映画
【硫黄島からの手紙】を観てきた。
映画やドラマを観ると、感極まってすぐ泣いてしまう。
でも、この映画は上映中1度も泣かなかった。
泣く映画ではなく、考える映画だと思う。
日・米どちらかに寄り過ぎた映画でもない。
人種は違えど同じ人間。母から生まれ、己の命を生きる。
観た直後より、時間を置いてからのほうがいろんな思いが込み上げてきた。
これから観たい人もいるだろうから、あまり内容には触れずにいよう。
あらすじとしては、
1945年2月19日。米軍の上陸とともに始まった硫黄島戦。米軍が5日で陥落すると思っていたこの硫黄島を、一日でも米軍の本土侵攻を遅らせようと栗林中将(渡辺謙)と共に乏しい戦力で36日間守りぬいた男達がいた。
キャストは日本人が中心だけど、カメラワークがハリウッド映画という感じ。
色調が暗めなところが良かった。
日の丸の赤は目立つのに、血の赤はそれより目立たず。
ただの戦闘映画ではないところがそんなところからも伺えた。
どれだけ戦争はいけないことかを少しでも体感するためにも、
できたら映画館でみたほうがいいと思う。
欲を言えば時間の経過や、
各々の心理描写をもう少し細かく描いてほしかった。
あと、二宮くんのセリフ回しが少し現代的な部分があったのがひっかかった。
二宮くん、いい役者だなー。
西竹一中佐 役の伊原剛志や、清水洋一 役の加瀬亮など脇を固める役者も良かった。
人それぞれ何を感じるかはわからないけど、
戦争や家族と向き合うきっかけにはなると思う。
硫黄島の写真→【
☆】
戦争の生々しい傷跡が…。
硫黄島関連の本リスト→【
☆】
栗林中将が家族に宛てた手紙の本なども。
いろんなことを考えた中で、
早急にやったほうがいいと思うことがある。
戦争を体験した祖父母や親類が健在な人は、
戦時中の話をもっと聞いておいた方がいいと思う。
身近な人が体験したことはより一層戦争の無意味さを、
心に刻んでくれると思うのだ。
戦後62年目に入った。時間がない。
私の話を少ししたい。
お正月に帰省した時、近いうちにこの映画を観に行くことを父親に話した。
その時父が、
『おじいちゃん(父親の父親)戦争の話せんかったもんなー』
とポツリ。
『お父さん子どもの頃おじいちゃんに聞いてみたことないと?』
『いや、聞いてみたことはあるけど話したがらんかった』
医者を目指していた祖父は、衛生兵として戦地へ。
捕虜になったこと、ソビエトの兵士?から銀のスプーンをもらったこと。
祖父に関する戦争の話はそれだけしか知らない。
戦争から戻ってからは、医者を諦め役所勤めし、60代の半ばに亡くなった。
私が小学校4年生の時だった。
スプーンの存在を知ったのは私が3年生の時の夏休み。
おじいちゃんやおばあちゃんに戦争の話を聞くという宿題が出された。
胃ガンで闘病中だったおじいちゃんが、一時帰宅していたので聞いてみた。
『外人さんにもらったスプーンがあるよ、スプーンが』
そう言って探し始めたのだがその時は見つからなかった。
戦争の話を聞いてるのになんでスプーン?
『戦争の時にもらったと』
話はそれで終わった。
衛生兵ということは、傷を負った兵士を沢山見てきたのかもしれない。
おじいちゃんは想像を絶する場面を見たので、
あまり戦争の話をしたがらなかったのかもね。
そういう言葉をお互い交わし、父とその話を終えた。
祖母のことも少し。
子どもの頃、心臓病で生死の境を彷徨った祖母(父親の母親)は奇跡的に生き返り、
その後看護婦をめざした。そして日本赤十字社の従軍看護婦として戦地へ。
祖父同様、戦争の話はほとんどしなかった。
祖父母から戦争の話も聞かなければ、ありがちな米国批判も聞かなかった。
怖がりだった私は、鬼!?祖母から『ビクビクしない!』とよく叱られた。
暇さえあれば遊びに連れてってくれたり、むかし話をしてくれた祖父は、
本を買ってはよく届けにもきてくれた。読んだり書いたり歌ったり、
そして男女限らず友達とは仲良くしなさいと教えてくれた。
祖父母が若い時をどう過ごしてきたかはよく分からない。でも混乱期の中で、
自分で培ったものを伝えてくれていたんじゃないかと今になって思う。
その伝え方が私に良い影響を与えてくれた。
今更ながら感謝の気持ちでいっぱいになった。
最後に
【硫黄島からの手紙】の中で、渡辺謙演じる栗林中将が言ったセリフを1つ。
『日本国民が、諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、
諸君の霊に対して涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。』
黙祷。