ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

ケネディスクール出願・合格までの道(その4)

2007年08月27日 | ケネディスクール出願・合格までの道

 

③ Essayとの格闘 -自分の分身を送り込め!-(2005年9月~12月)

 「ケネディスクールに合格するにはどうしたらよいか?」という至極単純で率直な、しかしその道を歩むものの頭から常に離れない疑問に対する答えはただ一つしかないと思っています。

 それは、「良いエッセイを書くこと」。

 日本では必ずしも一般的ではないエッセイの提出は米国の大学・大学院への出願プロセスの中で最もキーとなる要素の一つです。そして殊ケネディスクールにおいて、その重要性は他の公共政策大学院、他分野のプロフェッショナル・スクールと比較して相当高いものとなっていますが、その背景を知るためにはそもそも「エッセイとは何か?」、そして「エッセイの良し悪しとはどのように判断されるのか」という疑問を紐解くことから始めなければなりません。

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 2006年1月5日の明け方、これまで4カ月以上かけて格闘を続けてきたエッセイをケネディスクールの出願専用ウェブサイトに添付し、祈るような思いで「Complete」のボタンをクリックしたことを今でもはっきり覚えています。それはまるで、自分という人間の分身をケネディスクールに送り込んだような心境でした。

 そう、エッセイは他ならぬ自分自身なのです。そしてエッセイを書くとは、過去・現在・未来の自分を、その人生観・職業観を、そしてビジョンを、それを形作った具体的なストーリーとともに、自分だけのタッチで力強く生き生きとパソコンの画面というキャンバスに描くことなのです。そう言う意味ではエッセイを書く作業は極めて内省的かつ主観的なプロセスと言えるでしょう。しかしどんなに長い時間かけて自分と向き合ってエッセイに魂を込めても、その作業が主観的なまま終わってしまったのでは、「良いエッセイ」が出来上がるとは限りません。なぜなら(至極当たり前ですが)エッセイには読み手がいるからです。

 あなたが魂を込めてタイプしたそのエッセイと、日本から遠く離れた大学院のオフィスで対面する人を想像してみてください

 まず、その人はあなたのことをかけらも知りません。必ずしも強い興味がある訳でもありません。そしてその人は、世界中から寄せられた数万通にも及ぶエッセイをごく短期間で整理し目を通さなければならないのです。そんな彼・彼女とって、あなたの想い、人生がこもったそのエッセイは、それを読み始める前の段階では、朝オフィスに到着してコンピューターを立ち上げるとうんざりする程たまっている膨大な未読メールに添付された単なるワードファイルのようなものであり、その他大勢のファイルたちとともにバインダーに綴じられる分厚い紙の束の数枚にすぎません。

 そして彼・彼女は添付ファイル、あるいはバインダーを開き、エッセイを目をとおす訳ですが、あなたが「入魂」に要した数か月という時間に比して、その人があなたのエッセイを読む時間は数分に過ぎないでしょう。

 「良いエッセイ」とは読み手と書き手とのあいだにある、そんな途方もなく大きいギャップを埋めるものでなければなりません。ではどうすればよいか。すくなくとも以下の3つの要件をクリアしておく必要があると考えます。

(1) 最後まで読みとおす気にさせる代物か?

 彼・彼女のもとには、世界中から何万通ものエッセイが送られてきています。ファイルを開いて保存し、プリントアウトするだけでも苛立たしいほど膨大な量です。そんな中、少なくとも最後まで読みとおしてもらうためには、まず体裁を整える必要があります。具体的には、

  ① 文法やスペルに誤りはないか?
 ② 目に優しいか?(行間がダブル・スペースになっているか?) 
 ③ 複雑、冗長な表現はないか? 

