2017年1月9日(月)
休日にしては京葉線の賑わいは穏やかである。風の強いホームから大荷物を引きずって乗り込み、快速で一駅乗れば海の側にディズニーランド、眩しい光の中へ浮き浮きした人々が吐き出されていき、一度に車内がガランと空いた。ということは、幕張メッセ周辺では大きな催しもないらしい。
北側のドアにもたれてスカイツリーの方角なんか眺め、今日これからの仕事の流れを頭の中でなぞる。ふと空いた座席を見下ろしてギョッとした。ついさっきまで人が座っていたところに、スマホが鎮座している。落とされたとか置き忘れられたとかいった風ではなく、堂々と真っ直ぐ中央に置かれているのが妙に威圧的で、こちらが少々動揺した。目に入って良いはずの乗客が向こうにこちらに5~6人、気がつかないのかフリなのか、一様に自分のスマホをいじって知らん顔している。
それから20分近く、乗ってくる客も降りてくる客も素通りの連続で、しようがなく手にとって下車した。僕のよりはかなり重いけれど、紺色のケースから覗いているピンクの本体は女物だろうか。改札口に若い駅員が二人、「忘れ物です。今出た蘇我行き快速の7号車北側座席、僕が気づいたのは舞浜を出た直後だったから、たぶん舞浜で下車したお客さんのものでしょう」と用意の口上を述べる。完璧!
「ありがとうございます、舞浜駅へ連絡しておきます。」何となく事務的な口調なのは、きっとこんなことが毎日ひっきりなしなんだろうね。持ち主は今ごろディズニーランドで慌てているだろう。外国人かもしれない。
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駅から大学へ向かう途中、ふと気になって鞄の中を覗き込んだ。そこにあるのが自分のスマホであることを確かめて安心。僕は筋金入りのおっちょこちょいで、忘れ物の方を鞄にしまって自分のスマホを駅員に渡すぐらい朝飯前である。そんな人間は滅多にいないだろうから、慌てて駅に戻って申し出たら、こいつわざとやったなと疑われかねない、ああ大変なことになった、ほんとにわざとじゃないんです、忘れ物を善意で届けただけなんですと、まるでそれが実際に起きたかのようにうろたえてしまう。これってビョーキ?
強い向かい風に逆らって歩くうちに少し正気に戻り(「病気」の反意語は「正気」かな、むしろ「狂気」の反意語か・・・)、今度は別のプロットが浮かんだ。間違えて自分のスマホを駅員に渡しちゃったところまでは同じ。うっかり自分の鞄に入れた誰かのスマホに着信が入り、これまたうっかり電話に出ちゃったところから事件が始まる・・・ドラマかマンガの筋立てにどうだろう?
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放送大学といえどもやはり日曜日は人気が少ない。それを当て込んでであろう、エレベーターが点検作業中で二基とも止まっている。20人分の修士論文を収めたスーツケースを抱えて6階まで上がり、朝から良い運動である。会場に入れば暖房で喉が渇くに違いない。4階の自販機でペット茶を買おうとして、立ち往生した。鞄の中に財布がないのである。まさか駅で・・・いやいや違う、さすがにそれはない。直近の行動をたどっていって思い当たった。昨夕、教会の帰りに雨が降ってきたので玄関ホールの傘を借りた。帰宅後に車で返しに行く際、財布をもって出たはず、それだ!
とりあえずT先生に小銭を借りてお茶を調達し、家人にメールして確認を頼む。ほどなく返信あり、「無事発見、車の助手席に鎮座してました」と。またまた安堵の息をつきながら、何か不思議な気もちになる。今朝がた京葉線の座席に鎮座していた誰かのスマホと、車の助手席に鎮座して一晩明かした僕の財布、これらが何かの見えない糸でつながっているということは、ありえないものだろうか?
今昔物語や宇治拾遺物語の応報の筆法なら、「もしも京葉線のスマホを見て見ぬフリしていたら、自宅の財布は僕の手に戻らぬカラクリになっていた」とでも続くところ、少々俗に落ちましたか。
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