が50目、黒番のNさんが55目、次は黒番で手番の利益を若干加えキツキツの半目勝負。仲良く引き分けの裁定となった。
 これはある意味で気分の良いもので、結果が問題ではないこと常々わきまえている。しかしこの碁の前半の打ち回しはこちらに分があり、後半の入り口あたりではっきり勝機が訪れたのだ。それを掴み損なった原因が自分の構想力の不足にあると自覚するから、ここにかなりのショックがある。
 接近戦の戦闘力では、大抵の相手に引けを取らないのに、石のもって行き方がヘタなので、その腕力を活かせない。大局観の欠如というわけだ。未熟者め!

***

 どうもよく分からない。今この時点で、何でこれほどの無理を押して「秘密保護法」を通さねばならないのか?
 僕は頭が単純なので(これは本当だ、ある種の頭の良さはあるかもしれないが、相当単純な作りであることは間違いない)至って騙されやすく、裏を読むことはヘタだし性にも合わない。そんな僕でも、これほどのゴリ押しを見せられれば、さすがに「何かある」と考える。
 何かある。何がある?

 ここで言及される「秘密」とは「安全保障に関わる秘密」だそうだ。要するに戦争と平和に関することだろう。となれば、その実態は「国民に内緒でアメリカの戦争に肩入れするのを可能にする法律」ではあるまいかと考えるのは、ごく自然な推測というものだ。違いますか?
 そこで思い当たるのは、最近「九条改正」をあまり言わなくなったなということで。
 正面突破は得策でないし時間もかかると見て、搦め手から始めたなと、タンホイザーならぬタンサイボー氏の観察である。
 よくもやってくれたものだ。何とか廃案にしなければな。

***

 放送大学の卒論生だったKさんは、自身フィギュアスケートを良くする人で、羽生と浅田のダブル金に気をよくしてメールをくださった。

 「スケートは足元ばかり見て滑ったら、うまくならない。軸を整え、前やや上方を向いて滑ること。生き方にも共通するかなと思います。」

 これ、叡智の言葉である。

反抗期/大井町の小怪談/モンドリアン

2013-12-07 23:12:42 | 日記
先週の振り返り日記

2013年12月1日(日)
 今日からアドベント(待降節)、知り合いが送ってくれたアドベントカレンダーのURLを付けておく。オリジナルは日本基督教団・越谷教会だ。
http://koshigaya.m24.coreserver.jp/adv13/top/advtop.htm
 この日に他の話をするわけにもいかないので、保護者科はその話。アメリカ時代のアドベント/クリスマス風景から、四福音書の降誕物語の温度差(マルコとヨハネには降誕物語がない。代わりに何があるか?)、冬至の祭り・新年の祝いとクリスマスの関係など。
 話がちょうど終わったところで校長のマスダ先生がやってきて、クリスマスの讃美歌を一曲教えてくれる。僕も初めての曲、さほど印象的でもなく歌ってすぐ忘れてしまったのに、不思議なことが起きた。
 4日(水)朝目覚めてみると、頭の中でこのメロディーがエンドレスに回っていたのだ。記憶のカラクリ、睡眠との関係は実に不思議である。次の日曜日には、山形のヒライズミさんが卒業研究でこの件を発表する。

 合間に幼稚園のW先生と雑談。いつも小さなお子さんを二人連れ、皆はその風景を楽しんでいるんだが、母親としては子供の騒がしいのが気になるものだ。
 「反抗期ですよ、もう」
 「正常ってことですよね」
 「あら、でも石丸家の息子さんは・・・」
 自分らは反抗期といって、特になかった、と次男が語ったらしいのである。
 ふぅん・・・

