散日拾遺

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目と腸と

2020-10-04 19:48:29 | 日記
2020年9月20日(日)

 一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った。そのとき、二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。
 群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。
 イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。
 イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。
(マタイ 20:29-34)
 
 「何をしてほしいのか」というイエスの言葉が、さしあたり注意を引く。わかりきったことではないかと思うが、決め込むものではない。相手が何を求めているのか、予断を廃して確かめよというのは診療の大事な心得で、答える側も自身の言葉によって、自分が何を求めていたのか悟るということがある。そうだ、自分は目を開いてほしかったのだ!
 ところでこの朝、M師が教えてくださったのは、「目を開けていただきたいのです」(33節)と「その目に触れられると」(34節)では、同じ「目」でも違う言葉がギリシア語原文に用いられているということである。(ラテン語訳では、どちらも同じ oculos である。)
 
 κύριε, ίνα ανοιγωσιν οι οφθαλμοί ημών. 主よ、私たちのが開かれますように。
 σπλαγχνισθεις δε ο Ιησούς ηψατο των ομματων αυτων, イエスは深く憐れんで、彼らのに触れた。

 二人の盲人がひたすら肉体の視力を求めたのに対し、イエスはそれ以上のもの ~ 心の眼を開くことを与えた、そういう構図をまず思い描いたが、どうやら浅知恵らしい。話は逆であった。
 το ομμα が動詞 οπταμοι(視る) の関連語で視覚器そのものを指すのに対し、ο οφθαλμος は「心の目、理解力」という意味でしばしば用いられるとある。(ルカ 19:42、ヨハネ 12:40、ロマ 11:8, 10、Ⅰヨハ 2:11)
 してみると二人は、どこまで自覚したかはともかく、はじめから心身の目がすっかり開かれることを望み、イエスは肉の目に触れることによってそれを実現したということになる。
 胸の中が融ける感覚。

 「深く憐れんで」と訳される σπλαγχνισθεις(< σπλαγχνιζομαι) はσπλαγχνον(腸、はらわた)に由来する言葉で、感情が内臓に定位されたところに由来すると言い、「腸のちぎれるような」「断腸の思い」といった当方の語彙にも通底する。イエスが深く感情を動かされる場面でしばしば用いられる。
 マタイ 9:36, 14:14, 15:32, 18:27, 20:34
 マルコ 1:41, 6:34, 8:2, 9:22
 ルカ 7:13, 10:33, 15:20
 ヨハネには用例がないようである。
 英語 spleen(脾臓)の語源ではないか等々、以前にも書いた。

  2017年9月28日「内臓と情動 ~ 補足」


 話は飛んで『刑事コロンボ』
 再映を懐かしく見るにつけ、昔と違って字幕付きで英語を聞けるのが嬉しい。小池朝雄の吹き替えは稀代の名演だったが、それだけにコロンボの人柄を微妙ながらはっきり変えるほどの効果をもった。だみ声で早口にまくしたて、随所に小さな毒針のしかけられたピーター・フォークの語りは、また別物である。
 第25回『権力の墓穴 A Friend In Deed』は、コロンボの上司にあたる警察幹部が、手の込んだ仕掛けで妻を殺すという話。この幹部が「なぜか気になって」警察ヘリを自宅上空に回し、そこで偶然犯行を目撃したと主張する。端から疑っているコロンボが例の調子で「部長も虫の知らせを感じられるようですが、あたしもそういうことがあるんで」云々。
 「虫の知らせ」と訳されている言葉、gut feeling が耳にひっかかった。
 " I have a gut feeling. "
 gut は「腸(管)」、gut feeling を「虫の知らせ」は好訳である。
 人は皆、腹に「虫」を飼っている。あるいは「虫」に飼われていると言うべきか。「虫」が知らせ、さらには「腹の虫がおさまらない」時、我々は理非を度外視した行動に出る。よれよれのコートにおんぼろ車、徹底的にアナログで執拗な捜査へとイタリア系のデカを駆り立てるのは、彼の腸に蟠踞する悲憤をかかえた「虫」であったような。


Ω


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