上司は言いました。
「イー君を見とると幸せそうや。気持ちが楽になるわ」
社交辞令だとしても
ちょっと嬉しかったです。
が、しかし
僕がこの笑顔になるためにどれだけの努力を(ry
ただやっぱり笑ってれば何とかなる気がします。
「黙ってればソコソコかっこいいのに」とよく言われますが
それでも僕は笑いましょう。
どうもイグです。
黙ってればってソコソコかっこいいって・・・・・・orz
当たり前にそこにあるものに、人は慣れる。
いい事であればある程に。
僕は、それの最上位が「幸せ」だと思う。
昔、ここに幸せは状態だ、と書いた気がする。
一時的なモノではない、とね。
状態であるが故に、それは持続する。
悲しい事に、持続すると、人は慣れる。
そこに幸せがある事が当たり前になってくるんですよね。
そうなると、もうそれを幸せとは感じない。
変わらない毎日と取る人も出てくるでしょ。
好物も毎日続いたら飽きるって言うじゃない。
人は貪欲な生き物だ。欲深き生き物だ。
手の中にある幸せを、それはそれとして。
それとは別に、今以上をいつも望んで、今以上をいつもほしがる。
そのくせ、変わらない愛情を求める(くるみ)
確かに、幸せを構築する一つの要因に、
誰かが自分を一番に思ってくれてるって言う項目はあるかもね。
自分は相手の事を一番だと思わない時もあるくせに、
変わらない、一定で最大級の愛情を他人に求めてる事。
それに気がつかないくせに。
まぁ、そんなわけで、人はすぐに慣れる生き物だと思う。
幸せな事であればある程、それは早いスピードで。
そして、自分が幸せだと気がつくのは、いつも一緒のタイミング。
当たり前だと自分で勝手に思っていた日常が崩れた時。
これは恋愛に限らない。
いきなり近しい人が亡くなった時や、
リストラされた時なんかもそうだと思う(未体験なのでわからんが)
当たり前だと思っていた変わらない日常。
それがただただ偶然の産物である事に、普段は気づかない。
気づくのは、幸せが途絶えた時。
いっつもそう。
普通だと思っていた毎日。
それは、継続的な幸せの産物だと言う事。
だから、毎日に感謝しよう!、とか。
だから、ありがとうと毎日言おう、とか。
そんな事を僕は言いたいわけじゃない。
ただ、僕は、僕が今、こうして変わらない毎日を送れている事は
偶然の産物だと言う事を、
たまにでいいから、気がつけたらな、と思う。
幸せが一瞬で壊れる事はもう何度も体験しているから、
そろそろたまには気がつけよ、とも思うけど、
ついつい忘れちゃいがちだから。
たまにでいいから、気がつけたらな、と思う。
それを当たり前だと思わないという事は、
それを特別だと思えているという事。
それを特別だと思えているという事は、
それをなんとかつなぎ止めておきたいと思える事。
これさえ忘れなければ、なんとかなるんじゃないかと思う。
気がついた時が崩れた時だと、もう遅い。
まるで今までの慣れに対する復讐だと言わんばかりに
幸せはあっという間に引いていく。
いつだって大切なモノ、大事なモノ、幸せは失ってから気づく。
それは人がそれが近くにある事が当たり前の日々に慣れているから。
当たり前でなかったら、いい状態を続けられるように努力する。
僕は、そうやって気づく事が大切だと思う。
気がついても、もちろんつなぎ止めておけない事もあると思う。
けれど、つなぎ止めておけるものなら、つなぎ止めておいて欲しいと思う。
たまには、
今の状態が例え幸せでなくても、
たまには、
自分の今を構築しているモノに目を向けてみても、いいかもしれない。
何か一つは、今を構築しているモノの中に
幸せの要素がある事に気がつくと思う。
それにさえ目を向けなくなったら、幸せは終わる。
終わり。
「イー君を見とると幸せそうや。気持ちが楽になるわ」
社交辞令だとしても
ちょっと嬉しかったです。
が、しかし
僕がこの笑顔になるためにどれだけの努力を(ry
ただやっぱり笑ってれば何とかなる気がします。
「黙ってればソコソコかっこいいのに」とよく言われますが
それでも僕は笑いましょう。
どうもイグです。
黙ってればってソコソコかっこいいって・・・・・・orz
当たり前にそこにあるものに、人は慣れる。
いい事であればある程に。
僕は、それの最上位が「幸せ」だと思う。
昔、ここに幸せは状態だ、と書いた気がする。
一時的なモノではない、とね。
状態であるが故に、それは持続する。
悲しい事に、持続すると、人は慣れる。
そこに幸せがある事が当たり前になってくるんですよね。
そうなると、もうそれを幸せとは感じない。
変わらない毎日と取る人も出てくるでしょ。
好物も毎日続いたら飽きるって言うじゃない。
人は貪欲な生き物だ。欲深き生き物だ。
手の中にある幸せを、それはそれとして。
それとは別に、今以上をいつも望んで、今以上をいつもほしがる。
そのくせ、変わらない愛情を求める(くるみ)
確かに、幸せを構築する一つの要因に、
誰かが自分を一番に思ってくれてるって言う項目はあるかもね。
自分は相手の事を一番だと思わない時もあるくせに、
変わらない、一定で最大級の愛情を他人に求めてる事。
それに気がつかないくせに。
まぁ、そんなわけで、人はすぐに慣れる生き物だと思う。
幸せな事であればある程、それは早いスピードで。
そして、自分が幸せだと気がつくのは、いつも一緒のタイミング。
当たり前だと自分で勝手に思っていた日常が崩れた時。
これは恋愛に限らない。
いきなり近しい人が亡くなった時や、
リストラされた時なんかもそうだと思う(未体験なのでわからんが)
当たり前だと思っていた変わらない日常。
それがただただ偶然の産物である事に、普段は気づかない。
気づくのは、幸せが途絶えた時。
いっつもそう。
普通だと思っていた毎日。
それは、継続的な幸せの産物だと言う事。
だから、毎日に感謝しよう!、とか。
だから、ありがとうと毎日言おう、とか。
そんな事を僕は言いたいわけじゃない。
ただ、僕は、僕が今、こうして変わらない毎日を送れている事は
偶然の産物だと言う事を、
たまにでいいから、気がつけたらな、と思う。
幸せが一瞬で壊れる事はもう何度も体験しているから、
そろそろたまには気がつけよ、とも思うけど、
ついつい忘れちゃいがちだから。
たまにでいいから、気がつけたらな、と思う。
それを当たり前だと思わないという事は、
それを特別だと思えているという事。
それを特別だと思えているという事は、
それをなんとかつなぎ止めておきたいと思える事。
これさえ忘れなければ、なんとかなるんじゃないかと思う。
気がついた時が崩れた時だと、もう遅い。
まるで今までの慣れに対する復讐だと言わんばかりに
幸せはあっという間に引いていく。
いつだって大切なモノ、大事なモノ、幸せは失ってから気づく。
それは人がそれが近くにある事が当たり前の日々に慣れているから。
当たり前でなかったら、いい状態を続けられるように努力する。
僕は、そうやって気づく事が大切だと思う。
気がついても、もちろんつなぎ止めておけない事もあると思う。
けれど、つなぎ止めておけるものなら、つなぎ止めておいて欲しいと思う。
たまには、
今の状態が例え幸せでなくても、
たまには、
自分の今を構築しているモノに目を向けてみても、いいかもしれない。
何か一つは、今を構築しているモノの中に
幸せの要素がある事に気がつくと思う。
それにさえ目を向けなくなったら、幸せは終わる。
終わり。