茨城から発信します

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します

写真を見ると思い出します イギリスドライブの旅日記 3

2014-02-26 07:00:00 | 海外旅行

1993.4.30

次の目的地は陶器で有名なウェッジウッドを目指して北上します。

途中でエイボン川岸から見えるウォリック城を見落としました。

素晴らしい城です!  Wikipediaを借用  

(道を間違えていました、残念)

更に北上していくと綺麗で大きな木骨組家屋が見えます。

ここはコヴェントリと云う都市でした。

ここで一休み(デパートのように売り場やレストランもありました)

町を散策すると大聖堂の破壊物が目を惹きます???。

コヴェントリは14世紀頃、布貿易の中心地として栄えています。

 

19世紀後半になると自転車が流行し、さらにローバーがコヴェントリーで

自転車製造を開始し多くの自転車製造業者ができました。

20世紀初頭にこれら自転車製造業者は自動車の製造を始めます。

コヴェントリーは自動車産業の中心地となったが工業都市であったため、

第二次世界大戦中にはナチス・ドイツによる爆撃の標的となり、

市の中心の大部分のほかコヴェントリー大聖堂も破壊されました。

コヴェントリーはイギリスで最も空襲が激しかった所でした。

現在では破壊された旧大聖堂の隣に、近代的な新しい大聖堂が建っています。


コヴェントリー交通博物館では自動車・自転車の街として発展しています。

地図を頼りにウェッジウッドへ向かいます。

 

 


写真を見ると思い出します イギリスドライブの旅日記 2

2014-02-21 07:00:00 | 海外旅行

1993.4.29

ウインザー城から北へ向かいます。

オックスフォードで一休みし次の目的地

ストラトフォード・アポン・エイヴォンに着きました。

今宵の宿を探していると「B&B、Vacancy」が見えました。

ドアをノックすると上品なお婆さんが部屋を案内し宿が決まりました。

部屋のカギを貰って早速ツアーバスに乗って名所見物をしました。

ここは劇作家ウィリアム・シェイクスピア生誕の地です。

シェイクスピアは1585年頃にロンドンに進出し

最も優れた英文学の作家と云われています。

また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知る上で

貴重な言語学的資料ともなっています。


1592年からは新進の劇作家としても活躍しました。

1612年ごろに引退するまでの約20年間に、

四大悲劇「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」をはじめ、

「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」「夏の夜の夢」

「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残し「ヴィーナスとアドーニス」のような

物語詩もあり特に「ソネット集」は今でも最高の詩編の一つと見なされているそうです。

町に灯りがともり夕食の時間となりました。

シーフードもあったがステーキにワインで今日も楽しい一日が終わりました。

余談ですが初めてのイギリスドライブの旅は余暇に綿密な計画を立てました。

東京へ出張の時、何時も英国観光庁に寄って資料を集めました。

交通法規も調べました。

立ち寄った所は全て好きな場所です。

湖水地方、エディンバラ、セントアンドリュース、スコッチ・トレイル、

インヴァネスでネッシーを見ることでした。

次は日本人の大好きなウェジウッドへ行きます。

 


写真を見ると思い出します イギリスドライブの旅日記 1

2014-02-17 07:00:00 | 海外旅行

1993.4.28

 

どこか遠い国に行きたいなぁ~

ゴールデンウイークに同僚のK君を誘ってイギリスへ行きました。

「気ままな一人旅」がまだ不安なころでした。

k君はドライブ大好き、写真も好き、酒も飲まない最適な?同行者です。

私はカーナビ K君はドライバーでイギリス弥次喜多?道中の始まりです。

ヴァージン・アトランティックはヒースロー空港に無事着陸。

ヒースロー空港の近くでレンタカーを借り

ロンドンから西へ車で約1時間も走るとイートンへ着きました。

このホテルは今もGoogle地図検索に載っていました  

懐かしい!21年前と全く変わっていません。

朝、Oscar Hotelの窓から眺めると直ぐ近くに大きな城が見えました。

900年の歴史を持つウインザー城でした。

先ずは城の見物へ出かけました。

このゴシック様式の威厳に満ちた古い城は、

歴代の王たちの権力と栄光の日々をしのばせると共に、

エリザベス女王のお気に入りの城でもあるようです。

1992年暮に照明器具から発生した火災で数多くの部屋が消失し

内部の見物は出来ずに次へ行きました。

駐車場へ戻ると???車の後輪が鎖で繋がれている?

