散日拾遺

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「法王」と「教皇」/黙(もだ)せ罪びと

2013-10-23 07:34:33 | 日記
2013年10月23日(水)

1996年のこの日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が進化論を公式に認めたのだと、ラジオが伝える。

このこと自体とても面白い問題を含むけれど、今はそれではなくて。
メディアは例外なく「法王」と言うんだが、日本のカトリック信徒や関係者は決して「法王」とは言わない、「教皇」と呼ぶ。教皇さま、パパさまだ。
用語にはうるさいメディアが、この点をいつになっても直さないのが不思議である。

僕はカトリックではないけれど事情を知る者として、先日収録した放送教材では敢えて「教皇」という言葉を使った。もちろん当事者に対する敬意にもとづくことだ。
考査が「『法王』が正しいのではないか」とか言ってきたら面白いな。
この件は断じて引かないもんね。

*****

償いと赦しのこと、軽く書きすぎている。

起き抜けからこのことが気になるのは、赦しを乞うほかないけれども、赦してもらえるはずのないあれやこれやが、身の裡に堆積しているからか。

悔い改め μετανοια に進む前に、大事なステップがある。

schweigen und ・・・

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