日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

シンポジウム「サウジアラビアと日本の関係―現状と将来への展望」に参加して④

2006年04月06日 23時11分24秒 | イベント
ヒジュラ暦1427年ラビーウ・ル・アウワル(3月)8日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)
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 第2セッションの最初は片倉邦男元エジプト・イラク大使がサウジアラビアと日本の関係について政治的な話。今回も非常に大雑把な要約を紹介。

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 日本とサウジアラビアは、石油だけのつながりでなく、皇室と王室の交流もあり、文化的な交流も持ち続けてきた。

 イスラームのことわざに「知識を求めるためには中国までも行け」とあるし、アラブ イスラーム学院のモットーは「知ることが友情に変わる」である。
 また、「知る者と知らない者が同じということがあろうか?」ともクルアーンに書いてある。
 つまり、知識というのは重要なものなのである。

 1939年の横山ミッションでは、アメリカやイギリスなどが日本への資源輸出を禁止したため(いわゆるABCD包囲網)、直接サウジから石油を獲得しようとしたが失敗に終わった。
 そしてその結果第二次世界大戦は敗戦に終わった。
 しかし、戦後になり、(アラビア半島の)中立地帯で、「アラビア石油」が日本の企業としては初めて、単独で石油の掘削地を開発した。

 その後、1953年には日本にサウジアラビア大使館が設立された。

 1973年の第4次中東戦争の際には、アラブ産油国は日本を敵国のひとつと見なし、日本への石油輸出量を5%カットした。そのとき、後に首相となる三木武夫が、三木ミッションとして派遣され、ファイサル国王と交渉をおこなった。

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 以前、片倉大使の奥さんの片倉もとこさんの講演も聴いたことがある。お二人ともユーモアがあり、のんびりした雰囲気で、「ああ、やっぱり夫婦なんだなあ」と感じた。
 


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