散日拾遺

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『三銃士』再読のこと

2016-06-30 21:42:57 | 日記
2016年6月30日(木)
 日曜の晩にBBC制作の『四銃士』をやっている。もちろん『三銃士』のリメイクだが、原作のストーリーは好き勝手に改竄され、誇張された暴力シーンがやたら多い。ルイ13世はバカ殿、アンヌ王妃は劣情の奴隷、ロシュフォールは倒錯者、銃士隊員らは剣より銃が得意で ~ だから「銃士」というのか ~ 西部劇かミリタリーアクションみたいにむやみに撃ちまくる。『シャーロック』もそうだが、天下のBBCも今どきの悪弊から自由ではないんだね、残念。
 気が治まらないので原作を再読してやろうと思い立ち、御茶ノ水の帰りに角川文庫版を買ってきた。これが幼年期の記憶通りに面白く、帰りの電車の中で眠気を忘れた。

「卑怯者め、卑怯者め」
「まったく卑怯なやつでさ」宿の亭主がダルタニャンに近づいてきて、こうつぶやいた。寓話の中の鷺が蝸牛にしたように、こんなお世辞で青年と仲直りしようというわけである。
(上 P.24)

 おそらくこのボヘミヤ女の秘薬がきいたのにちがいない、あるいは医者がいなかったのもよかったのだろうか、ダルタニャンはもうその晩にはちゃんと立つことができるようになり、翌日にはほとんどなおっていた。
(上 P.25)

 それにトレヴィルは、敵を犠牲にして生きられないときは味方の犠牲において生きていくのがご時世の、その当時の戦争というものを実によく心得ていた。だから、彼の隊士たちは、彼以外にはなにものの名にも従わないという、悪魔の生まれかわりのような男たちばかりで組織されていたわけである。
(上 P.34)

 何がといって、この筆致の軽さ速さ鋭さが楽しくて良い。皮肉の辛さが何とほどよく効いていること!サキとデュマを対比するのは無茶というものだが、あれではなくこれこそ無類に好もしい。ユーモア vs ウィット?そうではないよな、たぶん。
 翻訳の問題はあるかもしれない。そう思って見直せば、角川文庫版『三銃士』の訳者・竹村猛氏は1914(大正3)年生まれである!道理で一行一行なつかしいのは、幼年期にもこの訳者の文を読んだからかもしれないと思ったりするが、何しろ少しも古さを感じさせない。
 ところで、BBCの『四銃士』(「四」銃士は日本語訳の加筆で、英語題は"Les Trois Mousquetaires" の「三」を取って英語表記に変えた"The Musketeers" である)で一つ面白いと思った修正は、ポルトスが黒人とのハーフとした設定である。大デュマ自身の出自と重なり、これはある種のリアリティを原作に付加している。
 もうひとつ、剣士たちの物語なのになんで「銃士」なのかと思っていたが、よく見れば"mousquet/musket
”つまりマスケット(銃)だったんだね!
 でも原作ではそんなに撃ってなかったよ。あくまで誇り高き剣士たち、宮本武蔵や新撰組の面々とどっちが強いだろうと、幼い頭で「真剣に」考えたものだった。

   
 
 Ω

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