散日拾遺

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読書メモ 005 『人が人を裁くということ』

2013-08-03 11:50:38 | 日記
2013年8月2日(金)続々

ちゃんと本を読み終えてから考えを整理してメモを書こう
・・・などと思うから、三日坊主になるんだね。

むしろ、手に入れたらまず、メモを掲げてしまったらどうだろう。
後々、読むにつれ考えるにつれて書き足せばいいんだから。
ブログって便利だな~、よし、それではさっそく。

小坂井敏晶『人が人を裁くということ』岩波新書 1292

これは、ある患者さんの推薦だ。
推薦者はもともと社会科学系の研究者で、今はアルバイトで食いつなぎながら旺盛な読書を続けている。ときどき面白い本や食べ物屋を推薦してくれる、そのひとつだ。
筆者は僕とほぼ同年の愛知県生まれ、名古屋の路上ですれ違ったりしたのかな。
1994年、僕がアメリカへ留学した年に彼はフランス国立社会科学高等研究院を修了し、現在はパリ第8大学心理学部の准教授とある。
すごいな、カッコいいな。

さて、同書は裁判員制度に関する「誤解」の修正から説き起こし、自白と冤罪の問題を経て、標題のように「裁く」ことの本質論に立ち入って考えているらしい。昨日、三省堂の二階でパラ見して、それで十分なら買わずに帰ろうと思ったが(むやみに本を増やすのは、自炊の時代さすがに避けたいからね)、買う気になったのは次の一節が目に入ったからだ。

・・・国家の代理人である裁判官ではなく、市民が判決を下すという基本構図は同じでも、「市民」の意味が英米とフランスでは大きく異なる。
 英米はともに多民族・多文化を束ねる連邦国家だ。アメリカ合衆国が建国時以来の移民国なのは誰でも知っている。しかしイギリスが、イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランドという四つの異なる文化共同体の連合である事実はしばしば忘れられている。外国移民の統合の仕方にも多民族・多文化主義が反映され、普遍主義を採るフランスのように言語・文化の均一化政策が採られない。そのため、英語をほとんど話さない人々ばかりが集まって住む地域も少なくない。
 ところで、文化的多様性を保つ複合共同体では、中央権力はよそ者と見なされやすい。イギリス陪審制の背景には、王権に対する地方豪族の権力争いがあった。自分たち(の?)共同他の紛争を中央権力によって処理される反発から、陪審制度が導入されたのである。

ものごとのなりたちを、こんなふうに説明されればわかりやすい。
読み手の直観だが、読み進めていくにつれ、必ずしも同感できない内容が出てくるのではないかと思われる。
その点も含め、この夏の一冊に加えようと決定。

それにしても、720円+税ですか・・・
旧友のMは早熟な都会っ子で、「百円玉3枚もって本屋へ行って、岩波新書を2冊買って帰るのが中学時代の楽しみだった」とホザいたものだ。
今は昔、1970年代前半の話である。今や価格は5倍に近い。
活字離れも進むだろうよ。


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