 彼が本当にそういう言葉で言ったかどうか分からないし、仮にその通りだとして、本気で言ったことか外交辞令の韜晦かも分からない。ただ、これについては日頃から思っていることがある。子供が大人になるにあたって不可欠なステップとしての「反抗期」が、目に見える形での「反抗的な行動」と、しばしば混同されていないかということだ。特にいわゆる思春期における第二の反抗期をめぐって、これを区別しておくことはかなり重要と思われる。にも関わらず、実際にはかなり基本的なレベルで両者が混同されることが多い。
 学童期の子供は、驚くほど素直に大人の与えるものをそのまま受け取り、呑み込んでいく。そうして蓄積されたもの、さらに加えて伝達されようとする高次のもの、それらの総体に対する根本的な疑い、それらを自分自身のものとして引き受けることに対する深刻な懐疑、それが心の中で大きな場所を占め、それに対する回答を通してアイデンティティを形成していく時期のことを「反抗期」と呼ぶのだ。当然ながら反抗期の課題の根本的な部分は、きわめて内面的であり内省的な領域に属する。そうした作業が明示的な行動としての「反抗」を伴うことも少なくないが、その種の行動は副次的な産物であって必須の課程ではない。もともと穏やかで争いを嫌う性格の場合など、内面に激しい葛藤を抱えながら外面的には「良い子」であり続ける場合もあり、そうした子供でこそ悩みは深いものになるだろう。
 逆に、行動面での「反抗」は派手で盛大だが、それにふさわしい内面的な葛藤を欠いている場合も当然ありうる。いちばんわかり易い例は、粗暴で反社会的な父親の行動をその息子が単純に模倣しているケースである。周囲はその「反抗」にさぞ手を焼くだろうが、内面には懐疑もなければ葛藤もない。学童期同様、崇拝する父親に自分を同一化しているだけである。
 だから、思春期の少年少女が目立った逸脱行動を示さないこと自体は問題ではないが、本来の意味における「反抗期」を欠いているならばかなり深刻な問題である。極端な言い方をするなら、反抗期を経由せずに人は健康な成人となることができない。そういうことだ。
 「早期完了型」(Marcia)等々の亜型についてはさしあたり横に置いた粗雑な議論ではあるけれど、「行動としての反抗や逸脱と、心理的課題達成過程としての反抗期を、概念として峻別されたい」というキモに関する限り、明快で単純な話である。

 この話にはオマケがあって、「石丸家の場合は、確かに反抗しづらいかもしれないですよね」とW先生の御託宣が付いたのだ。「お父さんがこれだけ隙がないと」ということらしい。
 事実認定の部分はさしあたり問わないとして、「父親に隙がないと子どもが反抗できない」という理屈はないだろうが、立ち話でほぐせる縺れでもないので何も言わずにおいた。これなど見ても、反抗期問題の厄介さがわかるだろう。あるいは「反抗期」という名称がマズいのかもしれない。


2013年12月2日(月)
 大学の研究室まで業者に来てもらい、PCの入れ替え。例の「X-p サポート終了」に伴うもので、好調に作動しているX-pマシンをお払い箱にせねばならない。悔しいので旧マシンは家に送り、インターネット接続を制限した条件下で使えるだけ使ってやる。
 
 帰宅途中の大井町駅、ちょっと不思議なことがあった。
 回数券を買うため東急線の券売機に向かうと、小さな男の子が機械の前でうろうろしている。路線図を見上げ、券売機のボードを眺め、左右を見回して途方に暮れる風である。こういう子に声をかけても今時は「声かけ事案」かなと内心でギャグを飛ばしながら話しかけてみた。
 「えっと、あの、分からないんです。」
 はっきり通る声で、わからないことを言う。今時めずらしいようなイガグリ頭に、分厚いメガネ。視線を同レベルにおくためにしゃがみこんで相手の小ささを感じたが、言葉遣いは妙にきちんとして声もハキハキしているのだ。 
 「どうしたいの?」
 「武蔵小山に行きたいんです。」
 「田園調布で乗り換えて、ってこと?」
 「はい。」
 頭上の路線図に武蔵小山を見つけ、「ここ」と背伸びして指さした。
 「武蔵小山はここ、上が大人料金で190円、下が子ども100円、わかる?」
 首を傾げて不得要領、あるいは漢字が読めないのかも知れない。券売機の前に並んで立ち、説明しながらボタンを押していく。まず「子ども」のマーク、ついで「100円」のボタン、「現金を入れてください」と機械が言うのに答え、男の子は手にしたガマグチを開け、千円札を取り出した。切符が1枚、釣り銭がジャラジャラと出てくる。
 「ちゃんと全部取りなよ。」
 「はい。」
 と返事は良いが、ガマグチを閉める前に駆け出そうとして、百円玉や一円玉が床に散った。一緒に集め終わると、
 「ありがとうございました。」
 を忘れずに言って、改札口へ駆け出した。

