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知恩報恩

2022年08月06日 | 仏教用語の解説(二)

「大白法」平成31年1月16日(第997号)    

 【仏教用語の解説】13

  知 恩 報 恩

  恩について

 「恩」とは、人から受ける感謝すべき恵み・慈しみを意味し、恩を知ることを「知恩」、その恩に報いることを「報恩」と言います。儒教や道教など仏教以外の教えや道徳でも、大切だとされています。

 しかしながら日蓮大聖人は、

   「過去・未来を知らざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず、不知恩の者なり」

  (御書 五二四㌻)

と仰せられ、仏教以外の教えは所詮現世のみにとらわれたもので、

真実の知恩報恩の実践は、三世に通達する仏教によらなければなりません。

 仏教で説かれる四恩

 仏教では、私たちが享受している恩として、四恩が説かれています。

すなわち、父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩・三宝の恩の四つです。

 大聖人は『四恩抄』に、

 「仏法を習ふ身には、必ず四恩を報ずべきに候か」(御書 二六七㌻)

と、仏弟子たる者は必ずこの四恩を知ってそれに報いなければならないと教えられています。

        ◇

  父母の恩

  私たちの生命・肉体は父母をなくして存在しません。出世の後は無償の愛情によって養育し、

  導いてくれたのであり、現在大聖人の正法を信仰できる境遇も、父母の恩の賜です。

  国主の恩(国王の恩)

  もともと、国主とは国の為政者(朝廷・幕府の実権を握る人物等)を指します。

 現在では、主権在民の上から国民一人ひとりであるととらえることができます。

  大聖人は『上野殿御消息』(御書 九二二㌻)において、民に衣食があるのは国主の恩であると示されています。現在にあっても、教育や社会秩序の維持、道路、電気、水道 、学校等のインフラなど、私たちは知らず知らずのうちに国土・国家の恩恵を受けます。時代ごとに社会制度の違いはありますが、その国に暮らすた民は国家・国土の存在によって心身を養うための恵みを受けているのです。 

  一切衆生の恩

  自分がこの世に生を受けた因縁をたどれば、両親のみならず、数限りない大勢の祖先がいます。

  生きていくためには、多くの人と関わり、知らず知らずに支えられています。このように考えるとき、自分は一人で生きているのではなく、一切衆生から様々な恩恵を受けているのです。そもそも、

  「一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発こし難し」(御書二六七㌻)

と大聖人が御教示の如く、 私たちは一切衆生の存在によって折伏を行じ、仏道を増進できるのですから、この意味からも一切衆生には恩があるのです。

  三宝の恩

  仏教では、一切衆生が尊敬・帰依すべき対象として、仏宝・法宝・僧宝の三宝が立てられます。

  私たちが信心をし、成仏得道を遂げることができるのは、この世界に出現された仏様と、 仏様の説かれた法、さらにその法を後世に正しく伝えてくれる僧の存在によります。

  一口に三宝と言っても、宗派により様々な三宝がありますが、末法の今、私たちが尊崇すべき正しい三宝は「末法下種の三宝」です。

  すなわち、仏法は久遠元初の御本仏日蓮大聖人、方法は家の一念三千の南妙法蓮華経である本門戒壇の大御本尊、僧宝は大聖人より唯授一人の血脈を直授相承された第二祖日興上人をはじめとする歴代の御法主上人を言います。

  日蓮正宗の仏事は、朝夕の勤行をはじめ、折伏育成、寺院・総本山への参詣など、その一切が三宝に対する報恩行です。 中でも、毎月奉修される宗祖日蓮大聖人御報恩御講は大切です。

  大聖人の報恩行

   (師匠への折伏)

  道善房は大聖人の清澄寺における師匠です。道善房は、かねて念仏を信仰しており、自ら阿弥陀の仏像を五体も造立しました。

  大聖人はその道善房の行いに対し、

 「阿弥陀仏を五体作り給へるは無間地獄に堕ち給ふべし」(御書 四四四㌻)

と指摘されました。仏道における師匠とは何よりも忠実に従うべき存在であり、その恩はけっして忘れてはならないものですが、大聖人は師匠道善房の行為を厳しく破折されました。 

 そして、そのことをもって、

 「今既に日蓮師の恩を報ず」(御書 四四五㌻)

と仰せられ、道善房を折伏したことが本当の意味での師匠に対する報恩であると仰せられています。

 謗法は堕地獄の業因であり、たとえ師匠であってもその誤りを強く指摘し、正法への帰依を勧めることが、本当の意味での報恩に当たるからです。

 池上兄弟は

 恩ある父を折伏

 池上宗仲・宗長兄弟は、大聖人の熱心な帰依者でありましたが、父の康光はそれに反対し、兄弟の分断を謀るなど、陰に陽に信仰を妨害しました。

 大聖人は池上兄弟に対し、

 「一切はをやに髄ふべきにてこそ候えども、仏になる道は髄はぬが孝養の本にて候か。されば心地観経には孝養の本をとかせ給ふには『恩を棄てゝ無為に入るは真実の報恩の者なり』等云々」(御書 九八三㌻)

と、たとえ親に反対されたとしても

「無為に入る(正法を受持して成仏を遂げること)」ことこそが真実の報恩であると御教示されています。

 父・康光は、兄弟の微動だにしない信心姿勢に心を動かされ、ついには大聖人に帰依しました。池上兄弟は父に対しての最高の報恩を尽くしたのです。

 最高の報恩行を実践

 総本山第二十六世日寛上人は『報恩抄文段』において、

 「問う、報恩の要術、其の意は如何。答う、不惜身命を名づけて要術と為す。謂わく、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通する、則ち一切の恩として報ぜざること莫きが故なり」(御書文段 三八四㌻)

と、不自惜身命の精神をもって正法の弘通に努めることが、一切の報恩に通じる要諦であると示されています。

 さらに、御法主日如上人猊下は、

 「折伏は一切衆生救済の大慈悲行であり、仏祖三宝尊の恩をはじめとして、父母の恩、衆生の恩、国王の恩に報いる最高の報恩行であり、かつまた我が身にとっては最善の仏道修行であります」(大白法 七七一号)

と御指南されています。

 この御指南に示されている通り、大聖人の正法を弘めていく折伏行こそ、最高の報恩行であり、最善の修行なのです。



 次回は、「五一の相対」についての予定です。

 

 

 

 

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