2017年1月19日(木)
W君からメールが来て、「君がいいかな、こういう情報の共有は」と問わず語りにいきなりおしゃべりが始まる。
その昔、医学部めざして浪人していた頃、高校生物の教科書を離れて発生学や分子生物学の本を読んだり、教育TVの放送を視聴したり、けっこう楽しんでいた。中村桂子、木村資生などと並んで、岡田節人という先生の話が面白くて記憶に残っているが、その岡田氏が亡くなったとの報道に接して往時を思い出した。御尊名を「おかだ・ときんど」と読むことを、今になって知った等と述懐している。
「大物の発生学者でいらしたようです」と、W君が教えてくれた web site から御真影を拝借する。
http://brh.co.jp/s_library/interview/30/
生命誌研究館 館長、京都大学名誉教授とあるが、肩書きはともかく大物でいらしたことは間違いない。僕も岡田先生の本に学び、17日に他界されたことにも気づいていた。ブルーバックスに『細胞の社会 ~ 生命の秩序をさぐる』という一書があり、僕が読んだのはこれである。その後、副題を「生命秩序の基本をさぐる」とマイナーチェンジして版を重ねたようだが、今は絶版らしい。僕は1973年の初版第2刷を購入しているので、W君が放送を聞いたよりは少し早かったことになる。当時いちおうは文系志望だったから、こんな本も読んでいたのが不思議な感じである。
その数年後、たぶん医科大に入ってからだと思うが、優生学をめぐるちょっとした論争の中で、岡田先生のかなり微妙なコメント新聞に載り、考えさせられたことがあった。その時あらためて紙面から伝わる論者の「権威」について知ったのでもあった。
「かつては生物学に時代のイデオロギーが深く関わった」との岡田先生の言葉に、「イデオロギーのない時代に青春をむかえた自分には、このコメントが面白かった」とW君の感想。う~ん、そこはちょっと難しい。当然僕もW君と同時に青春を過ごしたわけだが、個性ゆえか環境ゆえかイデオロギーが「ない」時代とは言い切れず、むしろ先行するイデオロギー過剰な時代の風の名残をたっぷり吸った感じがする。
ちょっと考えてW君に返した言葉:
「確かに僕らはイデオロギー終焉の時代に属するかもしれませんが、最初に通った大学の教室内外にはまだまだそう考えていない手合いや論客が多く、けっこう鍛えられました。その影響でしょうか、生物学に限らず学問のイデオロギー性とか党派性とかいったものは、決して消え失せていないと石丸は思っています。ただ、人がそのように見たり語ったりしなくなっただけのことで、それが進歩とも言えない気がします。」
さらに付け足し:
「思想の方向性はともかく、昭和2年生まれは父と同年、そんなことも手伝って何となく学問上の「父親たち」の一人のような感じがしていたから、訃報はやっぱり残念でした。ついでに貴兄が言及された木村資生先生、『分子進化の中立説』はすごい発見だと思うんだけど、あれはノーベル賞に値しないんですかね?」
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