散日拾遺

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時の記念日

2013-06-10 07:09:38 | 日記

6月10日は時の記念日だそうだ。

 

由来は『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条。辛卯は「かのと・う」で、これが25日にあたる数え方はよくわからない。西暦では671年6月10日。その日の記載。

 

「置漏尅於新臺。始打候時動鍾鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也。(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと」


天智天皇が皇太子時代に、自ら漏尅(水時計)を造って(造らせて?)あった。これを台に設置して動かし、鐘鼓によって初めて時報を鳴らしたのがこの日ということらしい。

 

記念日制定は1920(大正9)年、東京天文台と生活改善同盟会の発案で、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と日本国民に呼びかけたものだという。ということは、当時の日本人は punctuality (時間厳守)に問題があったということか。僕のアメリカ滞在は1994年から97年で、大雑把なアメリカ人が時間と金と順番(先着の順序)にはきわめてきちんとしていること(特に朝が早い!)に驚いたけれど、アメリカ人の同僚からも「日本人はとっても punctual との定評があるぜ」と教えられた。

 

どうせならアメリカに戦争を仕掛けるにあたって、もう少し punctual だったら良かったのにな。宣戦布告の数時間の遅れが、まあ高くついたことだ。

 

ふと考えるに、アメリカ人が時間に敏感というのは、自分の時間をほとんど神聖視していて他人に侵させないという含みがあり、根拠のない時間外労働などに強い反発と警戒を示すことにもつながる。日本人は1920年当時よりもはるかに punctual になり、殊に都市生活の中では強迫的なほどだが、これがスケジュールに対する従順に留まっていて、自分の人生の unreplaceable な(=何物にも換えがたい)時間の尊重につながらないとすれば、不幸なことだ。

 

と言うか、外面的に punctual になればなるほど自分の人生の時間が逆にやせ細っていくことに、多くの日本人が悩んでいるのではないかしらん。21世紀の「時の記念日」は、puctuiality すなわち点的な時間の重要性ではなく、人生という時のかけがえのなさに向けて発信すべきなのだ。

 

【付記1】

古代の帝王が時計を据えて時報を発信し始めた時に、その民族の歴史が始動するというイメージには、何かそそられるものがある。創作のネタになることだ。ネジを巻いてボタンを押すと、ブーフーウーの人形が動き出したことを、突然思い出した。

 

【付記2】

puncutual という言葉は、語源的には「点 point」と同根であるのが面白い。ドイツ語の Punkte, pu:nktlich ではこの関係がもっと見やすいが、ゲルマン語源というわけではなくラテン語由来のようだ。

 

*****

 

忙しさと戦いつつ、今日も punctual に北関東を駆け回っているS君から、例によってメールでエール。

いつもありがとう!

 

おはようございます。やはり月曜日は電車がこんでいて、ずっと立ちっぱなしになりそうです。

NHK、今朝の一首、

「ゆきのした煎じて咳止めつくりたる 若かりし日の母を想えり」(鳥海昭子)

ゆきのしたは「博愛」を表す花だそうです。

 

Saxifraga stolonifera in Taga Shiga 2011-06-04.jpg

 

 


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