入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

時間生物学とシュタイナー

2006-10-07 06:11:23 | 霊学って?
2冊の本の締め切りを同時に抱えてしまい、徹夜が続いた。昨日、2冊目の本のデータが印刷所に入ったという連絡があり、ようやくほっとしたところだ。

この2冊の翻訳は僕にとって、人生の節目に相当する作業だった。ひとつは「小児科診察室」というシュタイナー医学と教育の立場から書かれた育児書で、もう一つは「時間生物学と時間医学」という本である。今回は、オーストリアに著者を訪ねたことを含め、少し時間生物学のことを書いておきたい。もう一冊の小児科の本も、僕自身にとって非常に大きな意味をもっているのだが、それは次の機会に触れることにする。

この写真は、7月の初めに、オーストリアの南部、クラーゲンフルトというところに著者のひとり、マックス・モーザーさんを訪ねたときのものだ。2年ぶりにヨーロッパを3週間ほど旅して、以前から会いたいと思っていた人たちに訪ねて回った。そのひとりが、このモーザーさんだった。
拠点にしていたドイツのシュトゥットガルトからミュンヘン、ザルツブルクと鉄道を乗り継いで8時間ほど。かなりの長旅だった。目的地クラーゲンフルトの駅についたのは夜の8時近くだったが、迎えに来てくれたモーザーさんは、まだ明るいので、名所であるヴェルター湖を見せてくれた。とても美しい湖で、多くの芸術家がここに好んで滞在するという。

翌日、彼の子どもが通う地元のヴァルドルフ(シュタイナー幼稚園)を見せてもらった後、彼がかかわっている病院を訪ねた。ここで彼は、時間生物学の生体リズム研究に基づいて、整形外科の患者さんたちのためのリハビリテーションの開発を担当している。

オーストリアは、ドイツ語圏ではあるが、人々の気質はドイツ人とはまったく違うことを改めて感じた。ごくごく大雑把にいえば、ドイツ人よりもずっと素朴で、温かい。列車に乗っていると、ザルツブルクあたりまでは、食堂車はどこか洗練されているのだが、そこからさらに南に向かうと、雰囲気は一変する。たまたま乗り合わせた列車がそうだったのかもしれないが、禁煙車なのにもかかわらず、男も女も平気でタバコをふかし、ビールを飲んで、歌を歌っていた。車掌さんはそれを当たり前のように見ている。食堂車にはただひとり、ドイツ人らしい男性が難しい顔で本を読んでいるのが、すごく浮いていた。

ここはドイツ語圏といっても、シュタイナーが生まれたクロアチアに近いのだ。シュタイナーもこんな感じの素朴な人たちに囲まれて育ち、こんな感じの訛りのドイツ語を話していたのだろうか。

モーザーさんは、もちろんシュタイナー思想に精通しているが、いわゆるシュタイナー派の人たちに見られる閉鎖的な態度はまったく持ち合わせていない。僕が訪ねたときも、ちょうどオーストリアで活躍するふたりの音楽療法士との会見があった。僕も同席したのだが、このふたりはシュタイナーとはまったく関係がなく、ただ雑誌でモーザーさんの生体リズムの研究を知り、自分たちの音楽療法の実践と連携できないかと申し込んできたのだった。モーザーさんは、彼らの話に注意深く耳を傾け、ところどころで具体的な質問をしたうえで、彼らの音楽療法の実際のやり方を見せてもらい、さらに話し合いを継続することにしていた。当然のことかもしれないが、すべてに対してオープンに向き合い、価値あるものに対してはそれを認める姿勢にはとても共感した。本来、アントロポゾフィーとは、そういうものだと思うのだけれど。

ところで、僕はこの2週間くらい、モーザーさんを含む3人の著者による「時間生物学と時間医学」という本の校正を必死になってしていたのだが、その作業を通して、この時間生物学がシュタイナー思想と深くつながっていることがようやくはっきりと見えてきた。これは僕自身にとって、個人的に非常に重要な気づきだった。

モーザーさんは、時間生物学の草分け的存在であった故グンター・ヒルデブラント氏の弟子である。このヒルデブラントさんはアントロポゾーフで、自分の障害のある子どものためにシュタイナー学校を設立したような人でもあった。ただし、彼の学術的な著作では、もちろんシュタイナーが直接的に言及されるようなことはほとんどない。今回訳出した『時間生物学と時間医学』にも、本文中にシュタイナーの名前は出てこないし(「システム思考」との関連で「総合的直観」ということばが出てくるのだが、このことばに付記された原注をみると、シュタイナーの講演録が記載されている程度)、いかにも教科書らしい客観的な文体と、たくさんの実験データの図版が並んでいる。ところが、よく読むと、そこには明らかにシュタイナーの世界観がベースになっていることがわかるのだ。

