2022年1月2日(日)
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを聴きながら、くつろいでページを繰っていくうちに、引き込まれてあっという間に通読してしまった。
竹倉 史人『土偶を読む ―― 130年間解かれなかった縄文神話の謎』晶文社(2021)
「土偶の謎を解明した」との筆者の宣言に対しては、さっそく疑問や異論が出ているようで、例えば下記。
『土偶を読む』を読んだけど(1)https://note.com/22jomon/n/n8fd6f4a9679d
議論の行方を楽しみに見守ることとして、持てる限りの知的資源を投入して謎解きに挑む姿は好ましく、文脈の副産物に収穫が多々あるのが読書の楽しみである。
以下、抜き書き:
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古代人や未開人は「自然のままに」暮らしているという誤解が広まっているが、事実はまったく逆である。彼らは呪術によって自然界を自分たちの意のままに操作しようと試みる。今日われわれが科学技術によって行おうとしていることを、彼らは呪術によって実践する。遺伝子を組み換えたり、化学肥料を開発したりするのと同じ情熱で、かれらは植物に対して呪術を行使する。異なるのはその方法と費用対効果だけであって、収量を上げるために自然界を制御しようとする心性は何千年経とうが変わらない。(P. 30)
人類ははるか古代から、この “善意ある存在” を ”精霊” として表象し、そのような存在から一方的に贈り物(ギフト)を受け取ることを良しとしなかった。秋には祭祀の場を設け、そこで精霊たちへ供物を捧げ、時には精霊と気前の良さを競うように盛大な返礼式(=収穫儀礼)を行ってきたのである。これは植物と人間における贈与論といってもよいだろう。長い都会暮らしで私の生命感覚は鈍磨していたようである。一粒の野生のクルミは、「食べる」という行為が単なる栄養摂取のそれではないことを教えてくれた。それは命という共通項を媒介にして、自分の肉体と植物とがひとつながりになる行為なのであった。(P.68)
クリやトチノキがこれだけの密度で集中的に自生することは考えにくく、(是川)遺跡周辺には現代でいう「里山」が広がっていたことがわかる。つまり、人為的に植栽・間伐などが行われ、有用な樹種が優先するような森林環境が維持管理されていたのである。(P.101)
ミミズク土偶が作られた縄文後期後半から晩期前葉にかけて、関東地方では直径三〜五センチメートルの木製や土製の輪状のピアスが流行していた。当時の服飾のトレンドが土偶の造形にも反映したのだと考えられる。(P.141)
帰宅後、採集した貝を一通り試食してみることにした。
収獲したのはマツバがガイ、ベッコウガイ、ウノアシガイ、キクノハナガイである。鍋で塩茹でにして、まず○○に食べさせ、問題がないようであれば私も食べてみた。(P.171-2)
縄文の土偶製作者は抽象芸術家でもデフォルメ造形家でもなく、あくまで写実主義のキャラクター作家なのであるから、(P.172)
目黒区にある八雲中央図書館…ここに『日本近海産貝類図鑑』が所蔵されている。この『貝類図鑑』実に1173ページにわたっておよそ5000種の貝類が掲載されている世界最大級の図鑑である 。(P.175)
それゆえ、顔に関係する情報処理のシステムは特に発達しており…顔パレイドリアはいわばその副産物であって、実際には顔でなくても、そこに顔に似たパターンが存在すると、それを自動的に顔として認知してしまうのである。図はその一例だが、顔パレイドリアが不随意、つまりわれわれの意志とは無関係に発生することがわかるだろう。すなわち数ある資格情報の中でも顔状のパターンは”特別扱い”されており、特異的な強制力をもって顔の認知が生成されるのである。(P.196)
顔文字も顔パレイドリアを利用している 。(P.197)
「くりくり」「アルクマ」「ふっかちゃん」…どのキャラクターも被り物の部分が植物で、顔の部分は動物によって構成されている。これは当然と言えば当然である。動物には顔があって植物には顔がないからである 。
こうした植物+動物というフュージョン系のデザインの最古のものが、トチノミとマムシが融合した5000年前のカモメライン土偶であったと私は考えている。この数千年の間にわれわれ人間の何が変わり、何が変わっていないのだろう。非常に興味深いトピックである。(P.228-9)
アナロジーは似たものを探す。— 樹木の幹とそこから側方へ伸びる細い枝、これに類似したものは何か?そう、それはわれわれの人体の、胴体とそこから生えた腕の関係に似ているのである。
こうしたブリコラージュによって樹木の枝が「腕」として表象されるのは極めて普遍的な事象である。アナロジーは人類の認知の基盤をなすものであり、最も普遍的な思考様式だからである。(P.948-9)
※ パレイドリアという言葉に、精神病理学以外の場所で出会ったのは初めてである。旧知のやや偏屈な友達に、旅先で思いがけず遭遇した感じ。
最後の引用部分に関して、「手足」を「枝」と表現することは古語では日常的に行われていた。やや婉曲的な効果があるかと思われる。
「帝いかり給ひて…四つの枝を木の上に張り付けて、火をつけて焼き殺し給ひてき」(水鏡・雄略)
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元日の夜の楽しみ、春から縁起のよさそうな。
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