古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

「九州」と「近畿」の似ている地名

2017-12-02 17:13:12 | 歴史
「九州」と「近畿」の地名類似についても有名です。
単に似ているのではなく、「連続的」に同一の地名があるのです。
 「筑紫」の周辺で言うと、北の笠置山から始まって、
春日→御笠山→住吉(墨江)神社→平群→池田→三井→小田→三輪→雲堤→筑前高田→長谷山→加美(上)→朝倉→久留米→三潴→香山(高山)→鷹取山→天瀬→玖珠→鳥屋山→上山田→山田市→田原と続く地名連鎖が存在します。
 「畿内」でも全く同様に「笠置(笠置山)」→春日→三笠山→住吉(墨江)神社→平群→池田→三井→織田→三輪→雲梯→大和高田→長谷山→賀美(上)→朝倉→久米→水間→天の香山(高山)→高取山→天ケ瀬→国樔→鳥見山→上山田→山田→田原と連続しているのです。これらも同様に反時計回り円周上に連なっています。
そして、現在は存在しない邪馬台国(ヤマト)と近畿の大和があります。

意図的に、二つに国が作られた様です。
もし、魏志倭人伝に紹介される国が九州で
大和朝廷が作った国や近畿であれば、
近畿が九州を真似(コピー)して国造りを行った。
と考えるのが一般的の様です。
しかし、魏志倭人伝に紹介される国の地名が見つからないのです。
双方とも、漢字が導入された時代の地名です。
近畿の地名が先で、対抗して九州が同じ地名を使った可能性もあります。
平安時代に神社制度が確立して、伊勢神宮、出雲大社に続いて九州でも宗像大社など沢山の神社が建てられています。
更に、海外からの攻撃に対する拠点として大宰府を設置しています。
菅原道真も平安時代の貴族で、大宰府で後世を過ごしています。
この時代に、近畿を真似(コピー)した国造りが行われた可能性もあると思います。
歴史の中で地名は
・ヤマト朝廷に氏姓制度で、漢字二文字に統一
・戦国、江戸時代に大名同士の国盗り合戦
・明治維新で新しい氏名、苗字が出来る など
弥生時代の地名、名前が残っている可能性の方が低いです。
まして、弥生時代の地名を知る方法が魏志倭人伝に紹介される国名しかないのです。
魏志倭人伝に紹介される30国名は貴重な資料ですが、奴国など卑しい漢字は引き継がれません。

もう一つ、不思議な地名が
和歌山県伊都郡 があります。
何故、近畿に 伊都国 があるのでしょうか。
大和朝廷が魏志倭人伝など大陸の史記を意識して近畿に新しい国を作った事は間違いないでしょう。

後の平城京、平安京も大陸に都 長安などを模範に作られています。
古墳時代、飛鳥時代に九州北部の邪馬台(ヤマト)を真似して近畿の国造りが行われたと考えるのです。
日本神話に登場する神武東征も必然的に必要な神話ではないでしょうか。

では、九州の卑弥呼を代表とする邪馬台国一族と
近畿の大和朝廷に一族、つまり天皇家は、関係があるのでしょうか?
殆ど手がかりがありません。
手がかりの一つ
卑弥呼 の名前です。
漢字には、何のヒントもありません。
ヒミコ の読みがヒントです。

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