過去の投稿で、邪馬台国九州説を唱えてきましたが、今一度、まとめておきます。
邪馬台国とは、魏志倭人伝に紹介されている倭国にあった大国です。
もし、魏志倭人伝がなかったら、見つからなかったら
邪馬台国の存在もわからなかったでしょう。
当時の倭国を大雑把に
・57年 漢より金印「漢委奴国王」が贈られる。
実際に博多湾で発見されている。
大陸の皇帝は周囲の国々や役人に、金印、銀印、銅印などを送っていた。
・倭国が乱れて大乱の時代が続いた。
100年から180年位
・卑弥呼が女王となり祈祷で国をまとめる。
・238年(或いは239年)に、卑弥呼は魏へ貢物を贈り、金印「親魏倭王」を贈られる。
その後も朝献は続いた。
・247年 敵対する狗奴国(男王 卑弥弓呼)との和睦のために文書(文)を贈る。
・248年 卑弥呼死す。
ざっとこんな感じです。
魏の国皇帝が、邪馬台国の女王卑弥呼へ金印など多数の贈り物をしています。
邪馬台国、卑弥呼が実在した事は事実でしょう。
しかし、残念柄、倭国には文字が無いので、卑弥呼も邪馬台国も大陸が充てた漢字です。
さて、魏志倭人伝から邪馬台国が九州である理由です。
1、(帯方)郡から女王国にいたるのに一万二千余里ある。
帯方郡から伊都国、奴国(博多湾)までの道程も書いてあり、
帯方郡~博多湾は、合計10,600里
残り、1400里で邪馬台国
※近畿まで1400里では近すぎます。
2、南(行)して、邪馬台国の女王の都まで水行十日、陸行一月かかる。
博多湾まで、水行十日、陸行6~7日 残り陸行20日ほどで邪馬台国です。
陸行20日で近畿までたどり着けないでしょう。
方向も東です。
3、女王国より以北には、とくに一大率(ひとりの身分の高い統率者)をおいて、諸国を検察させている。
伊都国、奴国など玄界灘湾岸の国々は一大率が権力者で、その南に邪馬台国
4、女王国の東(方)に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。
東側が海で、千余里(水行1日)で陸地があり、倭人が住んでいる。
※周防灘を船で渡り、四国、或いは山口、広島(安芸)では
5、その南に狗奴国がある。男王に狗古智卑狗(菊池彦か)がある。女王に属していない。
邪馬台国の南に、狗奴国がある。
6、侏儒(こびと)の国が、その南に(存)在する。女王(国)を去ること四千余里である。
※現在の鹿児島より南、屋久島、沖縄ではなかろうか。
7、裸国・黒歯国があり、 またその東南に在る。船行一年でいたることが可能であろう。
フィリピンなど赤道に近い南国の国でしょう。
8、周旋すること(めぐりまわれば)五千余里ばかりである
松浦半島(末盧国)から糸島半島(伊都国)まで500里ですので、周囲は、その10倍ほど
邪馬台国近畿説では
邪馬台国は南へ12000里は、奴国を東へ向かって12000里と南を東に置き換えて解釈します。
南を東に、東を北に置き換えると
東方の海にある国が、北にある倭種の国となるので日本海上になります。
南にある小人国、裸国が関東方面に
船を使わずに陸でいけますし、関東、東北で裸族の国は寒すぎです。
日本神話の国産みでは、九州は
筑紫国(玄界灘の一大卒が支配した国)
豊国(大分など周防灘側の国)
肥国(有明海側の国、たぶん邪馬台国があった)
熊曽国(男王 卑弥弓呼の狗奴国)
3世紀中ごろまであった邪馬台国は九州で間違いないでしょう。
5~6世紀に登場するヤマト王権との関係があるのか
「倭」と云う漢字を使い、ヤマトと発音(邪馬台もヤマトと読めます)
ここに空白の4世紀(古墳時代)が存在しているのです。
もちろん、卑弥呼の時代(弥生時代)に
山陰には出雲、山陽の安芸、吉備、大阪湾岸の国々、奈良盆地の国がありました。
ただ、魏志倭人伝に紹介されていないだけです。
