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『立正安国論』提出

2022年08月04日 | 日蓮大聖人の御生涯(一)

「大白法」平成30年11月1日(第992号) 

日蓮正宗の基本を学ぼう 122

 日蓮大聖人の御生涯 ⑧

 『立正安国論』提出

 今回は、

北条時頼への『立正安国論』の提出と、その内容について学んでまいりましょう。

   北条時頼との会見と 

 『立正安国論』 提出

 日蓮大聖人は、『立正安国論』を提出される以前に、御自ら北条時頼に会見されており、そこで北条時頼が信じていた禅宗の邪義を厳しく指弾されました。

 このことは『法門申さざるべき様の事』に、

 「但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世正直の者にては候へ。其の故は故最明寺入道に向かひて、禅宗は天魔のそいなるべし。のちに勘文もてこれをつげしらしむ。 日本国の皆人無間地獄に堕つべし」(御書 四三五㌻)

また、『安国論御勘由来』の、

 「復禅門に対面を遂ぐ故に之を告ぐ。之を用ひざれば定めて後悔有るべし」(御書 三六九㌻)

との御文から拝察されます。

 この頃の鎌倉幕府の執権は、第六代北条長時でしたが、政治の実権は前執権であった北条時頼の手にありました。 

 時頼は、康元元(一二五六)年に落髪して入道(在家のまま仏道に入った者)となりましたが、長時に執権職を譲ってからも政務に携わり、政治の権力を手中にしていたことで、現執権の長時よりも権力を持ち、幕府の中にあって事実上の最高権力者として存在していたのです。

 かくして大聖人は、最高権力者である時頼に対して、民衆救済と国土安穏の実現のため、深い洞察と三世に亘って一切のことを悟られる知見をもって文応元(一二六〇)年、『立正安国論』を著わされ、同年七月十六日に北条得宗家に仕えていた宿屋入道を介して提出されました。

 これこそ、大聖人の御一期の御化導における第一回目の国主諌暁であります。

 しかし、この『立正安国論』による諌暁は、北条時頼をはじめとする幕府為政者たちには用いられませんでした。

 『立正安国論』

  について

『立正安国論』は、客と主人との十問九答の形式をもって十段で構成されています。その各段ごとに概要を拝しましょう。

 初めの第一段(災難の来由)では、客が近年より近日に至るまで、様々な形で起こる天変地夭・飢饉疫癘等の原因について尋ねたことに対して、主人は「世の中の人々が正法に背き、邪法に帰依しているために、守護の諸天善神は国を捨てて去り、聖人も立ち去って還ることがない。善神や聖人が去った後には、悪鬼魔神が移り来て、災いや諸難が起こるのである」と災難の由来について述べられます。 

 続く第二段(災難の証拠)では、前述の主人の答えに対して、客が「それは一体いかなる経典に出ている話であるか、その証拠を示して欲しい」と問います。これに対して主人は、金光明経・大集経・仁王経・薬師経の四つの経典を挙げて災難の由来について詳しく証拠を示され、「これらの経文に照らして、日本国に邪義邪説が蔓延っていることがその原因である」と答えるのです。

 第三段(誹謗正法の由)では、客は血相を変えて「今世間では仏教がとても盛んであるにも関わらず、誰人を指して仏教を破る者と言うのか」と質問するのですが、主人は「確かに仏法が興隆しているように見えるが、それらの僧侶は権力に媚びへつらい、人々を迷わせている」と答えて、悪の根源である間違ったことを説く僧侶たちを誡めるべきことを述べられます。

 第四段(正しく一凶の所帰を明かす)では、客がますます怒って「間違った教えを説く僧侶とは、いったい誰を指すのか」と問い詰めるのに対して、主人は「念仏を唱える法然である」と答えられます。そして法然が著わした『選択本願念仏集(選択集)』と、法然の説く釈尊の一切の経を捨てよ、閉じよ等との邪義を「一凶」と断じて、厳しく破折されるのです。

 第五段(倭漢の例を出だす)では、自らの信奉する法然が一凶だと言う話を聞いた客がさらに怒り出して帰ろうとするのに対して、主人は、それを押し止めて「釈尊の説法には先後、権実の立て分けがあるのに、法然はこれを知らず、専ら私の考えを述べて仏の教えに依っていない。人々はこれを知らずに帰依する故に、三災七難が起きるのである」と丁寧に指摘して、速やかに念仏の邪義を捨てて正法に帰依すべきことを諄々に諭されます。

