魏志倭伝人に出てくる国の名前をひらがなで表示されているサイトを参考に分析してみました。
当時の倭人の言葉を勝手に漢字に当てはまられて、現在の読みに合わせて国名
さらに、ひらがなも後世に作られたものですので、当たらずとも遠くない程度です。
魏志倭人伝には、対馬、一支国など30国の国名が記述されています。その国名をひらがなに
して、使われたひらがなを分析してみました。
最も多いひらがな
8回 き
7回 な
6回 い、ま
5回 なし
4回 こ、と、や
残り、ばらばら
や、ま、と も上位の文字にあります。
最も多い母音
あ 28回
い 19回
お 11回
う 7回
え 0回
母音に え はなかったかもしれません。
あ行が多いですが、わ と は を会わせても 2回でした。
他の言葉で、卑弥呼(ひみこ)や卑弥弓呼(ひみひこ)など
い も結構使われていたようです
最も多い子音
か行 18回
あ行 9回
た行 8回
さ、ま、な行 7回
但し、な行は な が7回で、他はありません。
ここで 金印 漢委奴国王
主説では 漢の倭の国王 と読みますが、
つまり (我が国)漢は、あなたを 倭 の国王 と認める と訳しています。
委 は 倭 ではありません。 い です。
他にも 漢は 委奴(伊都国)を王とします と云う説もあります。
しかし 委 を 譲る、奴 を 奴隷 としたら如何でしょうか。
元々、 わ と云う発音を使った可能性は低いです。 い の方が正しいでしょう。
その意味は
(我が国)漢は、あなたを奴(隷)国王 に委ねる(とする) と訳されます。
何と金の印鑑で紫の袋に入った高尚な贈り物の意味は最悪の意味となります。
倭人が漢字を読めないことを良い事に、漢字が読める国々へとんでもない表示をしてくれています。
後に、魏の皇帝が卑弥呼に贈った金印は 親魏倭王(親 魏 わ 王) です。
倭とニンベンがついています。
魏の国は倭王と親しい と云う他、意味の取りようがありません。
魏志倭人伝に、邪馬台国の卑弥呼の朝貢に対するお礼で金印を送るとあります。
金印は 親魏邪馬台国王 でなければなりません。
金印では、使われる文字も限られます。邪馬台国と4文字も割くわけにはいきません。
つまり、倭 と云う新しい文字を作って 邪馬台(ヤマト)と呼び名も変えたのです。
親魏倭王 は 親魏倭(ヤマト)王 と呼びのが正解でしょう。
漢委奴国王 の 委 は い であり
親魏倭王 の 倭 は やまと です。
我が国の人が自国の事を倭国(わこく)と呼んだことはないのです。
武皇帝は金印以外にも多数の鏡や絹布など送っています。
わざと、見下がる意味で 倭 と云う文字を使うはずはないでしょう。
元々、当時の古代人には わ も は も発音しにくい文字です。
わ国 と名前を付ける確率は皆無です。
古代より 倭国(わこく)存在しなかったのです。
漢委奴国王 は 漢は、あなたを委奴(伊都国)国王にする。 或いは 漢は奴国王に委ねる。
親魏倭王 は 魏は倭(ヤマト)王と親しい
なのです。
当時の倭人の言葉を勝手に漢字に当てはまられて、現在の読みに合わせて国名
さらに、ひらがなも後世に作られたものですので、当たらずとも遠くない程度です。
魏志倭人伝には、対馬、一支国など30国の国名が記述されています。その国名をひらがなに
して、使われたひらがなを分析してみました。
最も多いひらがな
8回 き
7回 な
6回 い、ま
5回 なし
4回 こ、と、や
残り、ばらばら
や、ま、と も上位の文字にあります。
最も多い母音
あ 28回
い 19回
お 11回
う 7回
え 0回
母音に え はなかったかもしれません。
あ行が多いですが、わ と は を会わせても 2回でした。
他の言葉で、卑弥呼(ひみこ)や卑弥弓呼(ひみひこ)など
い も結構使われていたようです
最も多い子音
か行 18回
あ行 9回
た行 8回
さ、ま、な行 7回
但し、な行は な が7回で、他はありません。
ここで 金印 漢委奴国王
主説では 漢の倭の国王 と読みますが、
つまり (我が国)漢は、あなたを 倭 の国王 と認める と訳しています。
委 は 倭 ではありません。 い です。
他にも 漢は 委奴(伊都国)を王とします と云う説もあります。
しかし 委 を 譲る、奴 を 奴隷 としたら如何でしょうか。
元々、 わ と云う発音を使った可能性は低いです。 い の方が正しいでしょう。
その意味は
(我が国)漢は、あなたを奴(隷)国王 に委ねる(とする) と訳されます。
何と金の印鑑で紫の袋に入った高尚な贈り物の意味は最悪の意味となります。
倭人が漢字を読めないことを良い事に、漢字が読める国々へとんでもない表示をしてくれています。
後に、魏の皇帝が卑弥呼に贈った金印は 親魏倭王(親 魏 わ 王) です。
倭とニンベンがついています。
魏の国は倭王と親しい と云う他、意味の取りようがありません。
魏志倭人伝に、邪馬台国の卑弥呼の朝貢に対するお礼で金印を送るとあります。
金印は 親魏邪馬台国王 でなければなりません。
金印では、使われる文字も限られます。邪馬台国と4文字も割くわけにはいきません。
つまり、倭 と云う新しい文字を作って 邪馬台(ヤマト)と呼び名も変えたのです。
親魏倭王 は 親魏倭(ヤマト)王 と呼びのが正解でしょう。
漢委奴国王 の 委 は い であり
親魏倭王 の 倭 は やまと です。
我が国の人が自国の事を倭国(わこく)と呼んだことはないのです。
武皇帝は金印以外にも多数の鏡や絹布など送っています。
わざと、見下がる意味で 倭 と云う文字を使うはずはないでしょう。
元々、当時の古代人には わ も は も発音しにくい文字です。
わ国 と名前を付ける確率は皆無です。
古代より 倭国(わこく)存在しなかったのです。
漢委奴国王 は 漢は、あなたを委奴(伊都国)国王にする。 或いは 漢は奴国王に委ねる。
親魏倭王 は 魏は倭(ヤマト)王と親しい
なのです。