邪馬台国とは、魏志倭人伝に紹介されている倭国にあった大国です。
もし、魏志倭人伝がなかったら、見つからなかったら
邪馬台国の存在もわからなかったでしょう。
当時の倭国を大雑把に
・57年 漢より金印「漢委奴国王」が贈られる。
実際に博多湾で発見されている。
大陸の皇帝は周囲の国々や役人に、金印、銀印、銅印などを送っていた。
・倭国が乱れて大乱の時代が続いた。
100年から180年位
・卑弥呼が女王となり祈祷で国をまとめる。
・238年(或いは239年)に、卑弥呼は魏へ貢物を贈り、金印「親魏倭王」を贈られる。
その後も朝献は続いた。
・247年 敵対する狗奴国(男王 卑弥弓呼)との和睦のために文書(文)を贈る。
・248年 卑弥呼死す。
ざっとこんな感じです。
魏の国皇帝が、邪馬台国の女王卑弥呼へ金印など多数の贈り物をしています。
邪馬台国、卑弥呼が実在した事は事実でしょう。
しかし、残念柄、倭国には文字が無いので、卑弥呼も邪馬台国も大陸が充てた漢字です。
さて、魏志倭人伝から邪馬台国が九州である理由です。
1、(帯方)郡から女王国にいたるのに一万二千余里ある。
帯方郡から伊都国、奴国(博多湾)までの道程も書いてあり、
帯方郡~博多湾は、合計10,600里
残り、1400里で邪馬台国
※近畿まで1400里では近すぎます。
2、南(行)して、邪馬台国の女王の都まで水行十日、陸行一月かかる。
博多湾まで、水行十日、陸行6~7日 残り陸行20日ほどで邪馬台国です。
陸行20日で近畿までたどり着けないでしょう。
方向も東です。
3、女王国より以北には、とくに一大率(ひとりの身分の高い統率者)をおいて、諸国を検察させている。
伊都国、奴国など玄界灘湾岸の国々は一大率が権力者で、その南に邪馬台国
4、女王国の東(方)に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。
東側が海で、千余里(水行1日)で陸地があり、倭人が住んでいる。
※周防灘を船で渡り、四国、或いは山口、広島(安芸)では
5、その南に狗奴国がある。男王に狗古智卑狗(菊池彦か)がある。女王に属していない。
邪馬台国の南に、狗奴国がある。
6、侏儒(こびと)の国が、その南に(存)在する。女王(国)を去ること四千余里である。
※現在の鹿児島より南、屋久島、沖縄ではなかろうか。
7、裸国・黒歯国があり、 またその東南に在る。船行一年でいたることが可能であろう。
フィリピンなど赤道に近い南国の国でしょう。
8、周旋すること(めぐりまわれば)五千余里ばかりである
松浦半島(末盧国)から糸島半島(伊都国)まで500里ですので、周囲は、その10倍ほど
邪馬台国近畿説では
邪馬台国は南へ12000里は、奴国を東へ向かって12000里と南を東に置き換えて解釈します。
南を東に、東を北に置き換えると
東方の海にある国が、北にある倭種の国となるので日本海上になります。
南にある小人国、裸国が関東方面に
船を使わずに陸でいけますし、関東、東北で裸族の国は寒すぎです。
日本神話の国産みでは、九州は
筑紫国(玄界灘の一大卒が支配した国)
豊国(大分など周防灘側の国)
肥国(有明海側の国、たぶん邪馬台国があった)
熊曽国(男王 卑弥弓呼の狗奴国)
3世紀中ごろまであった邪馬台国は九州で間違いないでしょう。
5~6世紀に登場するヤマト王権との関係があるのか
「倭」と云う漢字を使い、ヤマトと発音(邪馬台もヤマトと読めます)
ここに空白の4世紀(古墳時代)が存在しているのです。
もちろん、卑弥呼の時代(弥生時代)に
山陰には出雲、山陽の安芸、吉備、大阪湾岸の国々、奈良盆地の国がありました。
ただ、魏志倭人伝に紹介されていないだけです。
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