 男の子の消えた券売機に向かって回数券を買いながら、妙な感じにとらわれている。思わず額を叩いた。田園調布で乗り換えだって?そりゃ、東横線から目黒線に乗り換える話じゃないか。ここは大井町だもの、武蔵小山に行きたいなら大岡山で目黒線に乗り換えるのでなけりゃ。僕の言い間違いをあの子が聞き流したのなら良いが、真に受けて混乱したら厄介なことになる。
 回数券を握って改札へ急げば、ちょうど電車が出るところ。たぶん男の子はこれに乗ったのだろう。もう仕方がない。あれだけはっきり「武蔵小山へ」と言った子だ。駅員に訊きながら無事に到達できるだろう。
 「それにしても・・・」
 後から不思議の念が湧いてきた。あの子はどこのどんな子で、一人で武蔵小山へ何をしに行くんだろう?
 大きなガマグチは子どもの持つものではなく、どちらかといえば女物の柄、普通に考えれば母親が持たせたものに違いない。武蔵小山という行き先をはっきり認識しているのは、たとえば祖父母が住んでいてときどき連れて行ってもらうからか。
 ハキハキした物言いのためについ錯覚したのだ、あの小ささと読字能力からすれば、幼稚園児ではないとしてもたかだか小学一年生かそこらだろう。それなら切符を買うのを手伝うよりも、駅員に託すほうが正解だった。
 「それにつけても・・・」
 小さな子どもが、初めてと思われる切符の購入を敢えてして、一人っきりで電車に乗って大井町から武蔵小山まで行かねばならない事情とは何か。「エンソ君」のように確かな迎え手が、向こうで待っているのだろうか。そもそもあの子は、何であんなに大人びた話し方をする?日頃の家庭で、彼はどんな役割を負っている?
 痛々しい想像があふれ出てきそうで、自分の配慮の不足が忌々しい。いつだってこうだ、相手の調子に合わせてしまうのだ。武蔵小山まで一緒に行ってやれば良かった・・・

***

 そう思いつかなかった最大の理由は、急いで行かねばならない場所があったからだ。もう150回近くも面接を重ねたクライエントがあり、僕は確かにそこに出向く義務があった。
 内省ということがほとんどできず、不安を言葉で表す代わりにパニック発作を起こしていた女性が、自分の思いと感情についてじっくり振り返るようになった。けたたましくも無意味なおしゃべりで埋められていた50分が次第に静かなものになり、そこに心の行間が姿を覗かせるようになった。小説や芸術に興味を示すようになったことは、今年の彼女の大きな変化である。こうした一連の変化を「成長」と呼ぶことは、たぶん間違っていない。
 ある絵画展に行ってきたのだそうだ。点描と象徴がテーマになっていたようである。モネやゴッホ、ピカソなどがある中で、彼女が強く印象づけられたのはモンドリアン。以前ならば、「子どもの遊びじゃあるまいし、ふざけてる」としか思わなかったものに、なぜか強く打たれたという。
 「人生みたい、と思いました。」
 少し考えて
 「うん、人生みたい。あと、私こんな風になりたいんです。」
 これが、それである。

 


a Day in the Life

2013-12-07 00:07:49 | 日記
2013年12月6日(金)

> こんな大勢の人が見てるブログに私がデモに行ってるなんて公表したら公安に目つけられちゃうじゃないですか! なんて言う日がひょっとしたら来るのでしょうか?
とりあえず現場に行ってみます。
勝沼

 ご、ごめんなさい。ところで「そんな日がひょっとしたら来るのでしょうか?」は、「大勢の人が当ブログを見る」にかかるんですか?それとも「公安が個人ブログを監視する」状況のこと?後者は既に実行されているんでしょう。問題は当人がキケン人物と見なされるかどうかですね。
 勝沼さんが晴れやかな行動人であることを、仲間たちはみな知っています。加えて当ブログは群小泡沫のそのまた端くれぐらいですから、まずもって心配ないことと思うのですが、いかがでしょう?

