









天保4年(1833年)、萩で生まれた桂小五郎は吉田松陰のもとで兵学を学び、江戸の斎藤弥九郎道場で修業を行って剣豪としても名を馳せ、諸藩との交流の中で尊皇攘夷派の先鋭として頭角を現していきます。
そして元治元年(1864年)7月19日、長州藩の強行派は京都で禁門の変(蛤御門の変)を起こすものの、薩摩・会津の圧倒的な勢力に敗北してしまいます。その後の長州藩は朝敵となってしまい、幕府による厳しい残党狩りに晒されていきました。
芸妓「幾松」の差入れによって助けられる小五郎ですが、自らの身に危険が迫ってくると、意を決して京都を脱出します。山陰道(丹波道)を福知山へと抜け、但馬の久畑(くばた)の関所では、警戒中の役人に尋問を受けています。当時同行していた出石の顔役「広戸甚助」は、小五郎を「私の船の船頭だ」と言いくるめる事で無事に関所を通過。4日間で約120kmの道のりを踏破し、7月27日に出石町へと入っています。
そして現在の出石のご紹介です。
フロントよっしー
秋の観光シーズンを控え、お宿いしちょうのお布団を新調いたしました。
リーストンムラタ様により搬入いただきました。ありがとうございます。
秋の京都はぜひお宿いしちょう、石長松菊園でお泊りください。 お待ち申し上げております。
お駒姉さん
いつもお宿いしちょう、石長松菊園をご贔屓賜り誠にありがとうございます。
当館は本日よりボイラー定期検査のため30日(金)まで全館休館とさせていただきます。
ご迷惑をお掛け致しますがどうぞご了承ください。
お宿いしちょう
石長松菊園
明日は五山送り火です。お宿いしちょうの屋上に上がってみましたが、強烈な風が吹いています。
時折体が持っていかれそうです!今晩中には日本海へ抜けそうなので、何とか開催できそうです。
吹き返しが弱い事を祈るばかりです。
ブログ班