連休が始まったが関係なく過ごしています。
水戸芸術館のエントランスホールではパイプオルガンの
再開記念スペシャルが催されています。
入場料無料で著名なオルガニストの演奏が聴けます。
4月28日、昨日聞きに行きました。
会場に着いたのは20分前、超満員で2階の会場です。
13:30分定刻に始まりました。
お馴染みの作曲家と演奏曲目です。
オルガニストは椎名雄一郎、解説を加えての演奏です。
演奏中は写真撮影は出来ません、残念!
手鍵盤と足鍵盤、左右に身をくねらせての演奏は初めて見ました。
手すりに縋り付き立ったりしゃがんだり辛かった!
素晴らしい演奏に1時間最後まで聴きました。
勿論アンコールに応えた演奏もありました。
5 ~ 6 月はパイプオルガンの演奏が無料で楽しめます。
「みはらしの丘」へ移動中です。
丘の麓には昔を偲ぶために古民家が保存されています。
「みはらしの丘」ではネモフィラが見頃を迎えていました。
ネモフィラは和名で瑠璃唐草・耐寒性一年草です。
baby blue eyes カナダ西部から米国メキシコに咲いています。
青い~ 目をしたお人形 ♪ 可愛い花は笑顔に見えます。
スイセンガーデンを見て「みはらしの丘」頂上まで約2km少し疲れます。
「みはらしの丘」の標高は58mでひたちなか市で最高地点です。
阿字ヶ浦の海水浴場は右の方にあります。
建設中の常陸那珂港は日本を代表する物流企業が集積しています。
北関東自動車道は常陸那珂港 IC が起点になっています。
250万本のネモフィラはスライドショウで見てください。
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ネモフィラが終わると丘は整備されコキア(ホウキグサ)が植えられます。
秋には丘がまっ赤に燃えるでしょう。
これからチューリップ園へ移動します。
国営ひたち海浜公園
公園の総面積は350ha で東京ディズニーランドの5倍の広さです。
余り広くて隅々まで見たことは有りません。
スイセンが見頃を迎えています。
スイセン・ガーデン 1ha に100万本のスイセンが咲いています。
花には説明は要らないですね。
スライドショーを始めますので見てください。
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ここは昔 陸軍の水戸飛行場跡地です。
敗戦で米軍の射爆場となりました。
返還後は公園として市民が楽しんでいます。
次回はそのことについても紹介します。
常磐自動車道の勿来ICから「勿来の関」は
およそ 3km の小高い山の上にありました。
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“ 吹く風を 勿来の関と思えども 道も背に散る 山桜かな ”
源義家(1042 ~ 1106)が陸奥へ行ったのは
生涯で三度(1056年、1070年、1083年)と云われています。
関所の跡、すり減った石畳は歴史の重みを感じます。
と 同時にこんな所で関守が出来たのか不安に思えました。
砦も城跡も見あたりません。
石畳の両側には素晴らしい大きな石の歌碑が建っています。
源義家の歌碑は一番古く1851年に建てられたそうです。
「勿来の関文学歴史館」は休館日で資料が貰えません。
詩歌の小径 いしぶみ散策マップを照合しましたが
歌碑の順序は一致しないかも知れません。
山桜がとても綺麗で良いときに来ました。
遠くには勿来海岸と燈台が見えます。
そこには国道6号線が通っています。
何回通過したかは数えきれませんが「勿来の関」は初めてでした。
勿来の関はすばらしい所でした。
写真が多いのでスライドショウを作りました。
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斎藤茂吉、長塚節の歌碑や松尾芭蕉、角川源義の句碑もありました。
勿来の関歴史館に女性が来たとは思えないのに
勿来の関が詠まれている訳を聞くと「歌枕として
勿来の関」が使われていたと教えてくれました。
「勿来の関」は文学的に知名度が高かったのですね。
関所と云えば「安宅の関」で義経と弁慶が関守・富樫との
気迫の迫る歌舞伎の勧進帳を思い出しました。
関所とは惜別の悲哀も多かったのでしょうね。
その後に「五浦の六角堂」へ行きました。
昨日は町内のシニア囲碁大会でした。
10数人が集まって白黒の石で陣取り合戦。
今日は3勝1敗でまあまあの成績でした。
上級者に負け、同級とそれ以下の人に勝ちました。
強きを助け弱きを挫く全く情けないですね。
その上級者が優勝、少し残念でした。
月に1回の頭の体操になりました。
町内にも旅行や囲碁で仲間との交流が出来ました。
世の中では孤独死が増えているようです。
それだけは避けたいですね。
勿来の関の櫻は散ったかなぁ ~
源義家、小野小町、和泉式部達は本当に勿来の関に来たのかなぁ ?
彼らや彼女達の歌碑が沢山あります。
勿来の関の写真を沢山撮って整理が大変です。