> 石丸先生の入試面接を受けたことがあるものです。石丸先生の入試面接を「受けた」側からの感想では,とても良い印象だったことを憶えています。
ぐうたら三昧

 どちら様かは存じませんが、ありがとうございます・・・と言いたいところですが、ぐうたら三昧さんのお顔はほぼ思い浮かぶんだな。私、ぐうたらを入学させちゃったんですね、落ちた方々に申し訳が立ちません。キミ、しっかり精進なさい!

***

 金曜日はいつもの診療、僕のこなす患者数が少ないので経営者はアタマの痛いことだろうが、決して殊更に数を抑えているわけではない。そのカラクリはあらためて振り返ってみるとして、今日も患者さんはいろいろだった。

 在日韓国人コミュニティの中で生きてきた僕の世代の女性Kさんが、いつもは娘さんの同伴という立場だが、今日は本人が来られなかったのを幸いに彼女自身の生い立ちをじっくり語ってくれた。
 韓国や中国では、女性は結婚しても姓を変えない。このことを僕は、自身の出自と血統を保持するという肯定的な意味で理解していたが、Kさんによればまるで見当外れだという。嫁はいつまで経っても婚家におけるアウトサイダーである、そのことの徴だというのだ。だから今の日本で夫婦別姓が女権伸長の象徴として語られるのを聞くとき、苦笑を禁じ得ないという。
 さらに「儒教優等生」の韓国の伝統においては、男尊女卑が日本以上に徹底していたという事情もある。若者が日本人と通婚することを嫌う年長の権威者たちは、「虫がつかないように」と娘らを厳重に囲い込んだ。韓国人男性に嫁いでようやく生家の窒息状態から解放されたと思ったが、婚家の現実の中で、自分はタダで家事労働に服し、子供を産むだけの存在かと愕然とした。しかも産んだ子供は婚家のものであって、母親のものではないと言う。そしてコミュニティをとりまく中部地方の田園地帯には、日本流の重い空気の縛りがあった。
 今、育った子ども達は社会の標準に従って自分たちの権利を主張する。言い返そうとして、声が出なくなる自分があることに何時からか気づいた。成長のあらゆる段階において、自己主張を抑えねばならないことを繰り返し学んできた悲しい結果だと、Kさんが振り返る。

 他、寸景あれこれ。

 40年越しの摂食障害を抱えるXさんは上等のチョコレートを僕に手渡して、婉然と微笑んだ。「あげます、危険物だから。」

 軽い双極性障害のYさん、今週末は御主人の発案で伊勢神宮へ日帰りのお参りをするという。深夜に車で出発して早朝に詣で、その足で帰ってくるのだと。何でそこまでして、と思うしYさんも本音はそうらしいのだが、今年は伊勢と出雲のダブル遷宮で、御主人にとっては大事なことなのだ。

 長らくネコを相棒に引きこもっているZさんは、『二ノ国』というRPGにハマるうち、いくらか元気が戻ってきたという。ジブリの画像とイメージのパッケージらしい。ゲームにも功徳がある。

 うつ病本復間近のQさんに「石丸幹二さんは先生の息子さんですか?」と訊かれ、腰が砕けた。息子ってことないでしょうに。むろん、赤の他人だ。
 調べてみれば石丸幹二はもと愛媛県新居浜市の産で、石丸姓が断然愛媛に多いことを裏書きしている。ただし彼は1965年生まれなんだからね、僕ってそんなに老けて見えるかしらん、ショックだなあ・・・

***

 診療を終えて移動の途中、新宿駅頭で久々にケンカを見た。
 山手線がひどく込んでいるので一本見送ったところ、出ようとする電車の窓越しに乗客の支線が一方向へ集中している。その方向を振り返ると若者が二人、モンゴル相撲のように組み合っている。
 「キミたち、やめなさい!」
 なんて、残念ながら言えたもんじゃない。当事者二人が同時にこちらへ向かってきたとして、まとめて叩き伏せる自信がなければケンカの仲裁はできない。近場の駅員に急を告げると、駅員は慌てず騒がず山手線をしっかり送り出し、それから現場へ足を向ける。若者の一人がひどく鼻血を出してうつむき、相手はなおも罵り続けている。どうも通りすがりではあるまい、連れ同士の仲間割れではなかろうか、何となくそんな想像が動く。
 