チケットを見ると窓ガラスに張付けるのでした。

違反金を支払うスタートとなりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

(50ポンド、9、000円は痛かった!)

次回はシェークスピアの活動したストラッドフォーオ・アポン・エイボンを紹介します

(2007.02/21 リログに掲載したのを改訂しました)

 

 


写真を見ると思い出します 冬季オリンピック・長野からソルトレイクへ

2013-11-20 07:00:00 | 海外旅行

長野の冬季オリンピック閉会式は2月22日午後6時から

長野オリンピックスタジアムで天皇と皇后御臨席で行われました。


各国の選手が入場し「長野県のお祭り」が始まりました。

会社の勧めで閉会式に参加ができました。

会社から貰った入場券は貴重な記念品で今も残っています 

会場へ行くとその寒はとても表現できません。

冷蔵室の中で氷の椅子に掛けているようでした。

会場では近代オリンピック発祥の地 ギリシャ、

今大会の開催国日本、次回大会の開催国アメリカ合衆国の

3ヶ国の国歌が演奏され、オリンピック旗が

ソルトレイクシティ市長に引き継がれました。

IOCのサマランチ会長のスピーチが行われ・・・・・

「アリガトナガノ、サヨナラニッポン」と日本語で締め括られました。

オリンピック旗が降されオリンピック賛歌が演奏・合唱されました。

聖火の納火の後に杏里と子供たち、会場全員で「ふるさと」を合唱し、

司会の萩本欽一が「私たちのふるさとは?」と問いかけると会場は

「地球!!」と一斉に叫びました。

 

フィナーレは、花火5,000発が打ち上げられ角松敏生率いる覆面バンドが登場し、

「WAになっておどろう? イレアイエ?」を演奏し閉幕となりました。

 

5月の国際会議に参加した場所は何んとソルトレイクシティでした。

長野冬季オリンピックに続き次期オリンピック開催地

ソルトレイクシティとは想定外でした。


Salt Lake City はアメリカ合衆国ユタ州の州都。

末日聖徒イエス・キリスト教会が築いた宗教都市で同教の本部があります。

ロッキー山脈の西部に位置する州の北部に位置し西部高原地域の

経済・文化の中心地となっています。


4年後の2002年に開催されるのにオリンピックに

市内では絵葉書やメダルやバッチなどの記念品が売り出されていました。

長野では絵葉書やバッチを売っていたかなぁ~

日本から来たK工業のUさん、DC研のYさんと会議後

レストランで夕食し ゴルフの話に意気投合

翌日の会議後にゴルフを楽しみました。

この写真は「いい色」のプロフィールに使いました。

恒例の主催者の見学ツアーが催されました。

ソルトレイクシティは銅の産地で露天掘りです。

地底のダンプカーは米粒くらいです。

このような巨大で地盤の安定な鉱山跡地が

日本にあったら福島の廃炉の後始末は早く進むでしょうね。

帰りにはソルトレイクで造られた天然塩を買ってきました。

15年前のソルトレイクの天然塩が少し残っています。

 

 


町内会・秋の親睦旅行 (4)

2013-10-07 07:00:00 | 海外旅行

浅間山は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と

群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある安山岩質の

標高2,568 m の火山で円錐型をしています。

長野新幹線で軽井沢駅を過ぎると直ぐ右側に見えますが

この方向から見るのは久しぶりでした。

黒斑山と蛇骨岳は右側に見えます。

天明3年の浅間山大噴火のときに火砕流が発生して

群馬県側に流れ、原生林に達し高熱の火砕流は

樹木を包み込むように流れ燃え落ちています。

木の燃えかすが朽ちて井戸のような穴が残っています。

「溶岩樹型」と云うそうです。

整備された区域では樹型と一緒に見ることができました。

樹型内にはヒカリゴケが群生するそうですが良く撮れません  

昭和15年8月30日に国から特別天然記念物に指定されています。

「あさま」は火山を示す古語とされています。

富士山の神を祀る神社が浅間神社(せんげんじんじゃ)と

呼ばれるのも同様の理由であります。

浅間山も多くの山々と同様に古くから信仰の対象となっています。

 

軽井沢で信州そばの昼食を済ませます。

懐かしい峠の釜めし弁当、荻の屋です。

横川ICで休息、

 

妙義山  

赤城山を見て今年の親睦旅行を無事終わりました。

(大連三世さんに上州三山と浅間山・隣の山の

名前を教わりました。有難うございました。)