先日、久しぶりに鎌倉の実家で数日を過ごした。
鎌倉の夜が、あんなに静かだったとは・・・。
僕が子どもの頃に使っていた2階の部屋には、今はシュタイナー全集が並んでいる。そこに布団を敷いて、次々に浮かび上がる子ども時代や思春期の思い出に取り巻かれつつ、久々にドイツ語で『神秘学概論』の前書きを再読した。
シュタイナーの痛々しいまでの覚悟が、改めて伝わってくる。40歳になるまで、リベラルな評論家として着実に地歩を固めていったシュタイナーは、突然、神智学協会という訳の分からない人々と交流を始め、そのドイツ支部の代表を引き受けてしまう。その結果、彼を評価していた女権運動の先駆けであるローザ・マイレーダーや、「個体発生は系統発生を繰り返す」ということばで有名な生物学者エルンスト・ヘッケルなど、大切な友人たちが一斉に離れていった。
シュタイナーはつねに当時の最先端の自然科学の動向を跡づけていた。そして、霊学について書いたり語ったりするときは、自分で最新の自然科学の知見を把握していない事柄については決して公表しないという原則を自分に課していた。本来、誰にでも、科学的知識の有無にかかわらず、表現の自由は認められるのだが、自分は自分のためにそのような原則を課すのだと書いている。そのように述べるシュタイナーの文体には、まったくの無理解にさらされることを予想した彼の孤独感がにじんでいる。
僕の父が、1950年代にドイツで初めてシュタイナーの思想に出会ったときも、これをどうやって日本のアカデミズムの世界で取り上げたらよいのかと不安に駆られたという。その後、60年代前半にシュトゥットガルトにあるキリスト者共同体のゼミナールとミュンヘン大学を行き来しながら、必死で現代思想に取り組み、いずれ日本にシュタイナーを紹介するときのための理論武装に励んでいたと語ってくれたことがある。
その当時、僕は3歳にも満たず、母親といっしょにシュトゥットガルトにいた。そして、日本に戻ってからは、家族でこの家に住んだのである。
結局、父は大学を辞めて在野の学者になり、同じ頃、子どもの僕は不登校になった。そして、僕も今、あの頃の父と同じ年齢にさしかかっている。
なんで僕はこの家に生まれたのだろうか。
子どもは皆、生まれた家から巣立っていく。一人ひとりが自律した「個」を確立できたとき、家族はまた独立した人間同士の関係として再構築されるのではないか。
僕のなかには、自分はシュタイナーと出会うためにこの家に生まれてきたという強い感覚がある。父親の書いたものや講義からシュタイナー思想を学び、30代になってからは、自分でシュタイナーの著作を原書で読むことで、自分自身の目でシュタイナーが考えていたことの基本を捉えることができたと思っている。僕が理解したシュタイナー思想は、父が伝えてくれたものとは、実は、かなり違っていた。でも、父の努力があったから、僕も自分の目、自分の感覚をもてたのだと思っている。
そして今、僕のなかでは、シュタイナーへの違和感がふたたび強まってきている。シュタイナー思想の内容、アントロポゾフィーへの違和感ではない。アントロポゾフィー(人智学)とは、「人類の知恵」のことであって、シュタイナーのみならず、すべての人間の経験や思考の総体のなかから浮かび上がるもののことである。
要するに、シュタイナーは、僕とは違う人間で、僕とは違う感性と視座をもっているという当たり前のことが強く意識されるのだ。
ゲーテがいたから、またニーチェがいたから、シュタイナーは自分の思想をつくりあげることができた。シュタイナーがいたから、僕の父の、僕自身の、あるいは他の多くのアントロポゾーフ(人智学徒)たちの個別の思想が可能になった。
でも、アントロポゾーフってなんだ? シュタイナーの語ることをそのままに受け止めるなら、アントロポゾーフとは、人間として生きようとする人間のことにすぎない。そして、アントロポゾフィーとは、この時代に生きる人間たちが共有できる普遍的な知恵のことだ。その普遍的な知恵に到る入口は、一人ひとりの個人の「私」の思想である。
こんなことは、今までも何度も何度も書いたり語ったりしてきた。しかし、今、僕は改めて自分の「違和感」から出発したいと思っている。
(写真はフランクフルトの空港で出会った友だち。最近、僕の仕事に付き合ってくれている)。
鎌倉の夜が、あんなに静かだったとは・・・。
僕が子どもの頃に使っていた2階の部屋には、今はシュタイナー全集が並んでいる。そこに布団を敷いて、次々に浮かび上がる子ども時代や思春期の思い出に取り巻かれつつ、久々にドイツ語で『神秘学概論』の前書きを再読した。
