凡人マスター

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地震に遭いました@福岡でひとり暮らし中

2005年03月22日 | Weblog
みなさん電話やメールありがとうございました。
20日は日曜日だったので、地震が起きた時私はまだ眠っていました。
揺れでガバッと上体を起こしたのですが、その時は自分の置かれている状況がわからず軽く放心状態。ハッと我に還った時には、いろんな物が落下し始めていました。『どうしよう、そうしようもない。とりあえず揺れが治まるまで待とう。』そう自分に言い聞かせたけど、なかなか揺れが治まらない。福岡だけじゃないかもと思い、携帯で長崎の実家に電話してみて少しだけ話しました(地震中はすぐ繋がりました。)『万が一エアコンが落ちてきたらどうしよう…』この辺りからなんだか怖くなり、とりあえずエアコンから離れ布団を頭からかぶって揺れが治まるのを待ちました。
揺れが治まった後、即ガスの元栓を確認し、テレビをつけました。
『やばい。大きな地震だ。』きちんと理解できたのはその時でした。
その後も続く微妙な余震。茫然とテレビを観てたけど、急に『こうしちゃいられない』と思い、洗顔→歯磨き→着替え→お化粧と大急ぎで済ませ、避難準備を始めました。(お化粧は避難準備の後でいいのに何故かいつものように一連の行動をとってしまいました)
●タオル(普通のとハンドタオル)
●下着
●コンタクト用品、メガネ
●携帯の充電器
●化粧品&洗顔、化粧水が入ったお泊まりセット(1泊用が幸いにも家にありました)
●携帯ラジオ
●財布、保険証、免許証などの貴重品
とりあえずこれらをバックに詰め込んで、その後懐中電灯などの電池確認と軍手と靴下の準備をしました。落下しそびれた物は下ろして…そうやっているところでいろんな人からメールが届きました。みんなありがとう。自分以外の人と繋がったことと、メールは使えるんだとわかったこととで少し安心し、ふわっと涙がでました。いつものように感情を伴ってというか、高ぶって出る涙の出方とはなんか違う涙で初めての感覚でした。緊張の糸が一瞬切れたんだと思います。
準備が終わってからはずーっとテレビを観ていました。
その間余震が続いていたので、念のために一番近くに住む一人暮らし友人と避難所の確認をし合いました。
実家には帰れない、運悪く彼氏は連休福岡にいない(奴は運がいいね)近所付き合いはない、仲の良い女友達は近くにいない、電車に乗れない、外も家の中も危ない、電話は通じない…でも、今ここでは死ねない。あれもこれもやりたい。大事な人たちを残しては逝けない。やりたいことは、今までやろうと思えばやれた些細でくだらないことも含まれていました。大袈裟だと思う人もいるかもしれませんが、1Kの部屋で自分一人、予測できない大きな本震や治まらない余震…ハンパなく滅入ります。感情的になり過ぎるわけでもなく、ただ自分の身を自分で守ろうと思うことだけで精一杯。そんな感じでした。

恐らく夜は眠れないだろうと思い、昼寝をしようとしたけど余震に起こされてばかりで…結局15分ぐらい仮眠をとりました。夜、会社の先輩ジョズエ氏から連絡が『社内がめちゃくゃなので明日は急遽出社です』やっぱり…だって会社は天神なんだもん。

夜は夜でかなりのビクビクしながら寝ました。余震の度に起きるのでなかなか眠れず翌日出社しました。ちなみにお風呂はマッハで入りました。こんな時に建物倒壊とかシャレにならんよと思いながら…。

会社…はい、ぐちゃぐちゃでした!パソコンは変なとこに移動し、書籍はバラバラ。もちろん割れそうなものはほとんど割れていました!もうめちゃくちゃ。

うわぁぁぁーーー。この先を書こうとしたところでまたちょっと大きめの揺れが。震度4だって。まだゆらゆらとしていて気持ち悪いです。
ちょこちょこ書きためて一気にアップしようとしたけど、また改めて書きます。