散日拾遺

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ガリレオに謝罪/名校長退任

2014-05-09 07:08:19 | 日記
2014年5月9日(金)

 ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)に対して教皇ヨハネ・パウロ2世(「法王」ではない、「教皇」)が謝罪した日だというんだが、年号を聞き落して自信がない。ネットには1992年とあり、ガリレオの死からちょうど350年後ということになる。1564年生まれはシェイクスピアと同年だが、はるかに長命している。シェイクスピアの没年は1616年で、セルバンテス(1547-1616)と同じだ。
 ガリレオに対する裁判は、丁寧に見ていくといろいろなアヤがありそうだ。批判する側が「真理としてでなく仮説として語るならOK」と言ったとか、ガリレオのキリスト教理解が大方の聖職者よりもしっかりしていたので、かえって反発を招いたとか、さまざまなことがネットに書かれている。1616年の第一回裁判は事実性を疑う論者もある等、何かと面白い。
 350年を経て「謝罪」が為されたということもまた、ヨーロッパ流の歴史観について考えさせてくれる。そこに一種のフィクションを見るけれど、歴史を歴史として成立させるのは、このフィクションに他ならないのではないかと思う。

***

 次男の学校でPTA会長をやっていた頃、当時の校長さんが釣り好きで、会合の前には必ず休暇をとって食材を仕入れに海に出かけた。休暇は決まって二日取り、一日目に釣って二日目にサバくのである。さらに本職は発酵微生物なので(「なので」が正しい用法かどうか分からないが)、美酒まで取り揃えて関係者を歓待してくれた。それでヘベレケになって帰るから、家人には不評だったけれど。
 ある時、どういう文脈でか「天動説」が話題になった。なったというか、たぶん僕が話題に「した」んだな。何でも、天動説は天体の動きの予測という点では地動説に負けていなかったが、正確に予測するためには多くの付帯条件を考慮せねばならなかった。いっぽうの地動説はきわめてシンプルで、その種の付帯条件は必要なかったというのだ。
 理論が単純ですっきりしていることは、その理論の正しさを裏づける有力な根拠のひとつであるというのが話のミソである。「オッカムの剃刀」の発見バージョンのようなことをどこからか聞き込んで、生物学の教授である校長や、物理の先生である副校長に嬉しそうに話したのだと思う。
 ところが皆酔っ払って、校長も僕もあらかた正体をなくしていたから、話がどこかで曲がった。
「それじゃ何ですか、石丸さんは今でも太陽が地球の周りをまわっていると、こうおっしゃるわけで・・・」
「いやそうではなくて、火星が地球の周りをですね、いや違う、太陽が土星の・・・」
 何が何だか訳も分からず、ただ妙に楽しい気分だけが後に残った。

 この人は、スピーチも洒脱なら急場の判断も的確で、上手に人と人をつなぐ力もある名校長だったが、今春とうとう任期を終えた。その慰労会が週末にあるのだけれど、僕は沖縄出張で出られない。
 ガリレオと聞いて、そのことを思い出している。



『贋金鑑識官』を刊行して数年、元気な頃のガリレオ(1624年、Ottavio Leoni)
Wikiより拝借



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