 薬の勉強会は、前回に続いてアシュトン・マニュアル輪読。ベンゾジアゼピンの長期服用によって脳に不可逆の変化が生じるかどうか、離脱症状やその再発はなぜ起きるのか、起きた際にベンゾジアゼピンの再投与を行うべきかどうか、問いは喫緊のものだが、答はさほど釈然と記されていない。この種のことを真面目に丁寧に考えれば、あまりハッキリしたことは言えないものだ。

***

 今年最後の勉強会なのを口実に、終了後に食事に出かける。
 これは嬉しい席になった。

 久しぶりにやってきた新婚のKKさん、名だたる酒豪がノン・アルコールを注文する理由は一つ。めでたく御懐妊、3ヶ月とのこと。帰宅は毎晩深夜に及ぶワーカホリック気味の御主人を、最初が肝心しっかり教育するよう、皆が寄ってたかってハッパをかけている。
 その横でクチブエ君とも祝杯を挙げる、こちらは年内にも御成婚の由。「自分がそんな気持ちになるとは思わなかった」と、一言の背後に浅からぬ体験が織り込まれているだろう。
 イザベルさんと僕は彼らの親の世代にあたるが、どちらの子ども達もそういう気配や段階にない。自分のことでもないのに彼ら若者のこうした円満な風景は、どうしてこんなにも心を和ませてくれるんだろうね。

 いっぽう、幸せ気分で某病院の産科を受診したKKは、病院側が次から次へとリスクばかりを説明するのに、いささか不安を煽られたという。多くは「出生前診断」の産物だ。検査できる項目は◯◯、その結果に従って◎△から×□へ進むが、結果が分かるまで○▲週かかるので、中絶する場合はギリギリのタイミングになる、等々。そして何枚もの書類に署名捺印。無論病院側は、「情報を与えてもらえなかった」とのクレームをきっちりと予防したいのである。
 聞いて腹立ちを抑えられない。KKは桜美林時代から障害児福祉に深く関わり、この種の情報への耐性は標準より遥かに強いはずである。その彼女が不安を禁じ得ないような情報提供を、頼まれもしないのに否応なく行うのが、今日の医療の標準仕様なのだ。言わんこっちゃない、まだまだ進むだろうよ。診断項目は増え、妊娠中絶は増え、障害をもった子ども達は減り、僕らの器はどんどん小さくなる。

 妊婦さんを含め、皆明日も仕事だというので早めのお開きを申し合わせたところへ、デモに出かけた勝沼さんが合流する。ちょっとした英雄の凱旋を迎える気分、食べ物が残っていて良かった。
 デモ慣れした彼だが、今夜は何時になく殺気立っていたと、彼自身いくらか興奮の態で報告する。流れの加減でデモの前面に押し出され、三重の列をなす警官隊と正対したときは本心から怖かったと。議事堂内では深夜の審議が続いており、その経過について流言が飛んで、群衆特有の粗大な感情のうねりを刺激する。一触即発、その「一触」を避けるべく双方とも神経を尖らせているが、それだけに「一触」が生じたときの「即発」は抑えがたかろう。逮捕者が出たように見えたという。勝沼君、君が無事で何より。イザベルさんのコメントに依れば、僕らが別れた前後の23時23分、法案は参院本会議を通過した。

*****

 12月にしては温かい夜、最寄り駅から深夜の道を家に向かうと、無灯火の自転車が音もなく追い越していく。
 「ライト点けろよ!」
 と声をかけようとして、彼が戻ってきて殴りかかってくる妄想に一瞬躊躇した。
 
 
デモ隊に配布されたA3大のプラカード。勝沼氏の好意による。

不特定秘密保護法案/パンディー

2013-12-06 07:43:35 | 日記
2013年12月6日(金)