 第六段(勘状の奏否)では、客の怒りは少し和らぎますが、まだ十分に納得していないため、主人は念仏の邪義について、過去において国法の上からも厳しく止められた実例が厳然としてあることを述べられます。 

 それを受けて第七段(施を止めて命を断つ)では、客は完全に怒りを収めて、いまだ半信半疑ながら、主人に「天下泰平・国土安穏を願い、災いを消すためには、いかなる方法があるのか」と伺うのです。それに対して主人は、 涅槃経等の経文を挙げて、「謗法への施しを止めて国中の謗法を断つことが、国土の安穏を図るために最も重要である」と諭されます。 

 第八段(斬罪の用否)では、客が「謗法を退治するために斬罪を用いるならば、その殺害の罪は重いのではないか」との問いに対し、法華経以後の教えでは、斬罪ではなく、その布施を止めることが説かれます。

 第九段(疑いを断じて信を生ず)では、客が態度を改め、主人の言葉をよく理解して敬い、座を正して身繕いを整えます。そして改めて主人に対して、「仏教は様々に分かれているので、その真髄を理解し理非を明らかにすることは困難であった。しかし、主人の導きにより、法然が著わした『選択集』の謗法によって、世の中が乱れることが理解でき、これまで執着してきた宗旨が謗法であったことを認め、謗法を捨てて正法を崇めてまいります」との言葉に、主人はこれを聞いて喜ぶと共に、客にさらなる決意を促されます。「国家の安穏を期し、現当二世に亘る幸せを祈るならば、まずは急いで謗法を退治しなければいけない。もしそうしなければ、まだ起きていない二難(自界叛逆難・他国侵逼難)が起こるであろう。どうして同じ信心の力を持って妄りに邪義の詞を崇めてしまうのか。もし謗法への執着を断つことができなければ、早くにこの世を去ることとなり、後生は無間地獄に堕ちるであろう」と客を諭され、さらに「一刻も早く間違った信仰への信心を改めて、真実の教えに帰依すべきである。そうすれば必ず三界は仏国となり、十方の国土は宝土となって、衰微することも破られることもなく、平和で心身共に幸せになるのである」と諭されたのです。

 最後の第十段(正に帰して領納す) では、客が「これまでの信仰は、ただ先達の言葉に従っていた」と反省し、「これは多くの人々も同じであろう」と述べます。そして主人に帰依し、正しい仏法を信仰し、謗法を退治する事を決意すると共に、最後に「自ら信ずるだけではなく、他の人々の誤りも諌め、折伏していこう」と述べて『立正安国論』は結ばれます。

 この第十段は、客の問いがそのまま主人の答えであり、『立正安国論』の結論に当たるのです。 

 『立正安国論』

  の精神

 以上の内容を拝して判るように、

この『立正安国論』は、謗法の邪を破して正法を立て、もって国土を安んずることを明らかにされた書であります。

 御法主日如上人猊下は、「立正安国論正義顕揚七百五十年記念七万五千名大結集総会」の砌において、 「今日の日本乃至世界の混沌とした現状を見るとき、その混乱と不幸と苦悩の原因は、既に『立正安国論』をはじめ諸御書に明らかなとおり、すべて邪義邪宗の謗法の害毒にあり、その邪義邪宗の謗法を断たなければ、真の幸せも平和も訪れてこないのであります。(中略)『謗法を断つ』とは、不幸と苦悩の根源である謗法を、折伏をもって断つことであります。折伏は一切衆生救済の最善の慈悲行であり、広布実現の具体的な実践方途であります。

 つまり、広宣流布は折伏によって初めて達成されるのであります」(大白法 七七〇号)

と御指南されました。

 私たちは、 この御指南のままに、御命題である平成三十三年・法華講員八十万人体制構築に向かって、破邪顕正と『立正安国論』の精神をもとに、さらなる折伏行に精進してまいりましょう。

       ◇    ◇

『立正安国論』日蓮大聖人御真蹟(国宝)中山法華経寺蔵




 次回は、松葉ヶ谷の法難より学んでまいります。