それどころか、多少なりともシュタイナー思想になじんでいる人であれば、この時間生物学は、シュタイナーの人間学や医学のきわめて重要な科学的基盤となりうるものであることに気づくだろう。

というのも、ヒルデブラント氏の研究の出発点には、明らかに「心拍数と呼吸数が4対1の比率になっている」というシュタイナーの指摘があった。シュタイナーは、生命の基盤にはリズムがあると言い、人間の生命活動もリズムに支えられていると述べた。さらに、シュタイナーは、人間が次第に「外的なリズムから解放されていく」とも述べている。

このことが、ヒルデブラント氏の時間生物学のなかでは、人間の「時間的解放」として取り上げられている。時間的解放というのは、進化のプロセスを指している。たとえば植物などは、ほぼ完全に環境のリズム、つまり地球の自転による明暗(昼と夜)の移り変わりや、天体の運行などのリズムに依存している。そういう外からのリズムを「外因性リズム」という。

それとは別に、生物には、外界から独立した固有のリズム、「内因性リズム」がある。動物では、この内因性リズムがより発達していて、人間ではさらにそれが強まっている。人間の場合には、環境リズムからの離脱や逸脱が見られる。

つまり、時間的解放とは、生物がもつ自律的なリズムの発達であり、そうした内因性リズムが「自由」の生理的基盤になっているというのが、ヒルデブラント氏の考えである。

ただし、内因性リズムは、神経系のリズムのように周期の長さが1秒以下の短波リズムが多く、そこにはリズム相互の協調関係が成立しにくいのである。そして、実は生物の生命活動を支えているのは、単一のリズムではなく、無数の生体リズムの相互関係のネットワークなのである。このリズム相互の協調関係の、もっとも代表的な例が、心拍と呼吸の関係である。

この短波リズムの代表が神経リズムであることからも明らかなように、短波リズムはアストラル体の領域であることがわかる。アストラル体は生物に「内面性」を与え、個性を与えるが、同時に全体的な生命秩序からの逸脱や、生命の破壊をももたらすのである。

それに対して、外界から生命を秩序づける外因性リズムは、日のリズム(夜と昼)の移り代わりよりも長い周期の長波リズムである。人間には、眠りと目覚めのリズムよりも長いリズムは意識されにくい。しかし、7日(週)のリズムは、生体の治癒や回復のなかに働き、月のリズムはたとえば女性の月経リズムのように、生命を生み出す機能のなかに働いている。長波リズムは、明らかにエーテル体の領域といえるだろう。それは生命や再生、生殖を支える一方で、そこでは個は全体のなかに組み込まれている。

そして、ヒルデブラント氏の時間生物学では、この長波リズムと短波リズムの中間に、人間の調和的な生活を支える「外因・内因性リズム」の領域がある。その代表が呼吸と心拍なのだが、外界のリズムと同調、協調しつつ、固有の生命を営む可能性がそこでは与えられている。

そのような生体リズムの全体をヒルデブラント氏は「生体リズムのスペクトル」と呼んでいるのだが、そこには人間の三層構造が対応している。つまり、長波リズムには代謝系、中波リズムには呼吸・循環器系、そして短波リズムには神経・感覚系(ヒルデブラント氏は「情報系」という語を使う)が対応するのである。

以上のような背景を踏まえて、この本を読んでもらえれば、いかにヒルデブラント氏の時間生物学が、シュタイナーのリズムに関する示唆から出発して、きわめて具体的な科学的研究へと道をつけるものであるかが実感されると思う。
やや難解な説明になってしまったと思うが、この本の画期的な価値が少しでも伝わればうれしいかぎりである。

ところで、10月15日(日)には、このモーザーさんとラインヒルト・ブラスさん(音楽教育)による「シュタイナー音楽療法セミナー:科学と芸術の対話」が東京で開催される。この日までに「時間生物学と時間医学」の本を完成させるために、昨日までの徹夜の作業があったのである。通訳は入間カイが担当。一人でも多くの人に、アントロポゾフィーの最前線に触れてもらえたらと願っている。

関心のある方は、アウディオペーデ研修センターのHPへ。日野原重明氏によるシュタイナー音楽療法についての寄稿文もあります。

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1 コメント

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Unknown (moonbow)
2006-10-07 18:27:21
人間を創る世界に色々なリズム,周波が織り成し世界が生まれるのですか。また新しい世界観を持てるような気がします。本を入手しゆっくり学んでいきます。ありがとうございました。
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