先日の佛日寺教室では、彩色する人と新たな課題の構想を練る人など集中する2時間となった。その中で、彩色する男性が一心不乱に筆を運んでいた。課題の不動明王の火焔を描き、肌部分には紺を配色。濃淡の調整に苦慮しながら半歩ずつではあるが進んでいた。進むにつれ、不動明王が見え始めてきた。まだまだ初めの一歩であるが、喜びをかみしめていたのが印象に残った。それを傍から眺めているだけで心に響くものがある。
文・写真/ 渡邉雄二
制作/ 佛日寺教室
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昨日は、雨にもかかわらずクラブ発表会に多くの方たちが来場されたようである。
各クラブとも力作が勢ぞろいする中、仏画曼荼羅アートクラブの皆さんの作品が珍しさもあってかひときわ注目を集めていたようだ、という声をいただいた。
なんでもそうであるが、自分が創作したものが人の目に触れ、些細なことでも受け止めていただけるなら何ものにも代えがたい喜びにつながる。創造物を通してコミュニケーションが生まれ、そして何かが見えてくるような気がする。
数枚の写真を眺めながら描いた方たちの顔が浮かんだ。
文/ 渡邉雄二
写真/ 仏画曼荼羅アート生徒さん
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仏画曼荼羅アートの泉佐野教室は開講して7年になる。生徒さんたちは、仏画制作を日常の一コマとして楽しんでおられるようだ。同じ課題であってもひとり一人の作品がまったく異なる。仏画を通し自分の姿を描写しているようにも見える。
それらの作品が、昨日と今日2日間、泉佐野市生涯学習センター(市場東1丁目)で展示されている。同学習センターに登録している各種クラブの年一度の発表会。仏画曼荼羅アートも同クラブの一員として、生徒さんたちの作品を展示している。華やかで個性豊かな作品が来場者の目を引いているようだ。
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古くから息づいているモノやコトには必ずと言っていいほど伝説が付いている。その伝説は、モノやコトが創造されたときに、いまでいう取扱説明書のような役割のものだったのかもしれない。
わかりやすい喩えで言うなら、100年以上も続く老舗には、その店にしかないこだわりの言い伝えがあり、それが代々伝わり店の心柱になっている。
それと同じようなことだが、少々推測できそうもない歴史でものを言うなら、すごい話が尾ヒレとなってついている。そのひとつを紹介する。
先日、仏画曼荼羅アートの各教室で課題として提示していた「不動明王」にも計り知れない伝説というか、その伝説を創った存在理由のようなのがある。
全ての不動明王にあるとは限らないが、ほとんどの不動明王の頭上には「蓮華座」がのっている。いわゆる “蓮の花” である。通常よく見かける仏像は蓮華座の上に立っているか座っているのが一般的あるが、不動明王は足元に蓮の花があるのではなく、頭上にある。
その上に何か物が置けそうである。実は、この蓮の上に仏教に目覚めた人や人の魂をのせるようになっている。その人の代わりに不動明王は、地獄の地面を歩いてくれる仏さまという伝説をもつ仏像として役割を果たす。
古代インドでは、蓮は命の創造、豊穣、幸運、繁栄等の象徴とされ、インドの文献には蓮の花の上に立ち、蓮華の飾りをつけて誕生したとされる神様の事が記されている。蓮華台を根本的なシンボルとしている仏教では、仏教が誕生した際に、蓮華はお釈迦様の誕生とともに花が開いたといわれている。蓮華は泥等のある池でもしっかりと根を張り、きれいな花を咲かせるということが仏教の教示に近似することからも大切にされている。
蓮は泥の中で成長し、やがて水面から茎をだして美しい花を咲かせる。花の下は泥の中だから、頭上に蓮を頂く不動明王の姿は「泥の中は煩悩にまみれた現世で、わが身は泥の中にありながら衆生を美しい悟りの世界に導く、という強い誓願を示している」という意味のようだ。よごれた泥のような現世で苦悩する衆生のそばに現れ助けてくださる、そんな智慧と慈悲の仏さまだ、と。
ものの見事な伝説である。だれが創造し生み出したかはわからないが、悠久の歴史に伝え継がれてきた形ある存在のものとそれにまつわる伝説である。それを想像しながら描く不動明王は深く心にしみいり美しいと思えてくる。
頭上に人の魂をのせる蓮華座がある
文責/ 渡邉雄二
写真/ ネットフリー画像
参考文献/ ウィキペディア「不動明王」・その他不動明王と蓮華について
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