古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

ヤマト王権の最大の武器 文字

2016-11-19 17:45:23 | 歴史
言語には、会話するための 話し言葉 と 文書を通じて伝える 書き言葉 があります。
書き言葉(会話)は古くよりあったはずですが、弥生時代に農耕や鉄製農具・武器が伝わっても文字(漢字)は浸透していません。徐福が日本列島へ来たのが紀元前3世紀で、仏教伝来で漢字が伝わるのが6世紀であれば、何と、漢字を覚えるチャンスがあったにも関わらす
千年近く、文字を書かななった事になります。
これこそが、日本古代史の一番の不思議ではないでしょうか。
文字を書くには、硯(すずり)筆、紙が必要ですが、これが大陸から伝わっていません。
紙が無くても、木片に炭で文字を書く、大きな石に小石で文字を書く方法もあります。
しかし、仏教と共に漢字が伝わるまで文字を持たなかった様です。
*一部には対馬文字など古代の日本の文字も発見されています。
現在でも、地方に方言がある様に、古代では、離れた国同士のことばによる話し言葉も有効な
手段ではなかったでしょう。
魏志倭人伝においても奴国まで魏の役人が往来して確かな情報が伝わっていますが
邪馬台国やその他の国々については、倭の民、生口から聞き伝えですでの精度が低くなってしまいます。
小さな国々(ムラ)が統合して少しづつ大きくなるのですが、会話や文書による統合ではなく
お互いの子孫を結婚させることで国の統合が主流だったはずです。
しかし、それがうまくいかなかった時に争い(戦争)が始まります、(倭国大乱)
その様な時代に、結婚しない(生涯独身)の女性陣 卑弥呼(巫女)に権力を委ねることで国をまとめるとはどの様な意味があったのでしょうか。
或いは、結婚しない女性陣であったから国がまとまったのかもしれません。
祈祷や占いで物事を判断する時代ですので文字は不要だったかもしれません。
会話も結婚を繰り返して同じ言葉を話すようになり国が大きくなると云う気ながい時代です。
この時代を打破したのが大和王権です。(古墳時代の終了)
大陸から離れていて、鉄や銅の入手で不利な地域、奈良盆地から権力者になりうる最大の武器
これが 文字 ではないでしょうか。
実際に、3世紀ぐらいに氏姓制度を出しています。離れた地方の一族に 氏名 と姓を与える
これには、文字を使ったと思います。
姓の中には、漢字を書く渡来人と思われる役職があります。
各地の権力図の様な地名、地図みたいなものがあったのではないでしょうか。
聖徳太子の時代に仏教と漢字の普及があります。
この漢字の普及こそが日本国家の統一を意味していると思います。
同じ文字(漢字)と話し言葉を使う事で、一つの国になりましょう。
これがヤマト朝廷の国家統一の手段だったのです。
出雲の国譲りや神武東征の神話も共通の言葉を使う国の広がりではないでしょうか。
今では、ちょっとした言葉が争いの元になったりしますが、当時では共通の言葉で意思を
伝える手段は大きな力だったはずです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