 衆院に続き、参院も本会議通過目前。今日はイザベルさん主宰の薬の勉強会だが、ほぼ皆勤の勝沼さんが今夜はデモに出かけるという。僕も行きたいぐらいだ。
 右から左まで、九条護憲派から小林よしのりまで、政治好きからノンポリまで、文字通り誰も彼もが反対しているのは、ほとんど記憶にない。原発だってこれほど全員一致の反対には至らない。それでも通る。国権の最高機関にして唯一の立法機関である国会の多数派の権利行使みたいなもので、だって選挙に勝ったんだから間違ってないでしょと居直ればそれまでのこと、自民党に勝たせた選挙民の責任だということになる。
 疑問も反論もいろいろある中で僕がいちばんイヤなのは、こういうことが重なる度に議会政治に対する僕ら自身の信頼感がいよいよ低下することだ。そしてこの手合が決めた消費増税が、来春は僕らの懐を直撃する。「必要なことのために、皆で心を合わせて辛抱しよう」などとは、よほど奇特な御仁でない限りとても思えない。あてがい扶持の五輪狂騒曲で憂さを晴らすか、良からぬ妄想を逞しくするか・・・

 いやな渡世だ、いやさ、都政じゃなくて国政か。

*****

 ブログもメールもサボっているので、Mさんに心配されてしまった。
 ごめんなさい、怠けているんじゃなくて忙しかっただけなんです。とってあったMさんからのメールを、口直しに紹介しておこう。

【徳島にて】
 日本ライトハウスの盲導犬のユーザーの会で徳島へきました。私は今から帰りますが、計画は一泊二日の予定です。盲導犬は21頭でした。訓練所の職員に会ったらパンが喜びはしゃいでました。

 JRはしんせつなんですが、車椅子の乗り降りに使うスロープを「要らない」というのにかけて、スロープだから上がってくださいというのです。ドアを触らせてもらえば、パンの動きについていけば大丈夫なんです。帰りはスロープは外してもらいました。
 徳島についた時に、自分で下りたら職員さんが「あー」とあわててきたのですが「乗り降りにはなれているからだいじょうぶです」と言いました。できることはさせてほしいです。
 同行援護になってからヘルパーさんと外出するようになり、財布はヘルパーさんに渡して出してもらうのが原則になったため、自分で出せなくなったと知り合いは言ってました。

【笑い】
 私は週2回グループホームへ行くのですが、いつもパンディーと一緒に行っています。先週の金曜日に行った時に「この犬、名前は」と聞かれました。
 「パン」
 「パンツ?」
 「ツはいらん」
 「ツはいらんのな、パンいうんな」
 別の人が「パンディいうんやろう」と。
 「そうなんですけど、パンって呼んでるからパンで良いですよ」
 みんなで笑ったものでした。

 パンディーが一緒に笑ってる姿が見えるみたいだ。

臨床外雑記 001: 大鳥神社/酒/ちゃんとしたところを教えて

2013-12-02 00:15:20 | 日記
 これは先々々週の振り返り日記、まるで古文書だ。書きかけて2週間以上も放ってあったのだ。やれやれ忙しかったもんな。

2013年11月14日(木)

 午後からは職域健保組合の保健センターで外来診療。
 例によって詳しくは書けないので、今日は「診療に関係ない語録」で行っちゃおう。臨床雑記だ。

〇 関西出身のTさん、お正月は毎年、人出の凄すぎない寺社へ初詣を楽しむのだと。

 それでも、芝の増上寺と神田明神は外さない。明治神宮などは避け、乃木神社、東郷神社あたり。
 関西在住の頃は、大鳥神社によく参ったと聞いて、ヘンな顔をしちゃったかもしれない。目黒権之助坂下のでっかい大鳥神社が頭に浮かんだからだ。帰って調べたら、大阪府堺市に大鳥神社(大鳥大社のほうが通りが良いらしい)あり、実はこちらが全国の大鳥神社・大鳥信仰の総本社だという。

 大鳥信仰というのは日本武尊に由来するようだ。
 伊勢の能煩野(のぼの:三重県亀山市)で没した尊の陵墓から、魂が白鳥になって飛び立つ。その向かった先が古事記と日本書紀で違いあり、古事記では河内の国志幾に降り立ち、そこから天へ翔け去る。日本書紀では大和琴弾原と河内古市の二カ所を経て天に去る。何しろ河内に降り立っているのは、現世のどういう関係なり構造なりを投影したものだったのか。ともかく、河内における白鳥の着地点のひとつが、堺市にある大鳥神社の縁起になったのだ。