に留意する必要があるでしょう。やはり「見かけ」は大事です。どんなにパワフルで印象的な文章を書いても、体裁がなっていなくては、数万通の文章を読まなければならない人にとっては、迷惑以外の何物でもなく、最後まで目を通してもらえない可能性すら高いでしょう。

 また、エッセイとの格闘を終えたときに、上記の中で特に③は特別な注意が必要だと強く感じました。なぜなら、英語と日本語は本当にまったく異質な言語だからです。

 例えば印象深く表現するために使った比喩が全く意味不明ということもよくあります。また受験英語やTOEFLのライティングしか知らない日本人の多くは得てして硬い表現、例えば「It seems to me that」、「It was not too much to say that」、「As far as I am concerned」等の表現を多用しがちです。僕も最初はできるだけ客観的な文章にするべく、こうした表現を使っていました。しかしエッセイは主観的なストーリー、つまり物語であるべきなのです。「・・・といっても過言ではない」「私に関して言えば・・・」なんてまるで無味乾燥なレポートか論文のよう。単に力強く、「I believe」「I think」、つまり私はこう思う(思った)と言い切ればよいのです。何故、そう思ったかという具体的なストーリーとともに。

 また僕のエッセイの初稿をみると、やけに「I made a contribution to」といった表現が目立っています。文法的には全く問題がないこの表現ですが、ネイティブの視点で見ると冗長で迫力に欠ける印象を与えてしまいます。では、どうすべきか?日本語的な思考だと「何か効果的な形容詞はないだろうか、例えば「great contribution」としたらどうだろう?」と考えたくなりますが、これでもあまり変化はありません。印象的、かつ簡潔なエッセイを書くためには、英語では動詞を駆使して文章を書きすすめていく必要があることもポイント。上の例では、単に「I contributed to」としたほうが、よっぽどパワフルでまた無駄な字数を省くこともできるのです。

 

(2) 「この人と会ってみたい」と読み手に思わせる内容となっているか?

 小説や映画を楽しんだあと、その主人公や登場人物と会ってみたいという、叶わぬと分かっていながらも抑えきれないような想いに浸ったことは誰しもあると思います。またお気に入りの映画に登場する俳優や女優の写真を見たときに、彼・彼女とはもちろんあった事も直接話したこともないのに、まるでその人の性格を知っているような気分になって魅力に取りつかれたことのある人も多いと思います。

 何故、会ったことも無い、あるいは実在しないと知っているその人にそこまで惹かれるのか。それはその人が織りなすストーリーを知っているからでしょう。

 どのようなシーンで、どのような人間模様の中で、彼・彼女がどんな台詞を口にし、どう行動し、どう感じたのか、あなたが知っているからでしょう。

 エッセイも同じです。無数の紙束の中からそのエッセイを取り出した、あなたに興味も関心も知識もないその人を深く印象付け、「あぁ、この人に会ってみたいなぁ!」と思わせるエッセイを書くためには、まるで映画や小説のようなリアルな描写に満ちたストーリーが欠かせません

 人は誰しも様々な失敗・成功・そして出会いを通じて自分の価値観や職業観を培っていくもの。「この人に会ってみたい」と読み手に思わせる「良いエッセイ」とは、各シーンのハイライトだけをピックアップして並べた「総集編」ではなく、一つ、あるいは二つの印象的なシーン・出来事をとことん具体的に描くことで作り上げられるものだと思います。 

 

(3) 「コイツ使えそうだ」という読み手に思わせる内容となっているか?

 やや味気ない言い方ですが、分野を問わずアメリカのプロフェッショナル・スクールとは

 「大学の授業や運営にポジティブなインパクトを与えてくれそうな良い材料(人材)を“仕入れ”、それらを2年間“加工”して付加価値をつけ、社会にその大学のロゴがついた“製品”として売り出す」

ことをミッションとした組織であり、

 「その製品が市販後(=卒業後)社会に貢献することを通じて、大学のブランド価値が高まり、その結果、より優秀な人材が仕入れやすくなるという好循環を構築する」

ことを目指していると言えると思います。こう考えると、志願してきたその人材が大学の将来にもたらすポジティブなインパクトが想像できるようなエッセイは「良いエッセイ」と言えると思います。

 日本の受動的な教育システムの中で育つと「大学院の授業や運営に貢献する」という視点を見落としがちです。すると、「僕/私が成長し、そのキャリアビジョンを達成するために、ケネディスクールで学ぶことが大切だ」という点ばかり切々と述べるばかりで、「では、あなたが入学することでケネディスクールは成長し、そのビジョンを達成できるのか?」という読み手の最大の問題意識をはずしたエッセイができあがってしまうことになります。

