日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記5/エジプト

2005年06月16日 16時11分23秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ル・ウーラー(5月)9日 ヤウム・ル・ハミースィー(木曜日)
エジプト館公式HP

やはり本物の輝きには遠く及ばないけれどね。

 イスラム系パビリオンの中で、入場に一番時間がかかったのがエジプト館である。と言っても20分くらいなので、企業パビリオンの「7~8時間待ち」に比べれば、「時間がかかる」うちには入らない。
 
 中には、古代エジプトの出土品のレプリカがずらーりと並んでいる。「最も予想を裏切った」パキスタンに対して、「最も予想通りの」エジプトである。

 カイロの考古学博物館に行ったときは、写真撮影が禁止されていたので、そのリベンジとばかりにレプリカの写真を撮りまくった。

 しかし、ツタンカーメンの黄金マスク(レプリカ)の写真を見てもらえればわかるように、本物の輝きには遠く及ばない。ピカピカ度が全然違う。

 しばらく進むと、古代エジプト人に扮したおっさんが「パピールス!」「ヒエログリーフ!」と、独特なイントネーションで叫びながら、客にパピルスの短冊(みたいなもの)を配っていた。

 なんとなく受け取ると、ジェスチャーで「ここに並べ」と促された。何かと思ったら、500円出せば、パピルスにヒエログリフで名前を書いてくれるというイベントだった。

 そういうことはエジプトに行ったときにやったし、ヒエログリフは自分でも多少の読み書きはできるので、列から外れさせて頂いた。

 つらつら歩いていると、実際にヒエログリフを書いている場面に出くわしたが、「うわっ、ヘタやんけ」というのが本音である。
 まず、油性マジックで書くのはやめなさい。興ざめだから。
 エジプト大使館のアラビア語教室のテキストで、現代エジプト人の絵心の無さはよく存じ上げていたので、「ああ、やっぱりなあ」という感じではあった。

 最後にみやげ物屋を少し覗いた。ハン・ハリーリ・バザールの支店(?)ということで、なるほどいろいろなものが売っているが、現地とは比べものにならない価格である。

 ショーケースの中に、「クルアーン第113章・黎明章」の第1節をスルス体で刻んだ、真鍮製のプレートを見つけた。
 異教徒の国で、クルアーンの一節を書いたアクセサリーを売るのは、エジプトにしては珍しい。アラブ・バザールのときでさえ、「イスラム関係の言葉を書いたアクセサリーは異教徒に触らせるわけにはいかないから」と言っていたのに。

 店の兄ちゃんに、アラビア語で「これって『スーラト・ル・ファラク(黎明章)』だよね? いくら?」と尋ねると、ちょっと驚いてプレートを出して見せてくれた。
 1万4000円。
 高ーーーーーーーい!!
 「これでも安いよ」と兄ちゃん。
 いろいろと話すうちに、私がイスラム教徒だとわかると大層喜んでくれた後、申し訳なさそうに「ここでは、これは1万円までしかまけられないんだ。ごめんね」と言って、替わりにバッジと絵はがきをくれた。

 彼はアリーという名で、ここで売り子をするために2ヶ月間日本に派遣されたらしい。彼の収入から考えると、バッジと絵はがきの「日本価格」は決して安くないはずである。
 豊かな日本人にとっては、たかがバッジと絵はがきかもしれないが、友情の証しとしてとても貴重なものに思えた。

 そして嬉しい反面、ちょっとだけ申し訳ないような複雑な気持ちでエジプト館を後にした。ありがとうアリー。そしてごめんね。

「いかにも」なパビリオン外壁のレリーフ本物より「はっきりした」書記の像
本物はベルリンにあるネフェルティティ像ツタンカーメン夫妻を描いた玉座のレプリカ

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