優柔不断後の決定 その2

日々つらつら書き留めます。ネガティブでポジティブ。
決定力と、前向き思考を手に入れたい。

偽善と優しさ

2010-11-17 00:13:28 | 独り言
「優しさ」ってのは、
結局相手のために、いかに自分を犠牲にするか。
そう言っても過言じゃないと思ってたの。

結局そうじゃない?

相手のために何かをする、
相手が喜ぶために何かをする。
相手が喜ぶために自分の時間を削って何かをする。

自分が能動的に動く時、
そこには自分の時間と労力を犠牲にする必要がある。

だから相手に対する優しさ=相手がしてもらって喜ぶ事(これをイコールとした場合)
自分の時間を削って相手にしてあげる事。
それが優しさ。


そう思うのが、偽善(だと思う)



偽善でない善、つまり優しさ(真心?)は
自分が何を犠牲にしても、その人が喜ぶ姿を見たい、という優しさだと思う。
その犠牲になったのすら、別にかまわない、気にしない、みたいな。

見返りのない優しさ。
「してあげている」じゃなくて、「したいからする」

したいからしたら、相手が喜んだ。優しいと言ってくれた。
僕はそれで喜んだ。二人ともハッピーだった。

こういうのが本当の優しさだと思うた。


取りとめのない文すまん。

僕は後者の人になりたい。