2016年2月9日(火)
ユング的な共時性というのか、planned happenstance というのか、偶然の一致というのか、どう読んでもかまわないけれど、とにかく不思議な呼応ということが実際に起きるのである。
ダウン症(この「名称」に関する疑問は、あらためて記す)に触れながら原稿をまとめ、棟居先生宛にメール添付で送信をクリックした、まさにその瞬間に目に飛び込んできたのが下記の記事である。僕自身には、何よりこのことが小さからぬ驚きなのだ。なぜこういうことが起きる?誰が仕組んでいる?
出産後に「ダウン症」発覚し涙【アメマガ】 http://tell-me.jp/q/3453153?frm_id=c.amm-mail-magazine_l.dr-_r.
おそるおそる、上記のサイトを開いてみた。発端は「ゆる~いQ&A Tellme」に投稿された下記の質問である。
「幼馴染の友達が出産しました 。 入院中~退院2週間ほど経ったのでLINEでおめでとうを伝えました。 そしたら、ずっと既読のまま返事がなくて。一ヶ月ほど経った先ほど、電話がかかってきました。 赤ちゃん、ダウン症だったって。 泣きじゃくっててこっちも涙が出て言葉が全然、出てこなかったです。 今もまだ頭が爆発中です。 産むまで全くわからなかったので心の準備もできてなかったそうです。 私が、彼女に出来ることないかな。 今からでも会いに行こうかな。 どうしよう(TдT) 用意してた出産祝い、渡してもいいんですよね? 今のとこわかっている合併症はそんなに重くはないみたいです。 まとまらない文でごめんなさい(_ _)」
インターネット端倪すべからずというのはこういうことで、生命倫理と死生観に関するきわめて深刻な投げかけが、こういう日常の言葉で行われているのである。その後のやりとりも、ヤワな教科書・学術書が吹っ飛ぶような直言・実感満載だ。
実際に見てもらうのが一番だが、回答から少しだけ拾っておく。
「障がいがある子を突然育てろって言われてだれが喜べますか… 出産祝いを渡すのは他人事すぎます。 友達夫婦が受け入れれるまでは送らない方がいいと思います。障がいある子産んで今後の人生を悟って人生どん底ってくらい思い詰めてる最中に、人の気持ち知れずに出産祝い持ってきて、おめでとう!、って…」
「お友達が妊娠期間を経て出産を頑張ったことを素直にお祝いしてあげてはどうでしょうか? 電話やLINEは話の食い違いが出来かねないしやっぱり私だったらさりげなく『顔だけでも見たいな』と会いに行くと思います 電話口で一緒に泣いてくれたこと、私だったら救われるしきっととりつくろわない素直な気持ちが一番の励みになるはずです(^^) 御祝いの品が思い当たらなかったらカタログギフトとか、ママ向けのかわいい小物とかどうでしょう?」
「ぜひおめでとうっていってあげて!私も病気の子供を抱えた母親だから彼女の気持ちは痛い程分かります。 彼女に言える事は、決して我が子はあなたを悲しませる為に産まれて来た訳ではないという事。大きな病気を抱えて産まれて来たけど、それでもあなたがた両親に会いたかったんだと思います。本当に主さんが彼女の友達なら、彼女を可哀想だと思わず、何があっても『大丈夫だよ!』と声をかけてあげて下さい。」
「私は同級生にダウン症の子がいました。 でも、ダウン症の子って、症状の出具合にもよりますが 純粋な子が多くて 私の同級生の場合は結構人気者でしたけどね。 中学まで一緒でした。 ご両親が早く受け入れられるといいですね。 なかなか難しいのでしょうけど。。。」
「産まれるまでわからず出産して突然この子は染色体異常ですといわれることは親の心の準備もできておらず本当にショックが大きいかと思います。ダウン症は合併症がどれだけあるかでかなり変わります。確かに短命で筋力も弱く発達ものんびりです。大変なことは健常児より多いかと思いますがその子がいることで学ぶ事はたくさんあります。 障害があろうがなかろうが産まれてきた命。祝福されるべき命です。私は出産祝い渡してもいいと思いますよ。 うちは重度の障害がある子供がいますがおめでとうかわいいね。って言われて嬉しかったです。」
「私が正にご友人と同じでした。 お祝い、してください☺ ゆっくりなだけです。 普通に接して、ご友人が 話したいことがあれば 聞いてください。 天使だよとかの慰めはいりませんので。」
「私もダウン症の男の子がいて、主様のお友達と全く同じ状況でした。当時は毎日のように泣いて、どん底のような日々を送っていました。 でも、ダウン症といっても、健常な赤ちゃんと一緒で、命懸けで産まれてきてくれたんです。奇跡の子ですよ。だんだん日々を過ごすと、いろんなことに気付いてくると思います。愛おしさも日ごとに倍増しますよ。 お母さんもどんな赤ちゃんもみんな命懸けで頑張ったんです。おめでとうと言ってお祝いを渡してあげて下さい。」
「うちもダウン症の弟いましたよ。数年前までね。 最期は病院の管理不備で食事中に喉を詰まらせたのが原因で窒息、不幸中の幸いか蘇生が成功しましたがそのまま目がさめることはなく2ヶ月くらいで天国へ旅立たれました。 そんな弟は普通の子とは掛け離れてたかもしれませんが、誰よりも純粋で誰よりも優しくとても愛嬌のあり愛される弟でした。 普通の子と何が違うって、ただ個性的なだけです。 言動は不自由でしたがただそれだけです。 入院中だって病院スタッフのアイドルでしたし。 喋れなくたってコミュニケーションはとれます。相手の感情だってくみ取ってくれます。 ちょっとだけ個性的なんです。ちょっとだけ。 問題はその子が普通のなのではなく、周りがその子を愛せるか。 その子が今後幸せになれるかは決まると思います。 ダウン症だって程度が軽ければ普通に社会生活している方もいます。 うちは重めのダウン症でしたが程度なんか関係ないですけどね。 産んで育てると決めた以上は親であり、健常者であろうがダウン症であろうが障害者であろうが人なんですよね。 うちは未だ弟の存在を忘れません。 今だって会いたいです。 確かに突然の事で受け入れるのは大変でしょうが、その子の微笑みが親御さんをきっと救ってくれる日がきます。 お友達さんハッピーバースデーですね。励ましてあげてください。 お祝いはただ渡すのではなく、誤解のないように励ましてから応援するよ、一緒に頑張ろうねってぐらいなら快く受け取ってくれるのでは? お祝いがともかく、理解者であることを示してあげられたらと思います。」
***
「少しだけ」が、つい長くなってしまったが、まだまだ続くのである。進むにつれて次第に当事者・経験者のコメントが増え、河口に近づく川のようにやりとりがじっくりと厚みを増していく。比例して質問者とその友人に対する声援の広がるのが、目に見えるように感じられる。それだけに、いの一番に激しい反応を示した人のことがかえって気になってしまうのだ。こんなふうに強く反応する、どんな痛みをこの人は抱えているのだろう?
実は後の方で、冒頭のコメントに対するかなり厳しい批判が(正しくも)出てきている。それが相手の心に届くことを願う。
すべてのコメントを見たわけではないが、見た限りで発言者はすべて女性だった。何だか、毎度の保護者科の風景と妙に重なるのである。
Ω