「月島のもんじゃ焼き」を食べた後、勝鬨橋を渡って築地へ行きました。
築地魚市場は何度も見物しているので通過、小さなお宮が見えました。
波除神社
この付近は明暦の大火(江戸時代の大火災)で後に
4代将軍家綱公が埋め立てをてがけました。
堤防を築いても築いても激しい波に攫われる難工事でした。
その時海面に光を放って漂うものがありました。
不思議なので船を出すとそれは立派な稲荷大神の御神体。
人々はすぐに社殿を造ってお祀りし、盛大な祭を行ったところ、
波風は収まり埋め立ても無事に終了したと伝えられています。
災難を除き、波を乗り切る「波除稲荷」として、
災難除・厄除・商売繁盛・工事安全などの崇敬篤い神社です。
社殿;
獅子殿(厄除天井大獅子)
弁財天社(お歯黒獅子)
末社として、おきつね様、すし塚、海老塚、鮟鱇(あんこう)塚
活魚塚、玉子塚、蛤石、色々ありました。
「全ての物に神が宿る」 こういう思想は大好きです。
次に行ったのは築地本願寺です。
東京都中央区築地三丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院です。
東京都内にある代表的な寺院の一つで、京都の西本願寺の直轄寺院です。
築地本願寺は江戸時代の1617年に西本願寺の別院として建立されました。
「江戸浅草御坊」と呼ばれたが明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。
その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、
その代替地として八丁堀沖の海上が下付されました。
中央区佃の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め土地を築き
(この埋め立て工事が地名築地の由来)、
1679年に再建し「築地御坊」と呼ばれるようになりました。
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現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主
大谷光瑞と親交のあった東京大学工学部教授・伊東忠太による設計です。
当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、
松井建設の施工により1934年に完成しています。
伽藍には大理石彫刻が多く用いられ、そのスタイルは現在においても
斬新かつ荘厳で築地の街の代表的な顔であります。
ここでSaas-Feeの風さんと別れ
すみれのお嬢、アンジェラさんと上野駅に行きました。
今年の「根津オフ会」も楽しく終わりました。