古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古事記の日本神話と九州、出雲以外の神話

2017-06-12 10:02:04 | 歴史
古事記の日本神話から素戔嗚を省いてみるとで紹介した通り
古事記の上巻で登場する神話は、九州の神話に出雲の神話を加えて編集されているようです。
では、近畿や他の地方には神話は無かったのでしょうか。
古事記の編集者は、無理やり神武東征の話の中に詰め込みます。
神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコ:45歳)は遠くの地では争い事が多く、塩土老翁(シオツツノオジ)によれば東に美しい国があるそうだから、そこへ行って都を作りたいと言って、日向を出発します。
先に、塩土老翁(シオツツノオジ)と云う神様が近畿の地におられます。
北九州の岡田宮で1年過ごし、さらに阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮で8年過ごし
浪速国で長髄彦(ナガスネヒコ)の軍勢に敗れ、兄の五瀬命(イツセ)が亡くなります。
迂回した熊野では高倉下(タカクラジ)が、一振りの太刀を持って来て現れます。
九州の高木神の命令で遣わされた八咫烏の案内で、熊野から吉野の川辺を経て、さらに険しい道を行き大和の宇陀に至る。
宇陀には兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟もいます。
宇迦斯(エウカシ)は自分が仕掛けた罠にはまって死んでしまいます。

聖徳太子と蘇我馬子が、初代天皇の即位を紀元前660年に設定したため、挿入できる年数がたっぷりあります。
倭建命(やまとたけるのみこと)や倭姫命(やまとひめのみこと)の様に、名前に 倭 を入れる事で
天照直系に入れてもらえた神話もあります。

古事記は、天皇家が日本を産んだ神の子孫でる事を証明しますが
同時に、山陰の出雲、山陽や四国など瀬戸内海の国々と近畿の国々を敵に回すことなく西日本をまとめる役目も果たしています。

大和朝廷のご先祖様か。古事記の上巻から中巻の神武東征の話から
九州の祈祷師 邪馬台国の女王 卑弥呼 = 天照大神 と考えるのが正しいようです。
日本神話では、天照大神は数千万年、数億年前になりますが、実は弥生時代後期でした。
文字のない、弥生時代、古墳時代です。ご先祖様の記録は神話となったのでしょう。

歴史は、常に日の上る方向、東へ広がっています。
武力支配の秦の始皇帝から逃げ出した徐福一団
三国志の時代には、朝鮮半島経由の航路が見つかり、交易が盛んになり、渡来人が移住した弥生時代。
その後も船もつ渡来人が山陰方向へ進み出雲
山陽の瀬戸内海に船を進めた一団もいたでしょう。
天孫降臨も有明海側から宮崎側へ、神武東征で近畿へ
倭建命(やまとたけるのみこと)は、関東征伐とやはり東へ話が進みます。
聖徳太子は、自らを日の出国の天使と呼び、後に国の名前を日本とします。
太陽神 天照大神の役目は非常に大きい物でした。
そして、天照大神は弥生時代の卑弥呼を題材に創られて、その祈祷文化が平安時代に神社となります。

しかし、今もどこにあったのかわからない邪馬台国です。
7~8世紀の人たちは「邪馬台国の卑弥呼」について知ることが出来たのでしょうか。
・神話の通り、邪馬台国の一族が宮崎へ移住、その後、近畿へ移住した。
・難斗米など、交易などで卑弥呼を知る人物が大勢した。彼らが「卑弥呼」を神話にした。
・大陸にも「魏志倭人伝」を編集した人たちがいます。編集時の知識をもって渡来したが、邪馬台国が見つからず神話にした。

出雲に素戔嗚の神話、宮崎(西都原)に天照大神神話があったとして
古事記の編集者たちは、何故、天皇家のご先祖と九州と出雲に設定したのでしょうか。
大和朝廷は瀬戸内海を渡って渡来した一族による新興国家です。
弥生時代。難波、淀川河川沿いには既に多数の大きな国がありました。
神武東征時の近畿上陸時の話は事実で、熊野側から奈良盆地にたどり着いたのでしょう。
近畿で最も歴史の浅い大和朝廷は、西方に神様が住む天空の世界「高天原」があり、天孫降臨で地上に降りた神が
天皇家の先祖である。
近畿を統一する為にも、西日本を統一する為にも、もっとも都合の良いストーリーでした。
もちろん、事実の可能性が高いです。

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