入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

父の軌跡(1)

2006-04-03 22:47:19 | 霊学って?
父と話をする前に、僕が聞き知っている父の歩みを自分なりに整理しておきたいと思う。

父は東京の中野の生まれだ。親は呉服屋で、たしか5人くらいの兄弟姉妹の末っ子だと思う。一番上に、とても賢いお姉さんがいたが、父が生まれる前に、若くして亡くなったと聞いたことがある。

父の子ども時代については、こんな話を聞いたことがある。

父は額が広くて、真ん中に三角形の傷がある。これは彼が幼い頃に、自転車に乗っていて転倒し、石か何かに額を打ちつけたときの傷だそうだ。頭に手をやったら、その手がずぼっと中に入って、そのショックで泣き出した、と言っていた。

あるいは、中野の家の屋根から落ちて、必死に母親を呼ぼうとしたが、あまりの痛さに「かあ、かあ」としか声が出せなかったら、お母さんが通りかかって「だれ、カラスの鳴きまねをしてるのは?」と言われたとか・・・。

お兄さんが弟である父のために気をきかせて、自転車で写真屋まで連れて行ってくれて、「カメラを買ってやるぞ」と言った。父は「ほしい」というのがはしたないと教わっていて、「いらないや、そんなもの」と言ってしまった。お兄さんは傷ついたように「そうか」と言ったという話。
(この話を聞かされたとき、子どもの僕はひどく後味が悪かった。後から、ヘルマン・ヘッセの『デーミアン』を読んだとき、妙に父とお兄さんの話を思い出させる場面があった。主人公のシンクレールを異教の神アブラクサスや神秘主義の世界に誘ってくれたピストリウスに対して、シンクレールがあるとき、「あなたの話はどうにもかび臭いですよ」と言う場面である。僕の中では、自分に親切にしてくれた人に対して、何か辛らつなことを言ってしまったときの後味の悪さが、こんなふうに連想されているのである。)

父は、中学生のとき、学徒動員で工場で働いていた。
ある日、上空からドラム缶のような爆弾が落ちてくるのをただ眺めていたことがあった。これで自分は死ぬのだと思ったという。しかし、それは不発弾だった。

工場で働いている間、父は精神のよりどころのようにして、岩切という人の『数学精義』という参考書を毎晩少しずつ読んでいたという。あるとき、軍人が工場に視察にやってきて、働いている子どもたちを集め、黒板に数学の問題を書いて、「これが解ける者」と言った。誰も手を挙げないので、父が出て行って、その問題を解いたら、その軍人は一言、「よし」と言ったとか。

学校で、友だちが天皇陛下の話をしていたので、「天皇陛下だって、人間だろ?」と言ったら、「この非国民め!」と思い切り殴られたとか。(この話を聞いたときは、戦時中に、天皇陛下も人間ではないかと考えていた少年がいたことに少なからず驚いたものだった。)

そして、戦争が終わって間もない頃だと思うが、夜、満月を眺めているときに、父は「自分はいま変わった」という強い感覚にとらわれたという。それ以来、まわりの人たちも「ガンちゃん(と父は呼ばれていた)は変わった」と口々に言ったらしい。

父は、大学では美術史を専攻したが、最初は法律を選んだと聞いたことがある。「なぜ法律を?」とたずねると、「世の中をよくしたいと思ったんだろうね」と言っていた。その後、自分がやりたいことは美術史だと思って、専攻を変えたそうだ。

法律を学ぼうとした背景に、やはり戦時中の経験があるのだろうか?
美術史に移ったのは、戦時中に見聞きした悲しいこと、むごいこと、醜いことに対して、「美」へのあこがれのようなものが生じたということはあったのだろうか?
父はバイオリンを習い、東京の書店で見つけたノヴァーリスの本を通して、ドイツのロマン主義へと導かれていく。その流れの先に、ドイツでのシュタイナーとの出会いがあるのだが、それは次に書くことにする。

僕が幼い頃、父はよく「特高」の話をした。戦時中というのは、自由にものを考えたり、政府に反対する意見を口にしたりすると、告げ口されて連行され、拷問される恐ろしい時代だったのだと。
僕はその話を聞くたびに怖かった。そして、自分の家の庭先に、見知らぬ人がいて、父を連行していく日が来るのではないかと、悪夢のような思いに怯えていた記憶がある。

いま思えば、幼い僕の「模倣」の力を通して(つまりシュタイナーのいうところの、幼児が全身を感覚器官にして、周囲の大人たちの目にみえる行動だけでなく、目にみえない内面の動きまでも知覚するという意味で)、父が直接体験した戦時中の時代の空気が、僕の内面に伝わってきたのではないかと思う。

いま時代は、ふたたびあの当時に近づきつつあるように思えてならない。
父の戦時中の子ども時代の話は、ぜひ改めて意識的に聞いておきたいと思っている。(つづく)

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1 コメント

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はじめまして (Yuki)
2006-07-28 10:23:23
はじめまして、カイさん。



シュタイナー関係をめぐりめぐってここにたどり着きました。



私はひびきの村で治癒教育の通訳を担当しています。いろいろと、思うことが山積みです。



お父様の戦中体験が幼いカイさんにしみわたる様子、私にも思い当たることがあります。人生最初の3年間、私は祖母とべったり、童話やお伽噺よりも、戦争中のこと、田舎の暮らしのことばかり面白がって聞いていました。そして、幼稚園に行くようになると「すいとんが大好き」「かぼちゃの花のおつゆはおいしい」などと、想像と現実をごちゃまぜにしたおしゃべりをするようになって、母を困惑させました。



ではまた。
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