散日拾遺

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ハーハーと呼ばせる / あっぱれ姉妹

2015-08-04 23:02:27 | 日記

2015年8月4日(火)

 娘は結婚してA県に住んでいたんです。身重になった、ちょうどそのタイミングで、つれあいとうまくいかなくなって、妊娠経過が離婚経過と並行するような具合で。ええ、こちらも心を痛めましたけれど、伏線はあったので。

 子どもが生まれても状況は変わらずで、先月こちらに帰ってきました。それがこの子です、9ヶ月。いやだ、私の子どもだなんて誰も思いませんよ、さすがにこの年ではね。子育てのことなんかすっかり忘れていましたけれど、娘は幸い仕事が見つかって、私が子守りってことになりました。保育所は待機中です。しばらくゴルフはおあずけですね。

 そうなんです、私もね、「ばあば」とは呼ばせたくなくて。でも、私がママと呼ばれるわけにはいかないでしょう。知人のところでは、母親が子どもに「ミキちゃん」なんて名前で呼ばせていますけれど、それは違うと思うんですよ。ママはママですから、そこは。

 息子のところの孫たちは、私の母のことを「ばあば」と呼ぶので、濁点を取って、私は「ハーハー」ってことになってます。「母」と「ばば」の間で「ハーハー」、う~んそうですね、息切れしてるみたいで苦しいすけど、でもまあ、当座やってみます・・・

 

 オチはともかく、方向性に「いいね!」一票。呼び名で年を取らされるということが確かにある。アメリカでは40代のグランマをちょいちょい見かけたが、ニックネームで呼んでいるケースが多かった。超高齢社会を迎え、これ実は喫緊の社会的課題である。

 「ハーハー」さんの生年月日を確認したら、奇しくも僕と同学年。まもなく「50代最後の年」に入る計算だが、数年前から誕生日毎に一歳巻き戻すことにしているそうだ。

 再び「いいね!」一票。

***

 「わけがありまして、姉も私も両親の実の子ではないんです。」

 横に立った付き添いの婦人がさらりと言った。子どもを授からない夫妻が、育ててもらえない子どもを二度にわたってひきとった。いわゆる「生(な)さぬ仲」だが、「生みの親より育ての親」、両親は二人を愛情かけて育ててくれた。本来は赤の他人、8歳違いの二人の女性がこうして姉妹となったのである。

<御苦労なさったんですね>

 「両親は苦労したと思います」と、これまたさらり。実子でないつらさなど味わわせる親ではなかったと、静かな誇りが行間に響いている。生年月日を確認して、僕の質問はどうしてもここへ行く。

 <このお年回りですと、戦争中は大変でしたね。疎開なさった?>

 「ええ、それが・・・」

 昭和20年に入って母と姉妹が甲府に疎開し、父だけがK町に残った。ところが皮肉にもK町は空襲に遭わず ~ 東京都下のしかも下町に、そんな場所があるとは知らなかった ~ 甲府は空襲で壊滅する。7月6~7日にかけての通称「たなばた空襲」、やはり疎開中の井伏鱒二と太宰治もそこにいた。

 防空壕のすぐそばに爆弾が落ちたことを、二人ともよく覚えているという。姉14歳、妹6歳。

 「当時からどちらが姉か分からない、私は心配性で、妹はしっかり者でした。」

 戦後、それぞれ縁づいて家庭をもった。その後の足取りは明暗を分けたが、70年を経て信頼にいささかも揺るぎなく、助け合い支え合っている。家族を家族とするのは、血縁ではない。

 「あっぱれ!」一票。

 

 

 空襲後の甲府市街地。焼け残ったビルは松林軒デパート(甲府会館)

 (Wikipedia より拝借)


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