 自分が在学中の2年間、あるいは卒業後も含めて、どの分野で、どのような方法で、その大学院にどのような貢献ができるのか。あなたがいるのといないので、その場所はどう変わり得るのか。この点を具体的なストーリーとともに読み手のハートに刻むことができれば、“あなたの分身”はあなた自身をその大学院に送り込むために、決定的な役割を果たしたといえるでしょう。

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 以上、自らの経験をもとに、「エッセイとは何か」「エッセイの良し悪しはどのように判断されるのか」について詳述してきました。次回は、実際にケネディスクールの出願プロセスで課されたエッセイのテーマを紹介しながら、今回のポイントをより具体的に振り返るとともに、何故、ケネディスクールでエッセイが最重要視されるのか、その重要度が他校と比して高いのか、という点について考えていきたいと思います。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (koichiro)
2007-08-31 06:34:47
ケネディーのエッセイで、「あなたが仕事でやった分析的技術が必要とされる政策問題を選び・・・」みたいなのがありますよね。この分析的技術って何ですか?また政策っーのは政府や行政の人なら仕事として関わると思うのですが、そうじゃない場合、プライベートなポリシー(そんな言葉があるのかわかりませんが)でいいのでしょうか?
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>koichiroさん (ikeike)
2007-09-02 08:17:05
こんにちは。やや課題文の書き方が異なりますが、僕が出願した2006年度のEssay5にあたるものでしょうね。8月30日の記事に詳述したので、そちらを参照して頂きたいですが、そこにある「分析的技術(analytical skillですか?)」とは何か深いことを言っているのではなく、仕事をする上で誰もが当然使っている統計や計算、金融など定量的で客観的な分析のことを言っているのだと思います。
また、「政策というのは政府や行政の人だけが係るもの」と狭くとらえる必要はないということも8月30日の記事に詳述しているので、そちらを参照してみてください。
では、頑張ってくださいね!
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Unknown (kino)
2007-11-03 20:44:03
はじめまして。
konpeさんのblogから飛んできました。

私はMBA受験生ですが非常に参考になりました。
良いエッセイを書く為の3つの視点で、私がいま取り組んでいるエッセイをもう一度見直してみると、
内容も、体裁もまだまだ改善の余地がありそうです。
しばらく自分だけでエッセイ作成に没頭していると、以前に先輩やカウンセラーから散々言われて理解していたはずの、
こうした基本的で最も重要な部分をつい忘れてしまう。
もう一度、原点に立ち返らせ、エッセイを書く目的を再確認させてくれる、そんな内容でした。
どうもありがとうございました。

これからも更新を楽しみにしております!
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>kinoさん (ikeike)
2007-11-09 15:47:25
はじめまして。コメントありがとうございます。kinoさんの留学準備に微力ながら貢献できたようで何よりです。出願に向けてこれからが正念場になると思いますが、初志貫徹で頑張って下さい。応援しています。
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admission essay (unknown)
2008-01-26 18:39:27
はじめまして。ブログ拝見させていただきました。わたしも只今アメリカ留学中でエッセイと格闘していたので、大変参考になりました。
他にもコツというか秘訣なようなものご存知だったりしませんか?
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>admisson essayさん (ikeike)
2008-02-06 12:12:55
コメントを頂き有難うございました。お返事が遅くなり失礼しました。Essayのコツというか、恐らく共通して言えるのが、「課題文をよく読み何を問われているのか適確に把握する」ということだと思います。自分の過去のエッセイやこれまで添削を依頼された知人・友人のエッセイを見ると、この単純な原則が如何に難しいかがよく分かります。与えられた課題文を隅々まで、見落としなくしっかりと把握して、また複数の課題文がある場合にはその関連性等についても考慮しつつ、Essayの原稿と向き合われることをお勧めします。留学中の出願ということで、負荷が高いかと思いますが、頑張ってください!!
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