散日拾遺

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宝塚のヤマトナデシコ/締めて1,700km

2013-08-26 15:08:12 | 日記
2013年8月20日(火)
後追い日記の続き

宝塚という場所には多くの古墳があるそうだが、これは頷かれる。
武庫川の流れを前にした日当たりの良い斜面で、水と太陽に二つながら恵まれているのだから、人が集まらないはずがない。
江戸時代には「宝塚」の地名があり、「塚のあたりで物を拾うと幸せになれるので」その名がついた等の縁起話がある。

この地域の近現代史を語るうえで、外せない人物がひとり。
小林一三(1873-1957、こばやし・いちぞう ~ 「いっさ」と読むなよ)
僕はつい最近まで知らなかったんだが、立志伝中の人物である。

山梨県出身、慶應義塾大学卒。
阪急電鉄をはじめとする阪急グループの創始者であり、宝塚歌劇団の設立者でもある。第二次近衛内閣の商工相、夏の甲子園高校野球大会の創設にも尽力、ついでに元プロテニスの松岡修造の曽祖父にあたるんだと。

詳細はネットにでも譲るとして、山梨出身というのがピンとくるのだ。
前に「県民性/藩民性」論議でも出てきたけれど、山梨では「藩」と「県」の連続性が強く、そこに住む人の県人/藩人意識がたいへん強い。「信玄公が天下を取っていたら」という話を前に書いたよね。
(「県?藩?もっと古いもの?/海を汚すということ」)

それも分かる気がするんだな。
甲府盆地を中心とした鍋底のような地形、海がないので塩も海産物も不足がちで、おしなべて資源に乏しい。そして、甲府盆地から見る富士山は、おそろしく巨きいのだ。

かの地に生れ育った人の中から壮大な野心家が現れるのは、しごく自然なことに思われる。

*****

宝塚在住の義理の従姉をたずねる。
彼女はイギリス人と結婚して二男一女をもうけ、オーストラリアを経て今はイギリスに住んでいる。今年は15歳の娘さんを連れて夏の帰省、この娘さんと当方の三男は誕生日が一日違いのハトコ同士でもあり、それやこれやをサカナに皆でランチということになった。

日本大好きのロンドン在住娘と、英語が面白くなり始めた東京の少年と、少しは会話があるかとは期待もおろか、15歳同士は言葉も視線もほとんど交わさない。代わりに従姉が御機嫌よろしく、豪州から英国までの逸話挿話をおもしろおかしく語ってくれた。

母親につられて少女もポツポツと語りだすが、イギリスについては良いことを何一つ言わない。
「向こうではどんな物を食べるの?」
「美味しくない物」
「美味しいものはないの?」
「ない、イギリスに帰ると体重が減る」
「遊ぶことなんかは?」
「ない、イギリスには、な~んにもない。いっつも天気悪いし」
取りつく島もない。
友達とは楽しいらしいが、3時に授業が終わるとスクールバスなんぞで散ってしまい、帰宅後はなかなか遊べない。なので日本の学校の「ブカツ」がうらやましくて仕方ないという。
オーストラリアのほうが、まだずっと良かった。お天気だって、スカッと晴れてたし・・・

僕が15歳、中3の時には「白豪主義」について教わった。
父が15歳、幼年学校生徒の時には、日本は英・豪と戦争を戦っていた。

セントルイス時代に親しくなったアメリカ人男性の想い出話だが、彼が日本人の妻とともに戦後のオーストラリアに滞在した頃、現地人からよく感謝されたという。
「大戦時のアメリカの活躍はありがたかった。我々だけでは日本軍を撃退できなかったからね。」
そこで彼が妻を紹介すると、決まって気まずい沈黙が支配したものだと。

時は流れる。
従姉がオーストラリアからイギリスへ移る時、周囲が口々に惜しんでくれた。
「なんだって、pom なんかの国へ行くんだい?ずっとこっちにいればいいのに」
「pom と結婚しちゃったから、仕方ないでしょ。」
「だからさ、aussie と結婚すりゃよかったんだよ。」

pom は豪州人の英国人に対する蔑称である。その語源に諸説あるが、従姉が紹介してくれたのは prisoner of Motherland というものだった。もともとは豪州が流刑地だったのだから、この説には痛烈なしっぺ返しが込められている。

従姉が笑顔で快調に飛ばす。
「大英博物館とか、どこも無料なの。衰えたりといえど、教育や医療の充実は見事だと思うわ。でも大英博物館には、世界中からぶんどってきたものがたくさんあるものね。無料で公開するのが罪滅ぼしよね。」

ハーフのナデシコさん、いつか父の国の良さに目覚める日が来るだろう。
今は良いことずくめに見える母の国に、厳しい批判をもつ時があるかもしれない。
結構なことだ。この種の枠組みに関する限り、今どきの若者は僕らよりもはるかに自由で、とらわれが少ない。
ハトコが初めてつくったというポテトサラダを、三男はモリモリ平らげておかわりした。


2013年8月21日(水)

5時45分、宝塚発。

出発がやや遅れたのは僕の失敗だ。
車に積み込む荷物を考えもなしに芝生に積み上げていたら、そのどれかがネコババを踏みあてたらしい。除染に一同大わらわ、あ~あ・・・

それでも、これで厄が落ちたのか、途中はスムーズに進行する。
新東名の「遠州森町SA」が昨年から楽しみになっている。「森の石松」の出身地だ。お茶と蕎麦、特にやまかけが美味しい。

 馬鹿は死ななきゃ直らねえ

これって、石松さんのお言葉でしたか。
昨年はこの句入りの手ぬぐいを買って帰って、研究室の入り口に吊った。
Mori no Ishimaru ・・・ アルファベット一つ違いなのね。

往路:前半 503km、後半 365km
復路:前半 324km、後半 505km
計 1,697km、今年も無事往還。

***

明けてS君よりメール:

おはようございます。もう帰京しもとの生活ですね。愛媛はいかがでしたか?
今朝のラジオ一首:

 八月の川原に咲くナデシコの涙ぐましよ今もむかしも (鳥海昭子)

ナデシコは純愛、才能を意味するそうです。
そんな意味があるとは知りませんでした。


カワラナデシコ (http://www.hana300.com/nadesi.html)

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