 関西には酉の市というものが存在しないが、こういう次第で大鳥神社にはそれがある。だからという訳でもないが大鳥神社が好きで、とTさんは温顔をほころばせて話してくれた。
 Tさんは小さくもない会社の重役さんだが軽い会食不安があり、30錠ほども抗不安薬をさしあげるとそれを必要時に頓用して上手にコントロールしておられる。薬が残り少なくなった頃、ちょうど半年に一回ぐらい姿を現されるのが、僕にも季節の楽しみという感じ。修正のしようもない筋金入りの大阪訛りが、Tさんの口から流れ出すと激しさも顕示性もさっぱりと拭われ、何かとても穏やかで懐かしい響きに聞こえる。

 人だ、結局は。
 ついでに、酉の市は元祖・大鳥神社と愛知県などの例外を除き、基本的に関東のものだと初めて知った。日本武尊は西から東へ押し出す大和朝廷のシンボルだったのに、その足跡がもっぱら東に遺っていることが興味深い。
「すめらみこと、われに死ねとおぼしめせか」
 日本武尊の負わされた役割とあわせ、考えれば面白いことがこのあたりにありそうだ。 

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置(とどめおか)まし大和魂」
 ええ分かってます、これは日本武尊じゃなく吉田松陰の辞世なんですけどね。何しろ日本武尊の魂は東に留め置かれることを望まず、大和・河内そして天へと帰って行った。代わりに東には大鳥信仰と酉の市が遺される。
 でも、何で河内なんだろう?
 そこなんだよな、問題は。

〇 酒
 次のKさんは茨城の出身、やはり軽い不安障害をおもちだが、最近はずいぶん電車も平気になってきた。釣りと三線(さんしん、つまり沖縄の三味線)を趣味とし、これらとあわせて酒をこよなく愛する朴訥なひとりものである。
 何となく酒の銘柄に話を振ったら、とたんに食いついてきた。
 『田酒(でんしゅ)』という青森の酒に、今は惚れ込んでいるという。その名を口にするだけで、目の縁がほんのり赤らんでいる。すると診察介助に付いていたヤンチャなM保健師が、『楯の川』はどうですかと訊いてもないのに言い出した。山形は省内酒田の逸品だそうな。みんな好きだな・・・

 アメリカの疫学調査では、大酒はパニック障害の危険要因に挙がっているんだが、まあいいか。

〇 「ちゃんとしたところを教えてください」
 と言い出したのは、例のマコトちゃんである。これは臨床「内」か、これならいいだろ。

「どう、寝られるようになったの?」
「ええ、まあフツーに。ただ上司から言われちゃって」
「何を?」
「いえ、何度も通ってるもんだから」
「何度もって、三回目だよね?処方を調整するのには、そのぐらいかかると思うけれど。それで上司が何だって?」
「もっと、ちゃんとしたところで診てもらったらどうだ、って」
「ちゃんとしたところ・・・それで、あなた自身はどう思うの?」
「それもいいかなって」
「ははあ」
「で、紹介してもらえって」
「は?」
「どっかちゃんとしたところを、ここで紹介してもらって来いって」

 少し前に僕が何かで・・・そう、口の利き方を知らない福祉担当者にブチ切れた話を書いたとき、Kokomin さんが「石丸先生が攻撃的になってるんじゃないか」って心配してくれたんだが、御安心あれ僕の怒るパターンははっきり決まっていて、全般的には至って温和なものだ。そしてマコトちゃんに関して言えば、怒るどころか可笑しくて仕方がないんだな。
 だってさ、「おまえの通ってる医者は頼りなさそうだから、もっとちゃんとした医者を当のその医者から教わってこい」という上司も上司なら、それを子供の使いよろしく復唱する本人も本人で。横で診察介助のM保健師の方が、アタマに来かかってる気配があるが、まあいいじゃないの。
 もっとも、紹介状なんか書きはしない。そんな大げさな話でもないしね。

「仕事に差し支えなくしたいなら、土曜日に診療やってるところだよね。地元に心あたり、ないかな?」
「あ~、あります、たぶん」
「んじゃ、そこへ行って、これまでの経過を話して処方を見せて、それで十分だよ。紹介状を書くと料金が発生しちゃうからね」
「わかりました、そうします」
「何かあったら、またいらっしゃい」
「ありがとうございます」

 ぺこりとお辞儀して、少し照れくさそうに去って行く。
 怒ったりしない、ただちょっと心配なのだ、彼の行く道、行く末が。