シュタイナーの痛々しいまでの覚悟が、改めて伝わってくる。40歳になるまで、リベラルな評論家として着実に地歩を固めていったシュタイナーは、突然、神智学協会という訳の分からない人々と交流を始め、そのドイツ支部の代表を引き受けてしまう。その結果、彼を評価していた女権運動の先駆けであるローザ・マイレーダーや、「個体発生は系統発生を繰り返す」ということばで有名な生物学者エルンスト・ヘッケルなど、大切な友人たちが一斉に離れていった。
シュタイナーはつねに当時の最先端の自然科学の動向を跡づけていた。そして、霊学について書いたり語ったりするときは、自分で最新の自然科学の知見を把握していない事柄については決して公表しないという原則を自分に課していた。本来、誰にでも、科学的知識の有無にかかわらず、表現の自由は認められるのだが、自分は自分のためにそのような原則を課すのだと書いている。そのように述べるシュタイナーの文体には、まったくの無理解にさらされることを予想した彼の孤独感がにじんでいる。
僕の父が、1950年代にドイツで初めてシュタイナーの思想に出会ったときも、これをどうやって日本のアカデミズムの世界で取り上げたらよいのかと不安に駆られたという。その後、60年代前半にシュトゥットガルトにあるキリスト者共同体のゼミナールとミュンヘン大学を行き来しながら、必死で現代思想に取り組み、いずれ日本にシュタイナーを紹介するときのための理論武装に励んでいたと語ってくれたことがある。
その当時、僕は3歳にも満たず、母親といっしょにシュトゥットガルトにいた。そして、日本に戻ってからは、家族でこの家に住んだのである。
結局、父は大学を辞めて在野の学者になり、同じ頃、子どもの僕は不登校になった。そして、僕も今、あの頃の父と同じ年齢にさしかかっている。
なんで僕はこの家に生まれたのだろうか。
子どもは皆、生まれた家から巣立っていく。一人ひとりが自律した「個」を確立できたとき、家族はまた独立した人間同士の関係として再構築されるのではないか。
僕のなかには、自分はシュタイナーと出会うためにこの家に生まれてきたという強い感覚がある。父親の書いたものや講義からシュタイナー思想を学び、30代になってからは、自分でシュタイナーの著作を原書で読むことで、自分自身の目でシュタイナーが考えていたことの基本を捉えることができたと思っている。僕が理解したシュタイナー思想は、父が伝えてくれたものとは、実は、かなり違っていた。でも、父の努力があったから、僕も自分の目、自分の感覚をもてたのだと思っている。
そして今、僕のなかでは、シュタイナーへの違和感がふたたび強まってきている。シュタイナー思想の内容、アントロポゾフィーへの違和感ではない。アントロポゾフィー(人智学)とは、「人類の知恵」のことであって、シュタイナーのみならず、すべての人間の経験や思考の総体のなかから浮かび上がるもののことである。
要するに、シュタイナーは、僕とは違う人間で、僕とは違う感性と視座をもっているという当たり前のことが強く意識されるのだ。
ゲーテがいたから、またニーチェがいたから、シュタイナーは自分の思想をつくりあげることができた。シュタイナーがいたから、僕の父の、僕自身の、あるいは他の多くのアントロポゾーフ(人智学徒)たちの個別の思想が可能になった。
でも、アントロポゾーフってなんだ? シュタイナーの語ることをそのままに受け止めるなら、アントロポゾーフとは、人間として生きようとする人間のことにすぎない。そして、アントロポゾフィーとは、この時代に生きる人間たちが共有できる普遍的な知恵のことだ。その普遍的な知恵に到る入口は、一人ひとりの個人の「私」の思想である。
こんなことは、今までも何度も何度も書いたり語ったりしてきた。しかし、今、僕は改めて自分の「違和感」から出発したいと思っている。
(写真はフランクフルトの空港で出会った友だち。最近、僕の仕事に付き合ってくれている)。
昨夏、那須でお目にかかり、とても懐かしい気持ちになりました。
昔、あなたのお父上の講座に出ていた折、仰っている内容がシュタイナーの言わんとしていたことと違うのではないかと思い、袂を分かつことになりました。
けれど、高橋巌氏がその思想を日本に伝えてくださった先駆者である事実は変わりません。
いつか、あなたがご自分の言葉でシュタイナー思想を語られるようになるときこそ、日本に本当のシュタイナー思想がもたらされる時なのだろうと、ずっと思っていました。
いつの日にか、日本のアントロポゾフィーを代表してください。
その時は私もそこに戻って生きたいと思います。
はじめまして
大人になってから シュタイナーについて知り、
アントロポゾフィーを学びはじめたばかりですが、
入間さんのブログのなかの言葉は
いつも素直に私の頭のなかに入って来ます。
アントロポゾーフとして
これから生きて行くためのヒントになりました。