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断崖に咲く向日葵のように

沁み



いずれ、、、先の話しだが、
身体は思うようには動か(け)なくなるだろう。
それは誰もがみな、老いていくものだし、
それは仕方ないこと。

まだそんなことを言うほどの「お年寄り」ではないが、
だからって「ナウなヤング」では無い。
ほら、ナウなヤングっていう言葉が出てくる程度の年齢なわけだ。

最近かな、
僕は「時」を少し無駄にしてきたように感じているんだ。
もちろんその「無駄の時」さえ意味のあることで、
だからこその「いま」なのだと思っている。
そう思えるようになってきている。


あと何が出来るかな? 漠然と考える。
いまなら、いまだから、
どんなことが出来るのか?
これからどんなことをしたくなるのか?

「健康」とか「身体のケア」だなんてしようと思っておらず、
痛んできたり悪くなってきている箇所があっても、そのまま放置してきた
そのツケがそろそろジワジワと身体のいたるところから
沁み出してきていることを、ここ数年くらいから感じ始めている。
じゃあ、とっと医者でちゃんと診てもらったり通院し治療すれば
いいじゃないかって話だが、、、

こんなことを書いたら、怒られるだろうが、
それほど、、、っていうかあまりっていうか、特にというか
生への執着はほとんどなくて、病気になったらなったまでで、 
遅かれ早かれ、みんな死ぬわけだし、
薬漬けになって生かされる日々なんてイヤだし、
最期の時に、そのときに「安らか」だろうが
そうじゃなかろうがとか興味は無いというか、
穏やかでも安らかでもなければ、
「アンラッキーな人生だったぜ」と捨て台詞を吐くか
そう思うしかない。

これは前から書いていることだけど、
死んだらおしまい、はい、それまでよ~ 
だと思っている。
今日、出かけた際に車にひかれて死ぬかもしれないし、
豆腐の角に頭をぶつけて死ぬとは思わないが、
打ち所がちょっと悪ければそれだけで人なんてあっけなく死ぬのだし、
そんなこと自分にはぜったいに起こらないとなどとは思っていない。
いつも何かしらで死んでしまうかわからない中で、
僕らはいまを生きているんだ。

僕は「時」を少しだけ無駄にしてきてしまったんだ。
その無駄の先に「今」があり、
車に轢かれたり、
どこからか豆腐が飛んできてに頭にぶつかり打ち所が悪く死んだりとか
そんなことが無いようだと、身体に悪いところが次々と沁み出しながらも、
まだ僕は当面生きることなる。
だとしたら、その時間で何が出来るのだろう。
若い時のように、無駄に「時」を使うことはもう出来ない。したくない。
じゃあ、何が出来るのだろう。

僕はいまそんなことを時折考えている
おかしいかな?
君が居たなら何て言うのかな?
呆れた顔で笑ってくれるかな・
それとも、「いいから早く医者に行け」とかかな。

とても古い傷は、
痛みとともにずっと沁み出して
あんなにも溢れて出ていたのに、
いつのまにか今ではそれは「シミ」のようになった。
消えないシミだし、消そうともしない。
もちろん消えるわけもない。
そのままで行くよ。
このままでもう少し行くよ。
君は笑ってくれるかな?
君が居たなら何て言うのかな?


::::::::::::TAKA ONE'S STATION NOZOMI :::::::::::::::::
     ~blog 断崖に咲く向日葵のように~
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