自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

レジェントに対する敬意が感じられた『LOTTE 50th』@東京ドーム

2018-08-27 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
『LOTTE 50th(ロッテフィフティース)』と命名されたロッテ球団誕生50年目シーズンを記念した特別試合(対埼玉西武戦)が1969年当時の本拠地・東京にて8月21日(火)に開催された。当時の本拠地・東京スタジアムは現存していないので、会場は東京ドーム。

この記念となる試合に、選手としてロッテ・オリオンズに在籍したレジェンドOBである村田兆治氏と落合博満氏が出席。


オレがNPB観戦を始めた頃のパ・リーグは西武ライオンズの黄金時代。川崎球場には閑古鳥が鳴き、ロッテ・オリオンズは不人気球団の代表格だった。ロッテがオリオンズのスポンサーとなり、その後球団を買収してから東京から実質・仙台に移転したが、1974年日本シリーズ進出の際は、主催3試合は施設上の問題から仙台ではなく後楽園で行われ、日本一を決定した後の凱旋パレードも東京・銀座から新宿にかけて行われたのみで仙台では行われず、これらの行為は仙台市民や一部のスポーツ新聞から「地元無視」と批判された。

1978年から川崎に移転することになるが、本命の移転先は横浜であった。横浜スタジアム共用を大洋球団に持ちかけたが折衝に失敗し、後に大洋球団を失った川崎市の誘致を受け、首都圏回帰が必須だった球団は選択の余地がなく川崎に移転した。このことからも仙台に引続き川崎でも地元には目を向けることはなく、東京オリオンズ時代はNPB随一の地元密着人気球団が、一転して不人気球団に凋落した。

また、1969年~1972年、1973年~1991年に使用した基本ユニフォームとなるホーム用に企業名のみを表したことも地元やファンをないがしろにした行為だった。

とは言え、NPBを観戦し始めた頃のユニフォームではあるので、コンセプトは最悪にしてもあのLOTTEユニフォームを目にすると郷愁に駆られることも確かだ(それだけの理由でロッテ・ジャイアンツのレプリカユニフォームも購入したぐらいだしwww)。





そして、何よりも感慨深かったのは…両氏がまとった1973年~1991年版のユニフォームには当時のデザインのまま再現され、醜悪な広告ロゴが一切排除されていたこと。これは最低限のマナーでもあるが、両氏に対する敬意の現れだと自分では受け止めている。

3月3日(土)ナゴヤドームで行われた星野仙一氏の追悼試合で中日が哀悼の意を表し、監督・コーチ・選手が胸番号77、背番号20が配された1987~1995年モデルのキャップ・ユニフォームを着用したが、その際も広告ロゴを排除する配慮があった。先人の敬意を評する際はきちんとした形で当時のユニフォームを再現して欲しい。

阪神球団も3月10日(土)甲子園にて開催された星野監督追悼試合では2001年~2006年モデルを復刻とアナウンスしたが、そのユニフォームには…キャップにも、右袖にも、パンツにも…広告がベタベタと…故人を追悼するための試合に着用するユニフォームに商業主義丸出しの広告なんか必要ない。先人に対する敬意が感じられなかった。


話は逸れたが、醜悪な広告ロゴがない往年のオリオンズのユニフォームを纏った落合さんと村田さんを目にできたことは感慨深いイベントだった。あの頃のオリオンズって個性派揃いで、今思えば結構魅力的な球団だった。


#6 落合博満


#29 村田兆治

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)