散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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精神医学と文学と

2016-02-10 10:14:32 | 日記

2016年2月10日(水)

 作品(小説)を書いて見せてくれる人が、患者さんの中にときどきある。30年間に10人近くも出会っただろうか。

 こうした場合、文章の巧拙はさほど問題ではなく、それが回復過程においてもつ意味、果たす役割が重要であること言うまでもない。

 しかし今回は少し違う。この人の文章の冴えは、それ自体なにものかであるような。殊に痛快なのは、僕自身が以前から書いてみたかった、そのようなスタイル、そのような短さ、そのような緊迫感が全体を貫いていることだ。

 掲載したいが、やめておく。個人の(しかも他人の)ブログではなく、別のしかるべき媒体で世に出るはずのものなので。

 それにしても驚いた。精神医学と文学の関係を論じるのに、図書館ばかりにこもっている法はない、そういうことであるらしい。

 Ω


asymmetry

2016-02-10 09:21:08 | 日記

2016年2月10日(水)

 靴下を片っぽ履いたところで、ふとプチ・アイデアが閃いた。すぐに書いとかないと忘れるから、メモを取りに行く。室内のたかが5mほどの移動の間も、靴下片っぽだけというのはひどく落ち着かないものだ。何でしょうね、こういうのは。

***

 スウェン・へディンの探検記だったと思う。砂漠で迷った末にようやく抜けだし、街へ入ろうとして自分の身なりを振り返る。服はボロボロ、全身砂まみれだが、そんなのは珍しくもなかろう。足元を見れば靴が片足だけ脱げている。これはいけないと、迷わず残る片方も捨てて裸足になった。裸足ならば砂漠を放浪したと了解してもらえる。片足だけの靴だと、頭がおかしいと思われるかも知れない。へえ~、そうなんだと、確か小学生の頃の驚きである。

***

 村の子どもが着物姿で遊んでいた昭和初年のこと。幼い兄妹が遊びに出かけ、駆け回ったり藪をくぐったりしているうちに、妹の着物の片袖がひどく破れてしまった。兄は妹の姿をしばらく眺めていたが、やおら手を伸ばすと残った方の袖を引きちぎって取ってしまった。片袖だけの妹の姿が、どうにも危ういものに思われたのである。破れたのと破ったのと、袖二つを手にして帰ってきた兄妹の姿が、家族団欒の時に長く語られた。

 兄は長じて軍務に服し、昭和19年サイパン島にて23歳で戦没。妹は結婚して夫とともに外地にわたったが、夫が病没。赤ん坊を抱えて非常な苦労の末、命からがら帰国した。帰ってきた母子の姿は砂漠から逃げ延びたヘディンのそれと、さほど変わるものではなかったようである。その後は健康を回復し、郷里で長命した。

 母方の、伯父と伯母の話。

Ω

 


訂正、紅二点/「励ますな」は常識のウソ/リコーのリコピー往年の名CM

2016-02-10 08:14:14 | 日記

ポキミ様

 先日の質問者中の紅一点と書きましたが、これは間違いでしたね。

 貴女様の近くに座っていらした女性が、「これを訊かないと今日は帰れません」とおっしゃり、「『うつ病患者を励ましてはいけない』は常識のウソ」というチラシのフレーズについて質問なさいました。

 本当に、こんなデタラメ(といって悪ければ不正確なフレーズ)がいつまで横行するのだろうと思います。病人を励ますのがいけないなら、周りは一体なにをしたら良いんでしょう?

 あの場でお答えしたとおり、「むやみにハッパかけるな」とか、「ずっと頑張り続けてきてついに頑張りきれなくなった人に、重ねての『ガンバレ』は酷」といったことが原義でした。それが伝言ゲームの中で「励ましてはいけない」に化けたものでしょう。「きっとよくなるから、焦らず養生しよう」という励ましなら、いけないどころか花丸です。

 その昔、リコーのTVコマーシャルで伝言ゲームの恐ろしさをコミカルにアニメ化した秀逸なものがありました。発信者の口から出た小さな吹き出しが、伝言を重ねるうちに大魚に化け、ついには発信者を呑み込んじゃうのです。「情報は正確に、正確に、電子リコピー ♪♪」という歌もよくて、1974年に「第14回テレビフィルムCM部門ACC賞」というのをもらったとあります。日本のTVコマーシャルの中には、水準の高いものがありますね。

 インターネット上で見られないかと探してみましたが、そう簡単ではないらしい。やはり著作権の問題でしょうか。放送ライブラリー(みなとみらい線「日本大通り駅」近く)に行けば視聴できるようです。お暇の折にどうぞ。

 Ω