散日拾遺

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新幹線で東へ ~ 謎の巨岩と掛川城、敦賀気比と浜松商業

2015-04-01 21:16:10 | 日記

2015年3月31日(火)

 

 津から大阪難波まで100分ほど、地下鉄に乗り継ぎ、面目を一新した梅田界隈を眺めながら阪急線へ移動するのが少々厄介である。その後の中二日は全く何の役にも立たず、31日に東京へ戻ってきた。新幹線の速さには毎度感心する。景色を眺めるのはいつも楽しい。

 

 名古屋・浜松間の北側の山裾に、大坊主が地面から禿げ頭をもたげたような奇岩がある。名前なんかがついているんだろうか。

 天竜川・大井川間のやはり北側に、小さいけれどきれいなお城が見える。先般の大洲城に、やや小ぶりながら比較してみたい麗容だが、どこの城だろう?新幹線が速すぎて駅名も見えないが、掛川あたりか?

 帰って調べたら、果たして掛川城である。今川麾下の朝比奈氏が築城し、後に徳川氏の領有に移る。徳川氏の関東移封で豊臣氏に譲られ、山内一豊が拡張改築したものが現在の建物で、徳川時代には常に譜代の入る要衝だった。ただし1854年の安政東海地震で大半が倒壊し、二の丸御殿は直後に再建されたが、天守閣の復元は1994年のことだという。日本初の木造復元天守で、2006年選定の日本百名城42番とあった。小さなロボット然として可愛らしい。

 

 名古屋を出てからは、川を数えて東上する。緑野を潤す矢作川や豊川は愛知の川、力を撓めた天竜川、川幅広大な大井川、安倍川、富士川まで、静岡の川はごつく大きい。神奈川に入って酒匂川、相模川は人里に呑まれた感じがする。新幹線から東急線に乗り換え、帰宅寸前に渡る最後の大河が多摩川である。黄昏近く、3~4人の釣り人が見えるのは、何が釣れるのかな?

 

***

 

 車内の液晶ニュース、センバツ準決勝で敦賀気比が大阪桐蔭に満塁本塁打2本(松本選手の二打席連続)で勝ったことが繰り返し流れる。福井県勢37年ぶりの決勝進出とあるが、37年前の話なら知ってるよ。

 1978年春の福井代表は福井商業、やはり猛打のチームで、チーム結成以来無敗記録を更新中だった。残念ながら決勝は中部対決で浜松商業に敗れた。この浜松商業はさほど強いとも思われなかったが、甲子園で一戦毎に力をつけた。特に二年生投手の左腕・樽井(後に法政大学、河合楽器)の成長が著しく、決勝は確か3-1のスコアだったかな。(調べたら、ほんとは2-0だった。)

 当時は愛媛代表の試合でなくても、よく見ていた。その証拠に、勝ち続ける浜松商業の穏やかな校歌がすっかり気に入って、今でも歌うことができたりする。ネットで検索したら、樽井投手の子息が同じ浜松商業から愛知大学へ進んで野球を続けるのだそうだ。   

 78年のセンバツといえば、一回戦で前橋高校が春夏通じてただ一度の完全試合を達成している。その時のピッチャーが松本(後に早大、野球指導者、ときどき高校野球解説に登場している)だ。37年ぶりに「松本」が空前の大仕事をする大会みたいだね。 

 

 ただいま!

 https://www.youtube.com/watch?v=Ufoaw6SZz0E

 (浜松商業校歌)

 


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