日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

ハーフィズへの遠き道のり・4/中には強烈な章も…

2005年05月30日 18時45分26秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年ラビーウ・ッサーニー(4月)21日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)


 クルアーンの中には、日本人の心性には戸惑いを感じるような章もある。例えば「第111章・棕櫚章(スーラトゥ・ル・マサドゥ)」
1.アブー・ラハブの両手は滅び、彼も滅びてしまえ。
2.かれの富も儲けた金も、かれのために役立ちはしない。
3.やがてかれは、燃え盛る炎の業火の中で焼かれよう。
4.かれの妻はその薪(たきぎ)を運ぶ、
5.首に棕櫚(しゅろ)の荒縄かけて。
(※訳は、日本ムスリム協会発行の『日亜対訳 注解 聖クルアーン』による)

 アブー・ラハブは、預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)のおじであり、最も抵抗した敵のひとりであった。
 そのためこうしてクルアーンに、滅び行く愚か者として名を残すことになった。「神の言葉にしては強烈だなぁ」というのが最初の印象であった。

 でも、『旧約聖書』の「士師記」なんかだって結構強烈だよなあ。いきなり他の民族皆殺しにしちゃったりしているもんなぁ。
 『新約聖書』でも、ユダは永遠の裏切り者として名前残しちゃったしね。

 やはり神は優しい面だけでなく、恐ろしい面も持っているものなのだろう。

 暗記するという意味では、この章は内容が強烈なので暗記しやすかったけどね。