2016年2月10日(水)
作品(小説)を書いて見せてくれる人が、患者さんの中にときどきある。30年間に10人近くも出会っただろうか。
こうした場合、文章の巧拙はさほど問題ではなく、それが回復過程においてもつ意味、果たす役割が重要であること言うまでもない。
しかし今回は少し違う。この人の文章の冴えは、それ自体なにものかであるような。殊に痛快なのは、僕自身が以前から書いてみたかった、そのようなスタイル、そのような短さ、そのような緊迫感が全体を貫いていることだ。
掲載したいが、やめておく。個人の(しかも他人の)ブログではなく、別のしかるべき媒体で世に出るはずのものなので。
それにしても驚いた。精神医学と文学の関係を論じるのに、図書館ばかりにこもっている法はない、そういうことであるらしい。
Ω