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古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古代を知る三番目の手がかり 遺跡(金印)

2016-09-27 20:09:02 | 歴史
金印についてです。中国の史記で、倭国(日本)は、2度、貴方が国王です と云う意味で
金印が送られている事が記述してあります。

最初の金印は、 『漢委奴国王』 漢の武皇帝が西暦57年に倭奴国が貢物のお礼に送った。

縦3行に分かれていて
一行目 漢
二行目 倭奴
三行目 国王

一般的な解釈は 漢 は 倭の奴を国王とする。
奴国は、伊都国の隣で福岡から北九州にあったとされています。
これも諸説あり、倭奴はイトと読み 伊都国の事
当時は 日向を ヒナと呼び 宮崎の事など
折り合えずは、伊都国と奴国が隣り合って北九州にありました。
いします。
実際に、漢委奴国王の金印は福岡湾の先っぽ志賀島で発見されます。(志賀島は奴国の領土内)
奴国は漢へ貢物を贈る際に、箱につめて、金印に泥をつけて箱に印を押します。
伊都国で検査するにも、この金印の跡があれば中を確認することなく、通されます。
帯方郡でも、素通りして中国へ運ばれたはずです。
伊都国としてあまり面白くない時代だったでしょう。
地理的には
奴国は、瀬戸内海や日本海に通じる窓口なので多くの物品を集める事が出来ます。
伊都国は、朝鮮半島に近いので中国の情報などが集まります。
時代が過ぎ、238年に漢が魏に滅ぼされます。
漢委奴国王 の効力がなくなります。

同年すかさず卑弥呼が朝貢します。
そのお礼に『親魏倭王』の金印が送られます。
何とも巧妙でチャンスを生かした卑弥呼(或いは伊都国)の一手でした。
この様に金印は中国との交易に使われました。
その他、周辺諸国への権威の象徴と云う意味もあっでしょう。
しかし、こちらの金印はまだ発見されていません。
日本のどこかにある事は間違いありません。ひょっとしたら古い神社のどこかに、
ひっそりと置いてあるかもしれません。
もし発見したら大金持ちは間違いありませんので、興味のある方はチャレンジしてみて下さい。


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